昨日の最後の方で、アメリカから帰ってきた祐一郎君が描かれていた。
彼がアメリカで何をして何を見てきたかが詳しく語られる。
ミシシッピ川にかかる巨大な橋の建設に携わったと言う。
土木技師として研鑽を積んだ彼は、日本に帰った後は再び北大に赴き、
そこで土木工学科の教授に就任する。
万太郎は祐一郎君の出世ぶりに目を見張る。
しかし、祐一郎君の口から語られた内容はアメリカで見た影の部分。
アメリカは世界に名だたる先進国として有名だが、南部の方に行けば未だ人種差別が当たり前のように存在するらしい。
よく言われる南北戦争の後奴隷制は廃止されたが、それは表向きの事だけで白人が有色人種を排斥し、忌み嫌う風習は全く改まっていないと語っていた。
祐一郎君は子供の頃神様の教えを学んだと語りつつ、実際に本場のアメリカではそれが現実だったと。
なるほどアメリカがピンキリの国だと言う事は、今でも全く同じ。
白人の優越主義は、今でも全く改まる事はないと感じる。
それに対する万太郎は、驚くほどまっすぐな道を歩いている。
彼は草花に一切優劣をつけずに、あるがままを平等に扱っている。
自分のことを当たり前と語る万太郎の言葉は、祐一郎の目にはとても大切な発言に思われた。
そんな中、ついにブラック田邊の身分にも、大きな動きが。
目次
名教館出身の2人
万太郎と祐一郎君は名教館時代からの幼なじみ。
彼らは小学校に上がる以前から英語をしっかり学んでいた。
この時代、外国語を学んでいる子供たちは、ごく少数派だっただろう。
このときの蘭光先生の人柄によるところが大きかったと思う。
大人になってからの彼らの進むべき道は、この時代からしっかりと培われていた。
祐一郎君の帰還
祐一郎君は最初北海道に赴任していたと思う。
そこからアメリカに渡ってミシシッピー川に関わる土木工事の任に就いた。
彼は土木工学の専門家として、この時代なくてはならない人材に育ちつつあったようだ。
川の土木工事は期間が限られるので、仕事がなくなる時期はは南部の方まで行って港湾工事に赴いたと語っていたね。
特に、人間が機能を追求して作り上げた構築物は美しいと語る祐一郎君。
彼の土木工学に対する心意気も感じられて、とても印象深く語られていたと思う。
アメリカの現実
南部で祐一郎君が見たものは、人間が人間を差別する淺ましい姿。
特に、有色人種は白人たちから蔑まれ迫害もあったようだ。
祐一郎君は英語が話せたこと、そして彼自身の土木技術者としての技術力の高さは他のものを納得させるだけのものがあったように思う。
それゆえに彼は大丈夫だったと語ってはいた。
しかしながら、多民族国家のアメリカは未だに人種差別と格差問題は全く改まっていないように見える。
アメリカの古くからいる大富豪は、黒人を奴隷として使役してきた歴史がある。
黒人やアジア人など有色人種を自分たちよりも劣っていると考えるしきたりは、年月が経っても全く改まっていない。
祐一郎君はアメリカの影の部分を見せつけられたことで、今更ながら自分の幼なじみ万太郎がどれほど特殊で素晴らしい存在なのかを認識することになった。
万太郎が貫く姿勢
万太郎は、どのような植物であっても、差別することなく皆平等に愛しいものとして受け止めていた。
実はこの事は当たり前のようでいて、本当は最も大切で、優れた資質だと祐一郎君は語る。
世の中で、本当に値打ちのあるものが何なのかをアメリカに渡ったことで、改めて思い知らされたような。
平等な価値観と一般的にいわれるが、実は一番難しいことなのかもしれない。
竹田邊教授に起こる異変
ブラック田邊は家族と仲良く暮らしていた。
妻の聡子は子供たち同様、夫の世話もかいがいしく行う。
物語上の事なので自由に設定できるが、バイオリンの腕前もかなりのもの。
確か演奏していたのは、バッハの無伴奏ソナタシャコンヌだったと思うけど。
その彼も全くあずかり知らぬところで、自身が校長を務める女学校が廃止になるとのニュースが。
ブラック田邊にとっては、寝耳に水の事態だっただろう。
彼は政府の仕事をやっていたことで、あちこちに政治的な駆け引きが存在していた可能性が。
特に当時の文部大臣森有礼が暗殺された事は田邊教授のこれからの活動にも大きな影響を与えると思われた。
今までとは同じ活動はできない。
今まで順風満帆に見えたブラック田邊の人生もここにきて陰りが見え始める。
もし、史実の通に描かれるなら彼はもうじき失脚するばかりでなく事故で命を落とす運命にある。
らんまんは厳しい事実をどのように描くのだろう。