今日のエピソードを見ていて、思わず涙ぐんでしまった。
戦争さえなければこんな事は起こらなかったんだろうと思っては見ても、それは歴史なので。
物語の中心に据えられていたのは、スズ子の幼なじみタイ子ちゃん。
彼女の人生が本人の口からセリフとして語られていた。
この時代なら同じ境遇の女性はたくさんいただろうけど物語の中で描かれることで、改めて太平洋戦争の隅々に至るまでのことが思い知らされる。
タイ子ちゃんの一人息子達彦は母親を支えるために靴磨きで生計を。
手間賃だけが親子2人の生活費になっている。
おそらくこの時代でもギリギリ最低限の生活だったろう。
ブギウギの主人公スズ子は幼なじみの力になりたいと様々な思案を巡らす。
今日描かれたストーリーは脚本家のフィクションだとは思うが、演じている役者たちや脚本家の丁寧な筆使いが物語の信憑性を増していた。
達彦に靴磨きをお願いしながら少しずつ距離を縮めていくスズ子。
タイ子と達彦の今までが少しずつ明らかに。
父親は戦死、頼れる人もいないので行商などをして暮らしていたようだ。
しかし、病気をしたタイ子は働けなくなり達彦の靴磨きが親子2人の命綱。
スズ子はおミネに相談して、一策を講じる。
おミネは
人はどんなに落ちぶれても自分の力で生きていきたい。
人からの情けにすがってはとても生きられないのだと。
自分で働いたお金ならまだ多少は納得できる。
達彦の靴磨きにお客さんの紹介をすることに。
しかし、タイ子の硬くな心は簡単に打ち解けることを許さない。
目次
おミネの分析
スズ子は愛子をおぶっておミネにタイ子のことを相談。
幼なじみが困っているので何とか力になりたいと。
おミネは鋭い洞察を見せる。
人間はどんなに落ちぶれても自分の力で立って歩きたい。
ただ情けをかけてもそれを良しとはしない。
タイ子の胸のウチを見事に言い当てていた。
どんな境遇に置かれても、人は自分の意思でしっかりと地に足をつけて歩きたい生き物なのだ。
おミネらしく自分で稼いで生きると表現していた。
そこで思いついたのが達彦の靴磨きにお客さんを紹介してもらうこと。
娼婦たちはハイヒールが商売道具なので願ったり叶ったりでちょうど良かったようだ。
靴磨き少年 達彦
達彦は母親から厳しく戒められていたようだ。
スズ子と関わってはいけない。
本当は誰彼構わず靴磨きをしてお金を稼ぎたい。
しかし、母親は東京ブギウギが嫌いで家で鼻歌を歌うことも禁じられていると語っていたね。
達彦本人は大好きらしいが。
おミネの紹介で娼婦たちがこぞって達彦の靴磨きのお客さんになってくれた。
かつてないほどの稼ぎで嬉しさいっぱいの達彦。
スズ子は達彦を励まし、何かの時は必ず力になると約束していたね。
幼なじみであり親友のタイ子をこのまま放っておく事はとてもできなかったのだ。
戦後の世の中の人たち
戦後昭和20年から25年程度までは真っ先に聞かれるのは食料難だったこと。
振り返ってみたときに、食料の調達は都会がより厳しかったように感じる。
田舎の方がむしろ得やすかっただろう。
東京を始めとする都会はよそから持ち込まれた食料に頼るしかないので、経済のシステムがまともに機能していない状況では、その日を生き抜くことで精一杯だったように感じる。
特に東京界隈は悲惨の極地だったのかも。
この頃のことを題材に描かれた小説に「野坂昭如の蛍の墓」がある。
妹を死なせ、自らもガード下で生き絶えていく1人の少年の物語。
この小説は何度か読み返したが、未来にわたって語り継がれるべき傑作だと思う。
物語で描かれるタイ子は夫は戦死したと語っていた。
そして頼るべき親戚もいない。
この時代の日本の悲惨さの象徴だったかもしれない。
タイ子の胸のうち
達彦の靴磨きの売り上げに疑問を抱いたタイ子。
よそからとってきたお金なら返して来なさい!
どんなに無様で惨めでも他人のものに手を出してはいけない。
タイ子が絶対に譲れない生きるための哲学だったかも。
今は地べたを這いつくばって生きていても自分の生きるルールだけは絶対に曲げない。
スズ子の頑固さも筋金入りだがタイ子も全く同じ。
病気で伏せっていても聞こえてくるのはスズ子の東京ブギウギ
同じ歳の女子なのに全く逆の人生を歩んでいる。
スズ子の助け舟は無様でめな自分がより惨めになる。
そのままボロボロに泣いてしまうタイ子。
これが戦争が終わった後の日本の象徴となるべき姿。
こんな事実を知らされたときに、一体誰に怒りをぶつけられると言うんだろうか。
切ないエピソードは明日決着を迎えるものと思われる。