クラシック音楽の指揮者を始め作曲家等はマエストロと呼ぶ
目次
マエストロと言う言葉は私が高校時代は言わなかったと思う。昔は聞いたことがなかった。ここ20年ぐらいだろうか、テレビの番組とかの影響もあってこのような言われ方を。
様々な指揮者のオーケストラの曲を聴いているが、心に残っている何人かの中で特にこれはと思う3人をピックアップしてみた。
こちらの3人はもう存命ではないが、世界中を席巻した超有名な指揮者たち。
お馴染みの方々なので知っていることを少し披露したい。
有名な指揮者
ヘルベルト・フォン・カラヤン
目を閉じて、あたかも鳥が羽ばたくようにタクトを振るカラヤン。
この哲学的な雰囲気がカラヤンのイメージとして広く知られているだろう。
若い自分にベルリンフィルを任されたことで一躍有名になったと思う。
何せ、カラヤンの前任者はあのフルトヴェングラーである。フルトヴェングラーも偉大な指揮者として名を馳せた。
その後釜がどれほどのものなのか誰もが興味津々で注目したのである。
最初はベルリンフィルのオーケストラのメンバーと軋轢があったと聞く。
ベルリンフィルは言って見れば、鍛えられたプロ中のプロと言えるオーケストラ。
このオーケストラは私が聞くところによると指揮者なんか必要ない位、演奏にたけているのだそう。
要するに、気に入らない指揮者ならば、オーケストラが自分たちで指揮を無視して勝手に演奏できる位、実力者の集まりと聞いた。
指揮者は曲の演奏のタイミングと同時に全体のイメージを纏め上げる役割がある。
そのためには一呼吸前にタクトを振り始めて楽団員に指示するとされているのだが、
楽団員がきちんと従わなければ演奏は成立しない。
タクトを振るにはある程度カリスマ的な魅力が必要なのだろうと思う。
カラヤンは早い時期からベルリンフィルの承認を取り付けて、優れた演奏を世の中に紹介したと言える。
カラヤンがどのように楽団員を納得させたのかは不明である。
しかし、周りが度肝を抜くようなことを平気でやる人だったと言うことが伝わっている。
彼は世界中を旅して歩いたが、その彼の足となったのは自分自身が所有する自家用ジェット、それも自分自らが操縦桿を握っていたと聞いている。
興味がある事は必ずものにしてしまう集中力、それと大勢の人をまとめる包容力。
そういったものが申し分なく備わっていたのだろう。
買い物をする時にも武勇伝が伝わっている。
街に出て買い物をするときには彼は財布を持たないのだそう。
買い物をするときには、これをくださいと言って品物をもらうのみ。
街でも有名人なので、カラヤンには全く条件をつけずに品物を渡したようだ。
もし万が一咎められたときには一言、「私はカラヤン」。そう述べてその場がおさまったようだ。
カラヤンの後を秘書がついて回って、お金を払えるものは彼らが払い、必要ならば後から収める形をとっていたようだ。
これが彼の日々の生活だったようだ。
事音楽に関しては、様々な曲を指揮してはいたが、多分得意だったのはベートーベンとかブラームスのようなドイツの古典派系の音楽。
またロマン派系のドヴォルザークとかシューベルトといった作曲家のものも多く手がけていた記憶がある。
カラヤンがどちらかと言えばあまり試みなかったのは現代音楽系のもの。
特に、ストラヴィンスキーとかバルトークとかいった作曲家はあまり取り上げなかった記憶がある。
カラヤン自身が苦手にしていたとは思いにくい。ベルリンフィルそのものが現代音楽自体を演奏する風潮にはなかったのかもしれない。
現代音楽を得意としたのは、アメリカのバーンスタインだろう。
カラヤンがバーンスタインを称して、「あの若造はなかなかやるな」と言ったようだ。
歴史に残る大指揮者だろう。今でもYouTubeで自由に画像は眺められるし、懐かしいと思うことしきりである。
アルトゥーロトスカニーニ
トスカニーニはイタリアの指揮者。カラヤンよりも 1世代前の音楽家と言えるだろう。
戦後すぐの頃の音楽会では有名な指揮者と言えばこのトスカニーニの名前が真っ先に出てきたのである。
そのぐらいの超有名な指揮者。
彼はイタリアであのムソリーニ政権ができたときに、ファシズムに反対して激しい批判を繰り広げていたのでも有名。
プッチーニのトゥーランドットなどは実は最後が未完で終わっているのであるが、
仲間たちと工夫してトスカニーニが捕作として作り上げた経緯がある。
しかし、ムソリーニに請われて演奏会を頼まれた時は、自分が作った工作の部分を演奏せずに、プッチーニの部分だけで曲をいきなり終わりにしてステージを退場したのはかなりの武勇伝と言えるだろう。
調べてみると音楽に関してもさることながら、義侠心の篤さも非常に大きいものがあった。
彼はナチスドイツや、スペインの軍事政権に激しく抵抗した経緯があるし、あのブルーノワルターがユダヤ人であるがゆえにドイツを追われたときには力を貸してあげている。
その逆に、フルトヴェングラーがドイツに残り続けて演奏活動を続けたことを厳しく非難し続けた。
音楽家であると同時に、思想家でもあったようだ。
