くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

どうする家康 運命が動く

「どうする家康」が描く本能寺の変がどれほどのものなのかずいぶん前から注目していた。

もちろん史実にはっきり残ったことなので、歴史を改ざんすることにはならない。

今日の物語では、徳川家康や織田信長の心の闇が、こと細かに表現されていたと思う。

特に家康は瀬名と信康が亡き後は決して自分の心を見せなくなったと語られていた。

しかし、内心 譲ることのできない思いをたぎらせていたようだ。

それは、敵とも言うべき、織田信長を葬り去ること。

さらには自分自身が天下をまとめ上げる。

歴史的な考察は盛んに行われるが、この頃の武将たちの本心を語っていると思われる資料は驚くほど少ないのも事実。

信長公記や惟任退治記などそれらしい文献は存在しても、歴史的事実を伝えているとは言い難い。

今回の大河ドラマでは、驚くほど入念に家康や信長の本音が描かれた。

歴史ドラマとして見たときにどれほどの完成度なのか、見ている視聴者を引き込むほどの凄みは間違いなく存在したと言える。

もし、あえて多少の違和感を述べるなら、明智光秀の描き方に多少の軽さがあるのかもしれない。

我々視聴者は、何といってもあの「麒麟がくる」をしっかり見ていたと思うので。

あのドラマを見ていれば、明智光秀の人物像がどれほどのものなのか、偏見なく心に留めておいたはず。

鯉の洗いが臭う❓

目次

家康ギリギリのモチベーション

妻と子の敵を打たねば😰

歴史に伝わる内容では、徳川家康は自分の妻と折り合いが悪くて長男の粗暴な振る舞いにも悩んでいたと記録に残る。

ただ、この辺の記録をどこまで信用するかは受取手次第。

この物語では、

徳川家康はどこまでいっても、愛妻家で家族想いの設定になっている。

自分の妻子を信長によって亡き者にされた。

自分の大切なものを奪われたその恨み骨髄の気持ちは簡単に痩せるものではない。

その気持ちは間違いなく妥当信長に向かっていた。

この物語では、本能寺の変を画策するのは、徳川家康と言うことに。

しかし、物語の最後で描かれた本能寺の変は明智光秀が起こした謀反事件。

同時進行で、徳川家康の本能寺襲撃も計画されていたような内容。

そして、家康の企みは信長にうっすらと気付かれていたような描かれ方。

物語としては、かなりユニークで斬新だが、時代劇として完成度の高い仕上がりになっていたはず。

安土城

信長が家康をもてなす

画面の中に見事な安土城の様子が描かれていた。

もちろん、コンピューターグラフィックで作ったものだとは思うが、織田信長の力を示すにはもってこいの画像だと思う。

天守閣からやや離れた位置で宴会が催されるが、見上げた天守閣の荘厳さはいやがおうでも象徴として目の中に入る。

織田信長は徳川家康を家臣として向かい入れていたが、実際は腹を割って話せる数少ない同胞としても受け止めていたのかも。

今日のドラマでは、そんな様子も存分に伝わってきた。

織田信長の少年時代、父親に厳しく叱られながら学問に励んでいた様子など回想シーンが信長の心を表す意味で丁寧に描かれていた。

回想シーンでは信長の破天荒なエピソードはほぼ採用されていない。

織田信長といえば、周りを欺くためにわざわざだらしない格好をして傍若無人に振る舞っていたと伝わるが、そんな様子は物語には出てこない。

饗応役明智光秀

家康に毒を盛ることを提案 信長は却下

「麒麟がくる」を見たあとでこんな明智光秀を見せられると、残念な気持ちを禁じ得ない。

明智光秀は食事に毒を盛るなどの姑息な手段は用いないと誰もが考えただろう。

しかし、「どうする家康」では今までの明智光秀像とはまるで勝手が違う。

卑怯で小狡いイメージを優先させている。

その気になれば、おもてなしの席で家康を葬ることができると信長に進言。

信長はその申し入れをあっさり断っている。

宴会の席で信長から罵倒される😱

ちなみに本能寺の変は、この時からおよそ2週間後と案内されていた。

予告編でも流れていたが、明智光秀はこの辺のウラ事情で怒りをたぎらせて、本能寺の変に及んだとする設定にするつもりなんだろうか。

本能寺の変の実行者は間違いなく明智光秀だが、誰かがそそのかしているのではといまだに議論は絶えない。

信長対家康

本当は主人と家来 しかし2人きりの時は対等なやりとり

織田信長と徳川家康の真剣勝負のやりとりが描かれていた。

この時代、2人は主人と家来のはず。

しかし、物語の中で描かれたやりとりは明らかに本音対本音。

今まで本心を隠していたとされる家康だが、激こうして信長を罵倒するシーンとして描かれた。

そして、そんな家康に信長は不思議な連帯感を見出しているような描かれ方。

信長は自分の行動の手の内を明かしていた。

少ない手勢で京に向かうなど、何かあれば重大事件の引き金にもなりかねない。

実際には、そうして「本能寺の変」は起こった。

新釈 本能寺の変

光秀が信長を討つ

いまだに議論が途切れることのない「本能寺の変」。

事実関係だけが歴史に伝わるだけで、その詳しい理由が日本史史上最大の謎とされる。

物語の描き方として、徳川家康が着々と計画を進めつつあって実際に本能寺に火の手が上がる様子が予告編でも描かれていた。

事件を起こしたのは明智光秀なので、徳川家康はこの後どんな振る舞いをするのか大いに注目が集まる。

歴史に残る伊賀越えが繰り広げられるが、それは来週の話になるだろう。

徳川家康の本来の物語はこの辺から始まるものと理解する。