いよいよ本格的な稽古が始まった。
スズ子も秋山も厳しい稽古内容にぐったり。
特にスズ子は作曲家の羽鳥善一から曲の冒頭部分だけを数百回歌わされる。
この場面を見ていて感じたのは、
作曲家と呼ばれる人種の音楽に対する姿勢。
どんな芸術家もそうだが、感性こそが命だと彼らは考えている。
自分の求める感覚に到達していなければ「違う!」と言うばかりで、具体的には何の説明もしないことがほとんど。
求められる者はひたすら思考錯誤しながら頑張るしかない。
スズ子の困惑ぶりが妙に生々しい。
そして一方の秋山は男の中に混ざって踊っているが、どうしても体力的に厳しいものが。
ダンスはほとんど肉体労働のようなもの。
男と女が同じ労働で頑張ったなら、女の方が明らかに不利なことは自明の理。
タップダンスの名手だった秋山も疲労困憊。
周りの男たちの中で、全力投球しようにもどうしても遅れがち。
描かれたエピソードは2人がレッスンする様子をもとに、スズ子たちの疲弊ぶりがとても印象的。
2人の前で松永は紳士的な振る舞いを見せ、作曲家の羽鳥はひたすらニコニコしながらも、求めるものに一切妥協はしない。
物語は、大阪の「はなの湯」のや下宿の小村夫婦の様子が花を添える。
目次
作曲家の矜持
羽鳥善一の求めるものは、具体的には示せない。
オーケストラや吹奏楽で指揮者が演奏方法について説明するときによく自分で声を出して歌って聞かせる場面が思い浮かぶ。
あんなんで何が伝わるんだろうと思うが、演奏家も指揮者も真剣そのもので思いのほか伝わるのだ。
作曲家羽鳥善一が言うには、歌い手が楽しくなければならないと言う。
スズ子は歌うことは大好きだが、果たして楽しいかどうかはぴんとこない。
感覚を説明するのは驚くほど難しい。
言葉にすればするほどわかりにくくなってしまうのが現実だろうと思う。
今から半世紀以上も前、吹奏楽をやっていた私にも充分思い当たる部分がある。
指揮者は口で歌って聞かせるよね。
そして、演奏する方は、必死で指揮者に集中しようとする。
作曲家羽鳥善一は、自分のイメージするものをどれだけ再現できるかに集中。
スズ子の🎼
稽古が始まると同時にスズ子は早くも行き詰まってしまう。
彼女は大阪で少女歌劇団のメインボーカルとしてそれなりの実績を持っていたはず。
歌うことに関しては、大阪では少なくともナンバーワンだったはず。
全力で歌っては見るものの作曲家の求めるものには、どうやら追いついていかない。
言葉にすると余計わかりにくくなるもので、いわゆる歌心って言うやつは楽譜とか決まり事とかがあまり通用しない世界。
そして彼らが今取り組んでいるジャズは、全てがノリと感性で出来上がっている。
昔から慣れ親しんできたクラシカルな習慣はまるで通用しないのが現実なのだ。
多分、スズ子は過去に経験したことがなかったんだろうと思う。
おそらくこの物語が進むにつれ、スズ子もこんなビジュアルでステージに立つようになるはず。
秋山の努力
秋山は今まで女の中だけで踊ってきた。
今回の踊りは男女混合。
男女とも全く同じ振り付けで踊っている。
秋山は、どうやら体力的な面で早くも壁にぶつかってしまう。
このままどんなふうに頑張りきれるのか、稽古初日なのでこの先の事はわからないない。
もともと努力家で真面目な秋山がこのまま脱落することは当然ありえない。
おそらく今味わっている挫折も乗り越えるものと想像する。
秋山の努力がどれほどのものなのか見守っていくしかない。
ジャズ
東京に来てみんながやっているのはジャズ。
ジャズはクラシック音楽やポピュラー音楽などとは明らかに性質が異なる。
リズムも独特だが、メロディーやハーモニーなどすべてジャズ特有のものが採用される。
さらには演奏家のその時のフィーリングが曲全体を支配している。
物語の今週のサブタイトル
バドジズは何の意味もない。
これはいわゆるスキャットと解釈。
はるか昔の話になるが、由紀さおりがデビューの時に夜明けのスキャットという曲を発表。
曲の前半がスキャットと呼ばれる。
もちろんジャズの場合ははるかに複雑で、込み入った使い回しがされる。
スズ子が苦労するのも無理からぬこと。
しかし、モデルの笠置シヅ子の当時の映像を見ると今でも全く遜色ないような素晴らしいパフォーマンスが見て取れる。
この物語では、やがてそんな状況も描かれるのではと思う。