くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

どうする家康 本心

今日描かれたどうする家康は、最新の「本能寺の変」に関わる研究が採用されたものと最後に合点がいった。

本能寺の変は、今でも、歴史的に謎とされている。

もちろん、明智光秀が毛利攻めの豊臣秀吉を助けるために向かうと見せかけて、実際は中国地方には進まずに本能寺に逗留している織田信長を亡き者にした

このときの政変は信長の跡取り織田信忠も粛清されている。

歴史はここから大きく動き、変わっていった。

明智光秀の謀反には必ず黒幕がいるはずだと、昔から取りざたされていた。

今日描かれたストーリーでは、その黒幕がなんと徳川家康。

驚くべき新解釈かもしれない。

事実は、闇の中で実際のところはわからないが、当時の資料はあちこちにそれらしいものが残っているので、考察を繰り返していくと、黒幕の中に、徳川家康、豊臣秀吉など、当時の信長の有力家臣が名前を連ねる。

今日、描かれた物語の最後に、徳川家康が家臣団に詰め寄られるシーン。

本心を打ち明けくだされ

そうじゃな

そろそろわしも話したいと思っていた。

私は、信長を殺す‼️

なるほど、ここでズバリ言い放てばぐうの音も出ない。

それにしても驚くべき台本。

脚本家の子沢良太と物語の時代考証をになった平山優氏と小和田哲男さんの思い切った解釈が見事に脚本として結実していたと思う。

蜜月の時を過ごす信長と家康😨👏

目次

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名門武田の終焉

天目山の戦いで自決したとされるが物語では討ちとられていた

「設楽が原の戦い」の後名門武田氏は7年生き延びることになる。

我々が習った歴史では、長篠の戦いで武田軍は、織田徳川連合軍に撃破されて終わったものと早合点していたが、実際は違った。

確かにあの戦いで武田勝頼は大敗を喫したが、その後体勢を立て直し、武田家の領土を信玄の時代以上に広げたことが記録に残っている。

武田勝頼は、歴史では、凡庸な武将として良い伝えられるが、最近の研究では全く逆だったことが明らかに。

名門武田家が滅んでしまったのは、最近の研究でわかることだが武田信玄の置き土産だったようだ。

武田家は昔から家督争いが頻繁に起こっていた。

武田信玄本人も、自分の後を誰に継がせるべきか悩んでいたところ、意見の相違で本命とおぼしき候補を全て失ってしまうことに。

武田勝頼は武田信玄の4男。

もともと、武田家の跡取りにはなりにくい家柄だったとされている。

武田勝頼は、様々な裏切りによって最後はほんの数十名の家来と共に戦って、滅びてしまった。

物語の中で、徳川家康の前に武田勝頼の首が披露される場面があった。

歴史の逸話として残っている話だが、織田信長は武田勝頼の首を目の前に差し出されたときに、手を合わせることもなく足先で蹴飛ばしたとされる

さすがに今日のドラマでは描かれなかったが、それに類似したエピソードがあの場面だったと思う。

家康の振る舞い

織田信長のポチ🐕

徳川家康はどうやら、織田信長の懐に入ろうと画策しているように見える。

どこまでも恭順の意を表して、決して逆らわない。

さらには、自分の手柄も返上して、織田家のために尽くす。

家康の家臣たちも自分たちの殿様の本心を計りかねていたようだ。

今日の物語の中で、長い時間を割いて描かれたのは、家康がわざわざ家来たちに命じて信長をもてなすための準備をさせること。

気まぐれな信長は予定通りには行動してくれないが、徳川家のもてなしを堪能することになる。

織田信長もてなし大作戦

富士山を見ながら野点(のだて)

様々なもてなし行事の中で、今日1番の見所になったのは家康本人が踊る、

エビすくい😅

まさか、酒井忠次の十八番の踊りを家康が披露するとは😨

 

そういえば、昔カニすくいを披露したことがあったな🤣

この踊りは、本来は酒井忠次がおりにふれて披露してきたもの。

こちらがご本家エビすくい

家康は信長には一切本心を見せなくなっていた。

そのことにすぐに気がつく信長だが、それ以上の深入りはしなかったようだ。

物語が巧みだなと思うのは、その辺の胸の内を豊臣秀吉がきちんと察しているところ。

秀吉の情報収集能力はこの時代ナンバーワン

家康と秀吉はこの後結託することになる。

そういったことも布石として描かれていたような気がする。

本心を決して明かそうとしない家康を秀吉はおもんぱかっていたと思う。

考察 本能寺の変

徳川家臣団の抱く疑問😰

徳川家康がまさか、本能寺の変の黒幕として物語で断言されるとは思わなかった。

しかし、最新の研究ではどうやらそれはあながち嘘ではない。

実は武田信玄が存命だった頃、織田の家臣団の1人明智光秀は、信玄と通じていたとされる

この頃の光秀は、完全に信長の側近と言い切るには将軍家とのつながりもそのまま残していた。

その時に武田信玄から信長暗殺計画を持ちかけられていたらしい。

そして武田家の家臣穴山梅雪は最後に武田勝頼を裏切ることで、それらの信玄と光秀の策略を置き土産として徳川家に寝返ったとされる。

そうなれば、明智光秀は、織田信長に謀反を企てていたことが発覚して、大変な事態になってしまう。

そのことを知られる前に信長を粛清したのが本能寺の変だと言うのだ。

実は、武田信玄、穴山梅雪、明智光秀、徳川家康、このラインの驚くべきつながりは、ここ1〜2年の研究で明らかになったもの。

今日描かれたどうする家康は最新の歴史考察を採用したようだ。