望まないことをやってはいけないその強烈なポリシーがトスカニーニの特徴かもしれない。
彼の音楽は、楽譜に忠実であることが挙げられる。
きちんと楽譜を解釈して演奏するのである。
彼があまりに通りいっぺんの演奏するので、とある作曲家からもっと心を込めて演奏してくれと苦言が入ったことがあった。
その時にも、楽譜に書いてないからと突っぱねたと聞く。なんとその作曲家はヴェルディだったのだから聞いた方がびっくり。
個人的にではあるが、トスカニーニの指揮したベートーベンの荘厳ミサ曲のレコードを所有している。
若い頃は何度も聞いた名曲だが、非常にわかりやすく、それでいて勢いのある演奏のような気がした。
ちなみにこのときのオーケストラはニューヨークのNBC交響楽団だったと思う。
晩年の活動はほとんどアメリカに移っていたようだ。
ウィルヘルムフルトヴェングラー
フルトヴェングラーは最もドイツ的な指揮者と言っていいだろう。
彼が得意としたのはベートーベンブラームスワーグナーといったドイツ出身の作曲家たち。
ここでワーグナーの曲を取り上げることでナチスドイツとの関係を取り沙汰されることに。ヒトラーと握手したとかで有名になったこともある。
しかしながらフルトヴェングラーは決してナチの思想を持っていたわけではない。
むしろ、ユダヤ迫害に対して抵抗するかのようにユダヤ人の音楽家たちをかくまっていたようだ。ナチスドイツもフルトヴェングラーのこういった活動に目を光らせていて、必ずしもナチスから信用されていたわけでは無いようだ。
特にその音楽性とか思想のこともあるので、トスカニーニと全く対極にいる音楽家とされるが、実は、最初は批判していたトスカニーニも、フルトヴェングラーの音楽性を高く評価し、ニューヨークでの自分の楽団の後継にフルトヴェングラーを推薦した位である。
この推薦の話は、ナチスドイツの反対にあって実現はしなかった。
フルトヴェングラーはベルリンフィルの代表ともいえる指揮者である。
彼の後継であるカラヤンとは、面識は無いのであるが、音楽に関しては誰もが認める実力者ゆえに、後釜となったカラヤンは大変な思いをしたようだ。
フルトヴェングラーの演奏は、ベートーベンの5番運命を聞いたことがある。
古い演奏と言うこともあったのだが、正直なところ気怠い感じのする解釈だなと感じた。
トスカニーニが、てきぱきハキハキしているのとはやはり反対な感じがした。
日本では戦前から戦後にかけてクラシック音楽はそれなりの人気があったのだが、あの時代3大指揮者と呼ばれたのは、トスカニーニ、フルトヴェングラー、ブルーノワルターである。
このうちトスカニーニとワルターは同じ系統の音楽家と言っていいだろう。
この時代ではまだカラヤンは入ってこない。
トスカニーニやフルトヴェングラーとなるとその演奏を探すのはある程度レア物になるかもしれない。
しかし、今はYouTubeなどで十分にヒットする題材なので、特に現代にも受け入れられる優れた音楽だと言えるだろう。
まとめ
指揮者が果たす役割はとても大きいと言うのはよくわかるのだが。
実際問題として演奏中に、演奏者は何を見ているかと言うと、ほとんどの場合は楽譜を見ているはず。
楽譜以外では指揮者を見なければいけないのだが、よほどのことがない限りはチラチラ見るぐらいしかできないはず。
そうなると指揮者が身振り手振りでやっている事は、ある意味パフォーマンスのみなのかもしれない。
普通指揮者と楽団員は綿密に打ち合わせをしてトレーニングを積む必要がある。
楽譜をもらっていきなり見知らぬ指揮者がその楽団を指揮してもそう思い通りに音楽が奏でられるわけではない。
何度も何度も厳しい練習をしなければ、音楽としては完成しないのである。
指揮者はその辺のところを丁寧に説明をして自分流の音楽を作り上げることに勤しむわけだ。
曲が始まるときには、指揮者の合図は必要不可欠である。
実は今からおよそ50年ほど前、高校時代、私は吹奏楽部で楽器を演奏することをしていたのだが、高校の大先輩作曲家「佐藤勝氏」がやってきて、吹奏楽部の音楽指導をやってくれることになったのだが、彼のタクトで、ドヴォルザークの新世界の第4楽章を練習していたのだが、冒頭の部分がなんとしても入ることができない。
彼の前衛的なタクトの振り方では、高校生の時分の私たち楽団員はどのタイミングなのかわからず、困ったことがあった。
どこで音を出したらいいのかは極めて重大な問題なのだが、有名な指揮者たちのは大抵の場合わかりにくい。
今日紹介した3人の中ではフルトヴェングラーが分かりにくい指揮の代表格らしい。
カラヤンの指揮もテレビでよく見ていたが、ベートーベンの5番など、楽団員たちがよく音を出せるなと感心することしきりだった。
さて、オーケストラと指揮者は基本セットである。
どちらかが一方的に突っ走ることにはならない。
そこには何にも増して信頼関係と協力がなければうまく行きっこないのである。
一昔前に活躍したこの3人のマエストロたちは、様々な厳しい条件の中でも、少なくとも楽団員たちの信頼を勝ち得て、納得のいく感動に満ちた音楽を作り上げていたのである。