時代は1575年、徳川家康にとっては激動の時代だったと言えるだろう。
この後重大な事件がいくつも控えるが、この物語で最も重要な位置を占めている織田信長は1582年に本能寺の変で横死している。
歴史的な事実がかなり知名度のある事柄ばかりなので、この物語に登場する人たちがこの先、どの程度生きながらえるのかをあらかじめ知っているのは、視聴者としては、特別な切なさとともに迫ってくる。
ちなみに、先週描かれた設楽が原の戦いで武田勝頼は大敗を喫するが、しかしその後体制を立て直して、その後に武田家の領土は最大のものとなるのだ。
当然のことながら、設楽が原の戦いの後、徳川家康は今まで同様に苦戦を強いられていた。
そして、織田信長の家臣になった以上 命令には絶対服従が求められた。
描かれた物語の中では信長の最大の脅威が徳川家であるという。
そのためのスパイとして、信長の娘、家康の長男信康の正室五徳は信長から徳川家を見張るように命令されていた。
物語の中でさりげなく描かれていた五徳から信長への書状は信長の手によって燃やされてしまっていたね。
この部分の1時資料がきちんと残っていたなら、歴史上の大発見になっただろうに。
物語は、歴史的な事実を巧みに踏襲しつつ、時代劇としてやがて来るだろう徳川家の悲劇に向かっての人物模様が詳しく描かれた。
目次
五徳が命じられた使命
家康の長男信康の正室五徳は織田信長の娘。
政略結婚で徳川家に嫁いできた。
まだ2人が10歳前後の子供の頃のこと。
その後、成人した2人は、やがて子供を設ける関係になるが、この頃は徳川家康にとっては、三方原の戦いの後、設楽が原の戦いに至るまで武田とはギリギリの攻防が続いていた。
天下統一を目標に掲げた信長にとって同盟とは言え、徳川家康の存在は不気味だったに違いない。
圧倒的な軍事力の差で、徳川家康は信長の臣下にはなったけれど、それがすなわち信用することにはならなかったようだ。
信長は、自分の娘をスパイに仕立て上げ、逐一報告するように仕向けていた。
いけにえ水野信元
五徳は徳川家に関わる様々な事柄を信長に報告したようだ。
特に、自分自身の夫信康が傲慢な性格で家来を手打ちにするなど目に余る行動が多くなったと。
そして信康の母築山殿(瀬名)は隠れて こそこそ武田の女と話し合いを重ねている。
そのことを重大な事件とした信長は、見せしめとして家康の叔父水野信元を殺すように命じるのだ。
自分自身の妹の再婚相手久松を人質にとって逃げようとする。
しかし、多勢に無勢、そんな小細工が通用するはずもなく家康の手下によって殺されてしまうしかなかった。
織田信長のやり方として、自分に忠誠を誓うものにはそれなりに信頼し、そうでなければ、見せしめとして命を奪うことも。
最も合理的で少ない労力で自分の思い通りの作戦を遂行する。
水野信元は信長の家来にはなったけれど、さほど期待はされていなかったようだ。
家康にとっては間違いなく血の繋がったおじさんになるので、十分な脅しにはなったはず。
歴史的には、これらの事件は全て信長に知られていたようだ。
申し開きのために家康は自らケリをつけたと記述には残る。
その事実を踏まえた物語の設定がドラマの内容となる。
於愛の方
今回のエピソードから登場してきた於愛の方は家康が1番のお気に入りの側室だったかもしれない。
史実では物語に登場した段階で既に2人の子持ちだったらしい。
家康は、子供を産んだ経験のある女性を気に入るふしぎな性格の持ち主。
そして、物語で描かれた正室瀬名の役割。
正室は自分の夫の側室を誰にすべきか任命責任があったようだ。
つまり、お殿様がたとえ気にいったとしても正室の許可無く好き勝手にできるわけではない。
さらりと描かれていてわかりにくいが、瀬名が於愛の方を徳川家に招き入れたような設定。
瀬名と千代
この場面はどうする家康の中で最も見ごたえのあるシーンになったはず。
男同士が戦で殺し合いをする裏で女同士が歴史を動かすべく駆け引きを。
瀬名は歴史では、築山殿としてあまりに有名だが千代も調べたところ、どうやらモデルがいるらしい。
武田信玄の家臣として働いていた武将の妻が千代のモデルらしいが、その家臣は戦死したとの事。
武田信玄は、様々なスパイ組織を持っていたがその中でも女スパイは歴史にも伝わる有名な事実。
物語で描かれた瀬名と千代の駆け引きが五徳にばれていて、そのことが信長にまで伝わってしまう。
史実を踏まえつつ、時代劇として巧みに組み上げてある。
信頼のおける1時資料がいまひとつ揃わない中で、時代劇として物語を構成する。
確かに、この時代の女性たちの記述は、あまりに少ないので、このような事実は描きたい放題だったかもしれない。
信康の悲哀
信康の乱行は史実ではかなりひどいと伝わっている。
そして、様々な歴史学者が口を揃えるのは、この頃から父家康とそりが合わなくなっていったような。
さらには、そんな徳川家の不仲が信長に筒抜けだった。
徳川の力をそぐには格好の材料が揃ったとも言える。
信康は妻の告げ口によって自らの命を縮めたとも言える。
今週の物語はここまでで終了したが、徳川家最大の悲劇は調べてみたところ来月冒頭で描かれるような雰囲気。