「どうする家康」が描き出す最も有名な戦国時代のひととき。
本能寺の変の後、明智光秀は山崎の戦いで秀吉に討ち果たされた。
その後、織田信長の後継者を決める清洲会議でのやりとりも物語の中では驚くほど簡単に過ぎ去っていた。
羽柴秀吉と柴田勝家の宿命の対立がこの辺のエピソードの真骨頂。
物語で描かれた登場人物たちの様々な心の内は、独特の味付けがなされていて我々が思い描いていた記憶とは一味違っている。
柴田勝家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れている。
歴史では、勝家と秀吉の争いとされるがこの物語では、その背後にお市の方の手引きが本当の理由として描かれていた。
賤ヶ岳の戦いは、勝家ではなくお市の方が画策したものと。
うまい具合に家康とお市の方は幼なじみでお互い別々の結婚をしていながら、いまだに心を通合わせつつ、何かのときにはお互い助け合う約束であることが物語の中で繰り返し強調されていた。
徳川家康はお市の方との約束を果たせないばかりでなく、秀吉と敵対せざるを得ない野心家として物語に登場。
そしてこれからのこの物語の布石だろうか。
わずか13歳のお市の娘茶々が驚くほどの決意を胸に秘め、母親の果たせなかった野望を相続する。
母親の1族がなしえなかった天下統一を自分が成し遂げると。
そして羽柴秀吉は邪心を信長からそのまま相続し、自分自身の格式を上げるためにお市や彼女の3姉妹を自分自身の妻とするべく愚かな欲望をたぎらせていた。
目次
家康の事情
本能寺の変の直後、家康は明智光秀討伐に出て行こうとしていたが、許されない事情も抱えていた。
それは、徳川領の周りが敵だらけだということ。
北には上杉が。
そして関東には北条氏が。
この2つの勢力が旧武田領をめぐって領土拡大のチャンスを狙っていた。
特に、北条氏は最後まで秀吉に立てついたことでよく知られる。
家康は、明智光秀の討伐に向かう前に、これら北方の勢力を何とかして封じ込める必要があったのだ。
本能寺の変は1582年。
その後の賤ヶ岳の戦いは1583年。
歴史の時系列で見ると、ずいぶん接近しているばかりでなく、どの事件がどのように関わっているのかいまひとつ知らないでいる。
賤ヶ岳の戦いにおけるやりとりは、家康の本にも逐一情報が届けられていたが、すぐには参戦できない切ない事情があった。
既に正室も長男も失ってしまった家康には側室しかいない。
しかし、ドラマの中で描かれた家族の様子は穏やかで安心できるものに設定されていた。
清洲会議のからくり
清洲会議の様子がナレーションと断片的な物語進行でさらりと描かれていたと思う。
織田信長は、本能寺の変で長男とともに家滅ぼされた。
この頃残っていたのは、次男と三男がいるわけで、この兄弟が秀吉にいいように利用される。
物語の中でも語られていたが、豊臣秀吉の持ち味は、人たらし。
彼は驚くほど簡単に周りの人間を凋落する。
よく言われることだが、この力こそが豊臣秀吉の最大の持ち味だとされる。
秀吉は謀反人、明智光秀を退治したことで、その後の政権の要に位置する存在に。
もちろん、信長の孫三法師に政治的な力があるはずもなく、秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、
池田恒興の合議制で織田政権を支えると言う。
しかし、それは方便とも言うべきもので、秀吉の独壇場になっていた。
柴田勝家は当然反発したが、コミニケーション能力に長けた秀吉には及ばなかったようだ。
秀吉と勝家
織田家の中でも勇猛果敢で知られた重鎮が柴田勝家。
この頃の勝家の年齢は60歳程度とされている。
この会議の直後にお市の方と再婚するが、その時のお市は36歳。
老齢に差し掛かった武将と30歳を超えた女ざかりの未亡人。
そう思えば、この2人には何か感じるものがあったのかもしれない。
物語の中では、お市の方が柴田勝家に言い寄る形で夫婦になる約束をしたと設定されていた。
実際のところは清洲会議で決まったことと伝わる。
しかし、あれだけ下世話な秀吉があっさりとお市の方をあきらめるとも思いにくいので、デリケートな力関係は想像してもなかなか見当がつかない。
譲れぬ想いお市
お市の方は、豊臣秀吉を憎んでいたとされる。
市の最初の夫浅井長政は、秀吉によって滅ぼされた。
その時は恨み骨髄だったに違いない。
そして、今回の本能寺の変の後の清洲会議は、秀吉の邪心がそのまま形になったように描かれていた。
物語の中では市は信長の野望を受け継ぐような設定で描かれていた。
秀吉を迎え撃つためだろうか信長に似せた甲冑を装着していたね。
この辺の描き方は時代劇そのものですべては脚色された物語。
勝家と秀吉の戦いとされる賤ヶ岳の戦いだが、勝家の後には市が総大将としてついているような描かれ方。
賤ヶ岳の戦い
史実に伝わる勝家と市は勝家が市を刺し殺したと記述に残る。
物語の中で驚異的だったのは茶々の描き方。
現在中学校1年生だそうだ。13歳にしてはずいぶん大人びて見えるね。
実は朝ドラでもお馴染みでエールに登場していた
それにしても、勝家と市の物語は悲劇としか言えない。
2人の辞世の句が今に残る。
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす
さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな
最初の歌が柴田勝家のもの。
その下がお市の方のもの。
彼らは覚悟の死を選んだ。
これからの物語の背景がどのように描かれるのか、この時代劇は驚くほどエキセントリック。