くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

ちむどんどん あんな昔こんな昔😌

 

週を改めて展開する物語。

沖縄料理店を開店したくて準備に余念がない暢子。

どうやら様々な人たちのアドバイスや応援を得て、少しずつ前進しているような雰囲気。

いよいよ、銀行から融資を受ける段階にまで進んだような。

この当時の世の中の風潮としては、計画に基づいて様々な起業で事業拡大がステータスだったような気がする。

銀行はお金を貸し、そして金利で利ざやを稼ぐ。

事業計画を精査し将来性を判断。

これはと思うものには投資をし、また計画の良し悪しなどを判断しアドバイスすることもあったようだ。

物語で出てきたのは信用金庫なので、これは私の記憶では審査が厳しいことで知られていたと思う。

また、地元に即した融資をしてくれることでも知られていたはず。

食べ物関係の店ならば、真っ先にお願いしたくなるような感じ。

今日のエピソードでは賢秀の闇堕ちの様子が描かれていた。

そして、沖縄では良子夫婦の娘“晴海”の野菜嫌い

いくつかのエピソードが重なり合って微妙に絡み合う物語。

賢秀…😭やれやれ🖕🏾

目次

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銀行からの融資

信用金庫の坂田さん 三郎さん曰く悪い奴じゃねぇ

暢子は事業計画書を銀行に提出したみたい。

飲食店関係の計画書はかなり厳しく審査されると聞いたね。

手持ちの資金がいくらで、どれほどの融資を受けたいのかが、きちんと把握できるようになっていなければ訂正を求められることも多いと聞いた。

銀行の融資担当もたくさんの案件を抱えているので、親身にはなってくれるけど、最後に決めるのはやはり融資をしてもらう側。

今回の審査では、予算の組み方にはさほどの問題はなさそうだが、やはりきつきつな計画で余裕がもう少し欲しいとの事。

要するに、もうちょっと多めに借りてはいかがと言いたげ。

たくさん借金してもらったほうが、金利の分で銀行はそれだけ潤うことになるので。

銀行が気にするのは、不良債権になってしまわないこと。

当然、担保も取るわけで、借金が返せなくなったときの様々な手はあらかじめ設定されることになる。

最初のエピソードでは、物件を早く決めないことには融資の計画は進まないとの流れ。

賢秀はやっぱり賢秀のまま😓

始まった😓おバカ賢秀🙅🏻‍♂️

マルチ商法と呼ばれるこれらの商売は、基本的には今は禁止されている。

あの手この手で様々な商売を持ちかけようとする輩は今でも後を絶たない。

物語で紹介されたマルチ商法は、アメリカから逆輸入の典型的なネズミ講。

調べてみると詳しく載っているので、それだけ被害が多いんだろうなと推察。

賢秀を騙すなど赤子の手をひねるより簡単🤣

この物語も大分進んできたので、賢秀のこのお粗末なキャラクターはまだ需要があるんだなと改めて思ってしまう。

そして、賢秀に呼応するかのような優子の存在。

できれば、もう少し控えめな登場にしなければ、同じシステムで何度も登場してくると逆に沖縄の人たちに失礼じゃなかろうかとさえ思ってしまう。

ドリンクで取るビタミン剤は当時かなり流行ったかも

この頃から、サプリメントなる言葉も出てきたと思う。

様々な栄養学の新しい分野で、新たな事実が発見されるたびにそれに乗じたインチキ商売も雨後の筍のように出てきたかもしれない。

最初になにがしかの商品をまとめ買いして、会員を増やす。

マルチ商法と呼ばれるこれらの方法は最初に商売したもののみが儲かるようなシステム。

後から参加すればするほどほぼ被害だけが膨れ上がる。

確かにこの当時は、こういったインチキ商売が大流行りだったのも事実かもしれないが、物語的に歓迎できないと思う人も多いはず。

悪者にされている賢秀と我那覇。他にも悪人は登場するんだろうか?

晴海の野菜嫌い

野菜は美味しくないから嫌い😩

小学校の低学年では野菜嫌いはあるのかもしれない。

他に食べるものがなければ、いやいやでも食べるんだけどね。

大人にしてみれば、野菜嫌いの子供は悩ましいところ。

どうやら、優子の発案で何か策があるような雰囲気。

おいしいから食べてごらん😌

実際に畑に出て経験すると、状況は大きく変わるんだよね。

全国どこでも行われていると思うけど小学校や幼稚園では野菜の収穫体験を始めとする事業があったような気がする。

自分で育て、収穫して食べる野菜。

嫌いなものだって食べられちゃう。

ジャガイモやニンジンを作ってカレーにして食べる例が多いかな?

物件

坂田さんの紹介してくれた物件は予算オーバー

信用金庫が紹介してくれた案件は、素晴らしい内容だけど、予算オーバーなんだよね。

踏み出すには二の足を踏まざるを得ない暢子。

しくじれば全て借金としてのしかかってくるわけで、最初に失敗すれば、次のチャレンジは簡単には与えられない。

他所からお金を借りるってのはそういうこと。

自分で綿密に計画を立てて、お金を貸してくれた側にもそれなりの誠意を見せる必要が。

この時代はバブルが始まる直前で、あらゆる業種で銀行融資は当たり前になりつつあった。

私が聞いたところでは融資が簡単に決まる事業としては病院があげられたと思う。

病院は経営が失敗する可能性は低いとみられていた。

ただし、バブル以降はそうは行かなくなったみたい。

バブルの頂点では銀行や証券会社だって倒産していたからね。

この時代、1979年はいろいろ考えてみて様々な商売では失敗例もかなり多かったはず。

さて、次なるステップにどのように進めるのか?