今日のエピソードから、いよいよ学頭池田蘭光との関わりが詳しく描かれることになる。
万太郎にとっては、恩人とも言えるべき存在だが、どんな先生だったのか。
寺脇康文が演じる蘭光先生は、子供の好奇心をより引き出す教育方針。
万太郎が植物に興味があることを知ると、過去に様々な研究者が記録を残していることを紹介。
外国の文献等も引き合いに出して説明しようとする。
見せられた学術書は漢文。
当然のことながら、万太郎に読めるはずもなく。
興味のあることを学びたければ、外国語を読めるようになる必要が。
当たり前のことだが、何かを学ぶためには基本姿勢になるだろう。
そして朝ドラあるあるだけど、物語は簡単に3年ほど移動。
万太郎は12歳になる。
このくらいの歳ごろになれば、大人の世界にも足を踏み入れることになる。
万太郎は、植物研究者としての日々の暮らしぶりがより深みを増していくことに。
物語に設定された俳優は変わらないままなので、時間の経過を感じにくい面はあるが、どうやら明治7年前後を描くような形。
描かれた内容によれば、まだみんなちょんまげを言っていたので、断髪にまでは至っていないようだ。
目次
池田蘭光
今日のエピソードから本格的に物語に登場することになる学頭蘭光先生
教育者としての肩書を持ちながら、本質は科学者であり研究者。
彼自身が様々な分野について研究し調べ上げ、知識を集積していたものと思われる。
どのようないきさつで、彼が名教館の校長先生に抜擢されたのかはわからない。
しかし、今日描かれたエピソードで、彼のポテンシャルがいかんなく発揮されていたと思う。
子供たちに教えるやり方も破天荒そのものだが、教えてもらう子供たちの生き生きとしている様。
蘭光自身、教えることが楽しくて仕方ないんだろうと思う。
はじまりは好奇心
人としての本質が好奇心から始まることに誰も異存は無いはず。
なぜ、どうして?
これこそが、人類発展の原動力になっていたのは間違いないだろう。
蘭光先生は、子供たちの好奇心を最大限生かすことこそが教育の本質だと理解していたようだ。
彼が子供たちに教える勉強の様子が描かれていたが、漢文はもちろんのこと外国語とりわけ、英語等の説明もしていた。
この時代の書籍は、大抵の場合「和綴じ」と言って古いタイプの古文書のようなもの。
印刷技術もそれほど発達しているわけではないので、本の内容を克明に書き写すことで情報の蓄積にした形跡がある。
万太郎が、名教館の書籍を借りてきては克明に写しとっていた作業が描かれていたが、この当時の彼にとってはそのことこそが学ぶことの基本になっていたと言える。
今のような印刷技術ができるまでは、こんな形で知識の伝承が行われていたんだろうと思う。
明治維新の頃は、今まで特権階級だった武士は自分で生きていく術を探さなければならない。
塚田は親戚に身を寄せて田んぼをやると語っていた。
つまり、武士からお百姓さんに鞍替えってことになる。
歴史で習う明治維新は、政治的な内容がほとんどのような気がするが、この当時の日本人にとっては、今まで武士として幅をきかせていた身分の人たちも食べていくための新しい方法を見つけなければならない切羽詰まった時期にいたはず。
この時代強かったのは、商人を始めとする商売をやっていた者たちだろう。
ものづくりや販売に関わっていた人たちは、間違いなく世の中を牽引できていた。
万太郎12歳
新しいものを見せられると、どんな仕組みなのか知りたくてしょうがない。
峰屋の番頭、市蔵さん。
彼は、値のはる懐中時計を手に入れたらしい。
それを万太郎に見せてしまったのが運の尽き。
万太郎は秒針などが動いている様子に感動。
耳を近づけて見れば、何やら音もしている。
市蔵さんが貸してくれと言われたときに、断りきれなかったのが運の尽き。
懐中時計は、無残な姿に。
万太郎はどうしてそんな風になるのか詳しく調べて解明してみなければ気がすまない。
12歳になった彼がどんなアイデンティティーを持っていたのか納得のエピソードだった。
学ぶことの楽しさ
やはり思った通り懐中時計はバラバラに分解。
そして、一つ一つの部品をずらりと並べて見せる。
さらには部品の形状を細かく書き映していた。
様子を見せられた祖母タキもその様子を見て言葉もない。
自分の孫ながら、頭ごなしに怒りつけるわけにもいかない。
1人貧乏くじを引いたのは市蔵さん。
物語の流れとして、万太郎が将来植物学者になっていく事はみんな知っている。
その元となる彼の学ぶ姿勢が今日遺憾なく披露された。