くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

エール奇譚 1974年の思い出

 

わざわざ別立てで報告することもなかろうと思ってはみたが、実はこの時、私はちょうど大学を抜け出してアルバイトで暮らし始めた頃。

私は小田急線の沿線にアパートを借りたが、そこから通える職場をアルバイトニュースで探していた。

その時見つかったのが

聖マリアンナ大学の中にある動物管理室の動物の世話係

アパートから近かったこともあって友達と2人で5ヶ月ほども働いただろうか。

この病院が、実は自分がブログでおよそ1年近くお世話になったエールのモデル古関裕而さんと密接な関係にあることをつい最近知ったので、少し調べてみることに。

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小田急線の向ヶ丘遊園駅からバスが出ていたはず

目次

古関裕而さんの家族

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長女の雅子さんのご主人が聖マリアンナ医科大学の名誉教授

古関先生は女の子2人と男の子1人の子供がいます。

長女が雅子さん 二女が紀子(みちこ)さん 長男が正裕さん。

このうちの長女が聖マリアンナ大学の 第3内科教授染谷一彦さんと結婚している。

その縁が元で1973年大学から校歌作曲の依頼があった

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こちらが原本らしい

1973年当時は川崎市の宮前区にこの病院の建物があって、その隣に大学が建てられていた。

 小田急線の向ヶ丘遊園駅の北口からバスが通じていて、私も何度かお世話になったことがある。

この当時この辺は、世田谷通りと東名高速に至る道路があったがあまり整備されているとは言えず、車で運転してみてもかなり狭いと思ってハンドルを握ったと思う。

大学へ向かうには坂道を降りたり登ったりしなければいけなかった。

この病院に注目したのは、かつて私が21歳の時にここで数ヶ月間アルバイトと正社員でお世話になった会社が外注の形で入っていたから。

当時の印象としては、大学はどちらかと言えば古く、大学病院は最新鋭でとても新しく感じた。

建物は広い敷地の中にたくさんあったが、敷地そのものが平ではなかったので傾斜面に坂道があちこち配置されていたと思う。

私にとっても45年以上前の記憶になるので、検索をしながら記憶をたどる。

聖マリアンナ医科大学第3内科

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川崎市宮前区にある大学と病院 敷地内はかなり広い

今どのようになっているのかはわからないが、

大学の6階に動物管理室と言ってかなり大きな実験動物用の庁舎があった 。

ワンフロア全てが動物用として隔離されて存在していた。

ここではマウス、ラットを始めモルモット、ウサギなど多数の動物を実験用として飼育。

私は平たく言えば、そこの動物の世話をする係として当初アルバイトで雇っていただいた。

泊まりの仕事もあったり、また空調が厳格に完備されていたので、それらのチェックとか仕事は肉体労働ながら思いのほかデリケートだったと記憶。

建物内はバリアシステムと言って外界と菌が行き来しないように分けられていた。

全部で10部屋ぐらいもあっただろうか。

かなりの数の動物が飼育されていたが、それらは皆、医学部の各学科で注文をして預けてくるもの。

多いなと感じたのはやっぱり内科系の動物を多く見かけたと思う。

たいていは薬の実験などを行っていたようだ。

その中でも内科は3つくらいに分かれていて、第一第二第三とあったような。

私たちの仕事は主に掃除と餌やりに終始するが、中に大きな作業室があって、ケージ等を丸ごと洗うことができる大掛かりな機械も備え付けられていたね。

また何ヶ月かに1回ぐらいは、空気の殺菌作業を行っていたようにも思う。

これはジェットフォグと言って薄い殺菌液を霧状にして空気中に噴霧するもの。

今のコロナ騒動などでも通じる部分があるかもしれない。

動物管理室内は気温が25度± 1度。湿度が55% ± 5%以内に厳格に管理。

要するに条件を一定にしてストレスをかけないように配慮されていた。

私たちの仕事は、基本的には午前中に全体の8割位を終了させる。

午後から残った2割で後片付けをしたり、次の日の準備をしたりとか。

管理室内では時々大学の先生たちを見かけることもあったね。

私が勤めていた会社は今もしっかり残る

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ネットで検索するとしっかりヒット 私は74年の4月にアルバイトで入社

当時私が勤めていた会社はまだ始まったばかりだったんだよね。

あの時私の上司だった人が2人いたが、1人は29歳で妻子持ち。

もう1人は26歳で独身。

この2人が実質会社を取り仕切っていたが、本社は中野にあってマンションを1室借りてそこが本社代わりだったが、ほとんど人が集まる事は少なかったような記憶。

この会社は聖マリアンナ医科大学に1室と都立の衛生研究所に1室。

外部委託で何人か職員が配置されていたと思う。

私のいた聖マリアンナ医科大学では6人ぐらいもいただろうか。

その時の状況でもう少し人が増えることもあったかも。

必ず泊まりの人が1人いたので、朝仕事に行けば必ず誰かがいたような気がする。

朝は8時ちょっと過ぎには職場に入っていたと思う。

夕方は4時半ないしは5時くらいで終了したかなと。 

会社は動物実験用の動物の飼育とか管理を任せてもらうことが主力。

ちなみにこちらの会社の親会社も目黒の青葉台に本社があって動物実験用の様々な物品を手広く扱っていたが今でもしっかり検索できるので、発展している事と感じる。

こちらの聖マリアンナ医科大学は古関裕而さんが亡くなられた病院でもある。

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病院の建物と内部

彼は80歳の誕生日を迎えたすぐくらいに脳梗塞で亡くなっている。

私がこの大学でお世話になったのは1974年の事なので、当時の歴史と不思議な縁を感じてしまう。

あの当時の記憶をたぐるともうずいぶん昔のことなのですっかり色あせてしまって、断片的にしか思い出せないが、初めて車の運転を都内でやったこととか、病院で飼っている動物たちの事とか、今でも記憶に残ることが多い。

今回の朝ドラエールを自分のブログとして綴ってきたが、自分の古い記憶と交差する部分があったことを今更のように懐かしく感じてしまう。