ネットで検索をしていて時々ピックアップされる彼女。
10代から20代にかけて芸能活動で一躍ブレイクした後、結婚してきっぱりと引退。
その後、活動復帰を望む声が多かったけれど、期待に応える事は全くなく、家庭で主婦を続けている。
彼女は私よりも6歳年下。
私が大学生になったすぐの頃、売り出し中のアイドルの1人だった。
目次
デビューしたきっかけはスタ誕に応募したことから
私の記憶ではいきなり歌手としてデビューしたのではなく、最初映画“としごろ”でデビュー。
バレーボールのクラブ活動をやっている選手の設定だった。
映画としては主役で扱われたわけではなく確か“森昌子”が主役だった記憶。
そして、同じく当時デビューしたての“石川さゆり”が共演していたと思う。
実は千葉の映画館でこの作品を見ている。
もちろん単独で上映されていたわけではなく、ほかにもう2本ぐらい洋画が同時上映されていたと記憶。
日本のアイドル出演の映画と言うことで、私的には付録のつもりで見ていたのだが。
実は、この映画の中での石川さゆりの扱いがあまりにも強烈でいまだに印象に残っている。
同じバレー部部員の役だった石川さゆりは、チンピラに因縁をつけられて着ているものを全部脱がされて強姦され妊娠するというストーリー。
そしてそれがもとで彼女は心中してしまうのだ。
はっきり言って、今ならありえないヌードシーンが画面全体に繰り広げられたので、それで記憶に残ることに。
当時の芸能界の力関係でそのような扱いが生じたらしいが、今でも記憶に残るほどの衝撃的なシーン。
石川さゆりはその後演歌歌手としてブレイクし、今では押しも押されぬ大御所として活躍している。
この当時の中三トリオで、今でも活躍できているのは森昌子ぐらいだろうか。
山口百恵も桜田淳子も今は引退して久しい。
この当時はスタ誕がもとでデビューしたアイドル達は多い。
アイドルなので、どちらかと言えば音楽的な実力とか演技力以上に、ビジュアルとかイメージが最優先だった。
女性ならば、第一に可愛くなければ合格しなかったし、男性も女性からちやほやされる位の美形でなければ、採用される事はなかった。
この当時の、芸能界のこういった状況を揶揄して、“学芸会”といった人も多い。
可愛らしさだけが先に立って、音楽的な実力など2の次 3の次だったから。
その中でデビューした山口百恵は、デビューシングルの3本目位から、きわどいセクシー路線の歌唱で、ブレイクするのである。
清らかなイメージの少女がきわどい内容の歌詩で歌を歌う。
とにかくそれで劇的にヒットしたと言える。
歌手であり役者であり


山口百恵はスタ誕の審査の時に作詞家の“阿久悠”から“歌手には向かないから役者を目指した方が良い”と言われたそうな。
確かにデビュー当時の山口百恵の歌を聞いても、およそうまさなど感じない。
彼女に感じるのは初々しさ、と同時に清純さ。
俳優として映画デビューした後は、支持する人も多く、同じ俳優の三浦友和と様々なテレビドラマや映画で共演をし、その関係が私生活にも及ぶことに。
とにかくこの2人は、この当時のゴシップネタには事欠かなかった。
しかし2人の交際は思いのほか真面目で、決して浮かれることなく自分たちの気持ちを育んでいったようだ。
またドラマでブレイクするようになってから歌手としても一躍注目を浴びることに。
当初人気が出始めた清純な女の子のきわどい路線から、アイドル歌手でも実力を認められるような歌いっぷりがみんなの共感を得ることになったのだ。
特に様々な音楽関係者から楽曲を提供されたことが大きいと言える。
その中でも、宇崎竜童夫妻から何曲も提供されているが、ここから彼女の運命は大きく転換していったと言える。
この2人が作った曲で大きくさらに人気を伸ばすことに。
その当時の歌謡曲の中でも、曲の作りが斬新であること、歌詞がエキセントリックなこと。
この2つが歌手山口百恵の実力を遺憾なく発揮して、曲ごとに不思議なドラマを作っていたと思う。
調べてみてわかったのだが、山口百恵は実はレコード大賞を受賞していないのだ。
この当時の歌手としての成功の証として、様々な賞の受賞があるが、彼女はほぼ無冠と言える。
もっとも受賞していようがいまいが、山口百恵の値打ちにいささかも影響は与えないだろうけど。
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引退後は決して復帰しなかった


21歳で結婚をして芸能活動を一切引退している。
彼女の凄いところは、その後復帰する話がたくさん持ち上がっても一切応じなかったこと。
いちど家庭に入ると決めて引退してからは二度とカメラの前に立つ事はなかったのだ。
芸能界での活動の実績は他に比較するなにものもないが、自分が心に決めたことを決して変更しない、頑固一徹さは彼女自身の美学と言えるのかも。
自分が家庭に入ったならばこのように振る舞うのだとあらかじめ決めていて、そのポリシーに基づいて今日まで来ていると言える。
ほとんど、インタビューのようなものにも応じてはいない。
結婚直後に、街頭で突撃インタビューみたいな企画があったが、その時のものが1つ2つ残っているぐらいだろうか。
とにかく、決して芸能界に戻って活動する事はなかった。
伝説と呼ばれて


彼女には夫との間に2人の息子さんがいる。
息子さん2人とも芸能活動をしている。
彼女が伝説と呼ばれる所以は、絶対に芸能活動を再開しなかったこと。
その1点に尽きるだろう。
ほんの少しでも、ディナーショーみたいな活動をしたならば、伝説とは呼ばれないはず。
その点における潔さが山口百恵の真骨頂。
すでに彼女は還暦を迎えている。
夫三浦友和ももうすぐ70歳になろうかと言う年齢。
こうして昭和の伝説は今も語り継がれることに。
実は、我が家に残っている古いレコードの中に山口百恵のLPが1枚含まれている。
全く聞くこともなくなっているのだが、私の中では思い出の1ページ。
自分なりの人生を、納得のいくように生き抜いてきた彼女。
私もこの年になって彼女の潔さを改めて賞賛したい。