南極料理人西村淳
目次
この方が南極の越冬隊員として料理人の立場で参加したことをまとめた本が南極料理人。
実は何冊も書かれていて、このオリジナルの体験記をもとに映画も作成され、テレビドラマでも放送される。
映画を見た限りにおいては、ユーモア溢れる8人の人間模様が実に面白おかしく描かれているのである。
南極大陸といっても、かつての昭和基地からおよそ1000キロ内陸部に入ったドームふじと呼ばれる施設。
日中の平均気温がマイナス50度前後。なおかつ標高3800メートルの高地なので、ちょっと動いてもすぐ息が切れるわけだし、何よりも水の沸騰温度が85℃ほどでおよそ料理などにも向かない世界。
そこでの1年間の滞在記録を描いているわけだ。
留萌市出身
西村淳さんの経歴を調べてみるとなんと留萌市出身である。
実は私も留萌郡の出身で、しかも同世代と言うことでとても親近感が湧いたのである。
高校がもし留萌の学校ならば、私も通っていたので記憶をたぐればあるいは遭遇していたのではないかと思いを巡らせたが、西村さんは高校は釧路のほうに入学していた。
なるほどそうなると会う事はなかった。
実は手前味噌になるが留萌は意外と有名人を輩出している。
もうなくなったが黒澤明の映画で主に音楽を担当していた佐藤勝やダン池田などは私の母校留萌高校の出身である。
なんとなく、音楽関係の有名人が多い気がする。あのトップギャランの森田公一氏も留萌出身である。
南極で1年間料理人を務める
実はこちらはテレビ番組用のポスターである。
映画の中でも南極に派遣されるいきさつが面白おかしく詳しく述べられていた。
本来は先輩が行くはずだったのだが、バイク事故を起こし急遽西村さん本人がその後釜として抜擢されたようだ。
映画の中で描かれていたが、本人は家族と相談して決めたかったようだが上司の一方的な命令で有無を言わさず派遣となったようである。
私の世代では、上司の命令はある意味絶対である。よほどのことがない限り、従うしかないと言う選択肢である。
オリジナルの本と映画とドラマと
俳優陣の中で主役の西村さんに扮しているのは堺雅人。
私の記憶の中では演技力に優れた実力者のイメージ。
映画よりもむしろテレビドラマの方でブレイクしていたきらいがある。
リーガルハイを始め彼が主演したドラマはみんな見ていて知ってるのではないだろうか。
あふれるユーモア
南極料理人の目から見て、1年間主に観測業務を中心とした越冬隊員たちの日々の楽しみはまさに食べること。
日々のノルマの中で、様々な業務をこなしていくのだが朝昼晩の食事は特別なもののニュアンスが強い。
作品の中で語られていたが、1年間1人の人間が飲み食いする水分や食べ物の量はおよそ1トンほど必要なのだそう。
莫大な量である。
それが8人分なのだから、単純計算で8トン必要なのだが、予備としていくらか保有するはずなので、およそ10トンと言うことに。
ちなみに水は南極大陸の氷を溶かしてこしらえていたようだ。
食物以上に水は貴重品で、とにかく節約節約である。
もし大量に、水を消費するようなことがあればそれは厳しく調査され、皆から注意を受けることに。
また食べ物の保管は、そのほとんどすべては冷凍か乾燥物である。
当たり前のことだが家畜を飼うわけにもいかず、野菜なども、菜園を作ることもままならず、もっぱらカイワレダイコンや豆苗などを簡単に育てたものを生野菜がわりにしていたようだ。
料理のメニューは、映画を見ていてわかったのだがその時の気分で食材を組み合わせて西村さんが作っていたらしい。
当然リクエストもあるわけだが、誰かが言い出したことがそのまま通る場合が多かったようだ。
伊勢エビを料理する件があった。実はエビと聞いてみんなが反応したのはエビフライ。しかし料理人の立場から言えば伊勢エビなどは本来刺身が妥当である。
しかしリクエストがエビフライである故に巨大なものを人数分こしらえて食卓に上ったところのシーンは傑作だった。
食材の管理は西村さんが一手に引き受けていたようだが、単調な生活が続く中では隊員達のつまみ食いとかもあったりして必ずしも思い通りにはいかない様子がコミカルに描かれていた。
まとめ
何せ食べることが唯一の楽しみとなった日々の生活。
その中で隊員たちのリクエストは、食材としてストックしていたものがなくなってもなお食べたい要望が出てしまうようだ。
ラーメンの麺がなくなった時に 、ラーメンの要望が出て、それをその時の機転でこしらえてしまうあたり、さすがに鍛えられた料理人の真骨頂を見た気がする。
食材は最初から最後まで限られたものとみなければいけない。
当たり前すぎることだが、現地調達はありえないのである。
このラーメンを食べているシーンでの傑作なエピソードは、空に素晴らしいオーロラが出現して観測の必要が出たときに、報告を受けた隊長が「そんなものは放っておけ、ラーメンが先!」
このギリギリの日々の生活の中で出てきた偽らざる言葉だろうと感心する。
どんな場合でも、人はやっぱり自分の欲望を切り捨てるわけにはいかないのだ。
ユーモアの中にも、それぞれの人間模様の本音が散りばめられていて古い映画ながら引き込まれて見入ってしまった。
南極料理人の西村さんはその体験の中から使い回しをして食べ残しをほとんど出さない料理方法の啓蒙運動に勤しんでいる。
今や日本を始め廃棄食物の量は莫大なものに上っている。
これだけの食料を廃棄処分にしておきながら世界のレベルでは満足に食事もできないような人たちが大勢いるのだ。
映画はコメディータッチに描かれてはいたが、その意図するメッセージは非常に重く深く考えさせられた。
食に対する社会全体の考え方も見直しの時期に来ているのかもしれない。