今日「どうする家康」で描かれた内容は言わずと知れた本能寺の変。
誰もが知っている歴史事件ながら、実はいまだに日本史の中でも最大のミステリーとされる。
明智光秀が織田信長を謀反によって討ち果たした。
歴史に伝わる事件ながら、その前後の様子は当時の人たちもほぼ知ることなく唐突に起こった事件とされる。
様々な歴史考察がなされ、明智光秀を唆した黒幕がいるとの話はいまだに的を得ているようでいて、確信だと断定できるには至ってない。
様々な黒幕説がある中で、徳川家康や豊臣秀吉が黒幕だとする話は、昔から取り沙汰された。
そして、当時の失脚した室町幕府15代将軍足利義昭や御徒町天皇など、様々な人物が候補に上る。
しかし、どれも断定できるだけの確固たる証拠が見つかっていない。
今日描かれたストーリーの中では、物語としては織田信長が主人公として描かれていた。
そして、物語は不思議な作りで織田信長の子供時代のエピソードを随所に交えながら、さらには信長が徳川家康をどのように思っていたのかが物語展開のキーパーソンに。
信長は、自分以外のものを信じてはいけないと、子供の頃からしつけられていた。
どうしても耐えられなくなったときに1人だけ殺されても良いと思えるような友達を作っても良いと指導された。
信長の父信秀の言い伝え。
信長の孤独な心の中にたった1人存在した親友は、徳川家康。
その事は当の本人たちよりも、信長の妹お市の方がしっかりと認識していた。
本能寺の変で信長を死に至らしめるまでの歴史的考察が描かれる。
目次
織田信長の孤独
織田信長の子供時代の様子が延々と描かれていた。
物語を構成する上で、信長がどれほど心の中に闇を抱えて孤独に過ごしていたか。
そして、たった1人の友達を持つことだけは許されるとなった時誰が自分の友達にふさわしいかを信長は子供の頃から決めていたような様子。
それが、徳川家康だったのだ。
それ以外は、父からの遺言もあり、また自分自身のストイックな性格ゆえに、誰も信用することなく、家来たちを競い合わせ手柄を立てるようにけしかけていた。
織田家中では、手柄を立てられなくなれば追放される。
今までのエピソードでも、そんな話は1つ2つあったような気がする。
織田信長は周りのものから見たときには、まさに魔王そのもの。
家康と信長
どうする家康で描かれる家康と信長のガチなやりとり。
家康は信長に媚びへつらう様子を見せながら実際は亡き妻と長男の仇を打つことだけを考えていた。
信長のせいで、瀬名も信康も命を落とすしかなかった。
そしてこの事件以降、徳川家康を演じる松本潤のテイストもすっかり様変わりしたと思う。
ドラマなので、本音を語る部分はもちろんあるが、通常は本心を明かさない。
言ってみれば歴史に伝わる狸親父の側面が前面に出されつつあるような。
しかし、そんな中でも信長と一対で話す時は家康の本心が出るように作られていた。
本来なら、信長に逆らえば、直ちに命を取られても致し方ないところ。
しかし、この物語では、信長と家康は対等なやりとりができる。
1人の男対1人の男の存在として設定されていた。
ただし、徳川家康は信長を親友とは思っていなかったはず。
お市の方
この頃お市の方は、夫浅井長政を兄信長に討ち取られていた。
お市の方は、3人の娘とともに小谷城から信長のいる岐阜城に落ち伸びてきていた。
この時、中心的な役割を果たしたのが豊臣秀吉。
お市の方の3人姉妹の家茶々を後の側室にする。
お市の方は、この物語上では、本来家康と夫婦になりそうな雰囲気だった。
家康はともかく、お市の方は大乗り気で婚姻できると思ったが、その時は家康は瀬名と結婚することになった。
実際のところはともかく、歴史上の有名人同士を巧みに結びつけようとする設定は、物語をおもしくする事はあると思う。
ただし、史実を知っている者としては、ただのドラマだなぁと拝見するばかり。
明智光秀の謀反
明智光秀が本能寺の変を起こした事は間違いない。
物語の設定として、我々は3年前の大河ドラマ、麒麟がくるをよく見ている。
このときの明智光秀の設定の奥深さは、ほとんど神がかり的と言って良いだろう。
当時の私が、この時のドラマを見て書いたブログがある。
この物語の設定が、実は今回のドラマの土台になってしまうのは、どうする家康の明智光秀がちょっと不憫に思う。
あまりにも薄っぺらで、品格にかけるから。
今回の物語では、明智光秀が単独で織田信長に謀反を働くような設定になっていた。
時は今雨がしたしる皐月かな
本能寺に進路変更する前に、光秀が読んだ句とされる。
歴史的事実ではないと思われたのは、本能寺が大炎上する中で、瀕死の信長と光秀がセリフを交わすシーン。
ここは明らかに捏造だなと感じた。
本能寺の変の時、光秀は本能寺のすぐそばにはいなかった。
計画の立案まではやったが、実際は自分の配下のものに本能寺と二条城を襲わせている。
つまり、信長と信忠の両方を討ち取った。
麒麟がくるの時も、光秀が直接本能寺に赴いたように描かれていた。
ドラマでは、細かい部分も絶妙に脚色されているので、1度ならず、2度3度とじっくり見なければなかなか細部にまでは理解しにくく出来上がっている。
本能寺の変
普通本能寺の変では、最初、無傷の信長が自ら敵と刃を交えていくうちに少しずつ負傷して、最後は自ら堂内の奥深くに入って自害すると言う設定になっていたと思う。
今回のは違っていた。
1番最初に体をやりで刺し貫かれている。
あの深い傷ではすぐに絶命しそうなところだが、そこはドラマなので、しばらくの間は戦えたようだ。
それにしても、信長が引き連れていた側近はわずか100名。
対する光秀は、一万3000の大群を率いていた。
実際は数千ずつの2班に分けていたはず。
本能寺と二条城の信忠を亡き者にするために、勢力を2分する必要があったのだ。
さて、描かれた物語では、家康にも殺害命令が出ていた。
そのため、家康の歴史の中で最大のピンチとされる伊賀越えの様子が来週にかけて描かれる。
この辺は割と有名なことながら、あまり知られていない歴史かも。
すべては来週にかけて詳しく描かれることになる。