とうとう今日の放送で草間さんの奥さんに再会できることに。
それというのも、思いのほかぐずぐずしていた草間さんに、喜美ちゃんからの思いっきりの後押しがあったから。
「ちゃんとけじめをつけなあかんでしょ!」
「草間流柔道の名がすたるやん」
そこまで言われたなら、草間さんとしても“やっぱりけじめをつけなきゃな”と。
でもドラマを見ているとわかるんだけど、草間さんは既に心の中で自分のとるべき行動を決めていたんだよね。
目次
草間さんの奥さんのお店で食事を
そのお店に向かうまでの決心を草間さんに促す喜美ちゃん。
実際のところはね、草間さんは既に決心はついていて、行動を起こすためのきっかけが欲しかったみたいで。
喜美ちゃんは最高のアシスタントを演じたわけ。
お店に着いたところが、さすがにこわばった表情の草間さん。
喜美ちゃんも最初の勇ましさはどこへやら。
おどおどと端っこのほうの席に落ち着くことに。
草間さんと奥さん、相手をじっと見るだけの心の余裕があるはずもなく、お互いが相手が誰だかはしっかりとわかっているのに、話しかけることができない。
ここでは説明はなかったけれど、戦争による不幸の形が表現されていた。
戦争さえなければこのような不本意な結果にはなっていなかったはず。
奥さんは、別な男性とこの店をやっていて、しかもお客さんの話から奥さんは多分、今妊娠3ヶ月くらいの様子。
男性が女性から離れるときの決定的な理由の1つは、女性に別な男性との関係が事実として理解できたとき。
相手の男性ともう一緒になって、子供まで生まれるとなれば草間さんの出る幕は無いわけで。
コメディータッチで描かれたスカーレットではあるけれど、とても実につまされる“気の毒な内容”が語られていた。
2人が頼んだのは焼き飯
昭和30年当時は、“チャーハン”とは言わずに“焼き飯”だったんだね。
そういえば私が20歳の頃、つまり昭和48年の頃は既に“チャーハン”だったけれど、横浜の古い中華料理屋さんなどでは“焼き飯”といったところもあったかも。
今も昔も変わらずに、ディティールはお玉で丸く形を作ってお皿に盛りつけるやり方。
姿を見ただけで味が想像できちゃうのが、この鉄板メニューの良いところ。
最初に注文をしたのは草間さん。
そして別人のふりをして同じように注文をする喜美ちゃん。
喜美ちゃんは残さずに美味しく食べたのに対して、草間さんは1口2口、口をつけただけでほとんどを残してしまっていた。
おそらくは喉を通らなかったに違いないのだ。
このお店に来たときに、どうしても奥さんときちんとした別れるための儀式をしようとは思っていたようだが、心優しい彼にはそういった事はとても切り出せなかったのだ。
そういった事情をそれなりに察していただろう奥さんは、喜美ちゃんに
『あめちゃん食べる❓』
と言って飴玉をひとつぶ差し出す。
そしてさらにもう一つ。
ドラマを見ていて感じたのは、このもう一つ差し出したのは後で夫の草間さんにあげてほしいとの思いが込められていたような。
その残りの飴玉は店からの帰り道、草間さんの口の中に。
草間さんのとったけじめ
店の中で一言も話すことのなかった草間さん。
料理が届くまでの間、店の新聞を読んでいたのだが、実は帰り際にその新聞の下に、自分自身のサインを入れた離婚届の用紙を忍ばせておいたのだ。
そして、店の中で書いたであろうメモ。
『幸せに 宗一郎』
このわずかな言葉の中に、草間さん自身の奥さんに対する想いのたけが込められていた。
自分が愛した女性の幸せを心から願いたい。
彼が出した結論は、『自分自身が身を引くこと』
その優しさが“草間宗一郎”らしいとも言える。
そのことをしっかり感じ取った奥さんは、その場で涙ぐむのだ。
来週起こる波乱の幕開け
草間さんとの食事が終わった後、荒木荘に戻ってはきたものの、1本の電話を取ることに。
それはほかならぬ父常治から 。
「母さんが倒れた」
「早く帰ってこい」
電話の向こうから聞こえた声は、何か緊急事態を感じさせる逼迫した感じが。
ここで今日の話は終わり。
さて、電話で呼び出された喜美ちゃん。
ここからは来週の話になるのだが、実はこれネタバレで恐縮だがお父さんが仕組んだ嘘。
喜美ちゃんを大阪から呼び寄せて信楽で暮らさせたい。
なんとも自分勝手なお父さんだが、喜美ちゃんにはそばにいてほしい気持ちもありありなのだ。
また来週になっていろいろわかってくるが、かつての同級生の照ちゃんや信ちゃんにも再会することに。
そして喜美ちゃんは信楽で仕事をすることになるのだ。
したがって、荒木荘にはもう戻らない旨の連絡をすることに。
実はこのことも、お父さんの裏工作があって、喜美ちゃんが何も知らないところで勝手に荒木荘へ退職の連絡をしてしまうのだ。
そのことを知って激怒する喜美ちゃん。
来週はそういったことで物語が進むようだ。
でもちょっと先は長いけれど、陶芸家としての道のりがここから出発することにもなる。