歴史に残る有名な事件が今回の鎌倉殿の13人のテーマ。
吾妻鏡に残された記録によれば、美談として伝わっているが、そこは果たして事実かどうかは未だに不明な部分も。
記録に残ったことをもとに物語として巧みに組み立てられた今週のエピソード。
曽我兄弟は工藤祐経への敵討ちとの名目で、源頼朝粛清の計画を立てていた。
実は、この辺の事情は脚色された部分も多分に多いのではと様々な意見。
脚本家三谷幸喜の組み立てたストーリーは、偶然を巧みに組み合わせることで物語として出来上がるように画策。
富士山の麓で行われた大規模な巻き狩り。
それは頼朝の嫡男「万寿」のお披露目の意味合いが強かった。
武家の棟梁として、武芸に優れていることこそがアイデンティティーであると、時代背景をもとに語られる。
ドラマとして見ている分については、面白く拝見するが、今から900年昔の日本ではこんな時代背景だったと改めて納得することが多い。
目次
巻き狩り
源頼朝は自分の跡継ぎをお披露目するためにこの催しを。
息子万寿が武芸に秀でて、鎌倉幕府の2代将軍にふさわしいことを周りに知らしめたかった。
狩りを行う名目だが、実際は泊まり込みで行う軍事演習。
今でも世界中の軍隊がこれに類したことを行っている。
もちろん今は後継者のお披露目なんて名目はつかないが、自分たちの軍事力を周りにみせびらかすために、また威圧するために故意に行われる。
直接戦えば、当然のことながら犠牲が出るのはやむを得ないこと。
演習の名目なら、兵力が傷つくことなく目的を達成することができる。
ここで、息子が見事に獲物を仕留めることを見届ける必要が。
しかし、温室育ちで育てられた息子が力を発揮できるにはちょっと厳しい状況。
参加している武士たちがそれぞれ獲物を狩ることに夢中になるばかり。
弓がきちんと使えることがこの頃の武士には絶対の条件だったかも。
普段、戦に出ているものが有利であることには違いない。
万寿と金剛
源頼朝と政子の嫡男は万寿。
北条義時と八重の忘れ形見が金剛。
物語の舞台となったのが1193年。
頼朝が亡くなったのが1199年なので、万寿はこの時12歳の少年だったと思われる。
金剛もおそらく似たような年齢。
ドラマの中ではある程度歳いった俳優たちが演じるので実年齢がわかりにくいが、歴史に出てくる年表を調べてみるとこんな感じに。
物語の中で描かれていたのは出来レース。
万寿が後の源頼家として鎌倉幕府2代将軍としてのお披露目を兼ねたようなもの。
裏で様々なインチキが画策されていたね。
曽我兄弟の謀反
曽我兄弟は、親の仇を取るつもりで工藤祐経を討ち取る計画を立てていた。
実はそれは見せかけで、頼朝暗殺が本来の目的。
物語で描かれていたのは、頼朝の側近たちばかりが良い思いをして、それ以外の坂東武者たちには不平不満が溜まっていた。
そのことへの反発心から起こした行動と説明が。
この計画は、実は北条義時や梶原景時らによって既に知られるところに。
裏で手を回して、計画を阻止するための行動が。
計画を遂行しようとする者と、阻止しようとする者たちで激しい戦いが。
しかし、隙を見て見事に頼朝を暗殺したと思われたのだが!
実はこの時偶然が起こっていた。
そこにいるはずだった頼朝はもぬけの殻。
代わりにいたのが工藤祐経。
つまり、頼朝の代わりに暗殺される祐経。
頼朝と祐経
物語の中で巧みに採用されたのが、頼朝の女癖の悪さ。
こともあろうに巻き狩りの最中に夜這いに行こうとする。
その時に身代わりを頼んでいたのが祐経。
実はこの偶然は脚本家の脚色によるもの。
ストーリーとしてうまいなと思うことしきり。
物語の中で頼朝が強運であることを義時から告げられていたが、頼朝は必ずしも運が強いとは自覚していなかったようだ。
自分にはもう天の加護は無いのかもしれないとうすうす感じ始めていた。
頼朝と義時のやりとりの中でこんな会話が。
確かに、この2人の癒着ぶりが描かれていたと思う。
お互いメリットがあって近づいたようなものだが、これが禍根を残すことに。
義時と比奈
物語の番組発表の時に発表されていた北条義時の正室は比奈。
この物語では後妻と言うことになるだろうか。
北条義時は未だ亡くなった妻のことが忘れられない。
比奈は出会った頃は義時には興味がないような雰囲気。
いつもそばにいれば、やがて情が移るというもの。
2人の関わりも、物語の中で詳しく語られていたと思う。
鎌倉の今後
あの純粋素朴な北条義時も今では裏で暗躍する鎌倉幕府の影の存在。
実は曽我兄弟の謀反事件の時は、誤った情報が鎌倉に伝えられた。
つまり、源頼朝も万寿も暗殺されてしまったと。
こういった情報がいい加減なのがこの時代の特徴。
情報がどれだけ正確に伝わるかどうかで正しい対応ができるかどうかが決まる。
源範頼は嘘の情報で踊らされた形に。
彼は、この後頼朝によって粛清される。
源頼朝は、自分にとって都合の悪い姉妹は全て粛清することに。
源義経がその代表みたいなもの。
鎌倉幕府は、その形が出来上がるまでにまだ多くの血が流される。