今週のお題「わたしと乗り物」
大学在学中に運転免許を取得している。
私の車の運転歴は、ほぼ半世紀になろうとしている。
持っているのは普通免許なので当然大型車とか特殊車両は運転してはいけないのだが、かつて若い頃勤めていた会社は道路のメンテナンスをする会社。
実はその会社では私は運転をせずに、もっぱら平人足として、ひたすらスコップとツルハシを振るう仕事をするつもりだった。
しかし、自分の思い通りにならないことが世の常で、仕事をしていて運転手の頭数が足りない。
お前 免許持ってるんだから運転してみろ!
それが私が車の運転を本格的に経験するきっかけになったと言える。
目次
実は、私は自分で車を購入した事は無い。
この車は亡くなった母親が乗っていたもの。
その車を私がそのまま受け継いで今に至っている。
相当古い車で、あちこちに凹んだりもしているが、私的には運転しやすくて、日常の移動はほとんど全部この車で用を足す。
私の年齢は、すでに還暦を大きく超えて、最近考えるのは時期を見て免許を返納すること。
高齢ドライバーのお粗末な事故が ずいぶん問題になったことがあった。
私ももうすでに若い時のような運転に対するひらめきは無い。
やがて運転が億劫になる前に免許をお返しして、最寄りの公共交通機関を利用しようと考えている。
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免許を取ったときはペーパードライバー
私の免許証は、昭和48年が、最初の登録。
ずいぶん昔の話。確か大学1年の時に本検の路上試験で1回落ちただけで2回目で何とか受かった記憶が。
最初の免許を取ったときには、免許証はそのままポッケに入っていただけで、車を運転するようなチャンスはなかった。
しかし様々なアルバイトを経験した私はある時、縁があって、道路のメンテナンスをする会社で何年間かお世話になったことが。
その会社では主な車は皆4t車で、普通免許さえ持っていれば運転できる触れ込み。
ある時、運転手が足りなくなって駆り出されたのが運転をし始めた最初。
初めてハンドルを握ったときに、運転席の高さにカルチャーショック。
この頃はシートベルトなど義務付けではなくて、要はハンドル握ってクラッチさえ踏めば、普通にギアチェンジをして車を動かすことができた。
このとき、初めて知ったのだ。
トラックは発進のときの際は通常はセコンドから。
ローは緊急脱出用と 後から聞いて知った。
とにかく、ギアがどんなふうに動くのかを頭の中で反芻しながら、車の幅もろくに理解できず、世田谷通りを町田から向ヶ丘遊園まで頑張って運転してきた記憶が。
免許を取ってから初めて挑戦した車が4t車のしかもパワステも何もついていないレトロなタイプの車だったので、とにかく腕力は相当ついた記憶がある。
この最初の運転をきっかけとして、4 t車の運転は通常の仕事でも頭数に加えられて、ほぼ毎日運転をすることに。
前を向いて走る分については、慣れてくればある程度何とかなってくるもの。
私が苦労したのはバック。
道路の仕事をする車なので、真後ろは見えずに、両側のミラーを見てバックしなければいけなかった。
これが慣れないと、どっちにハンドルを切っていいのかわからず、先輩にこんこんと叱られながら何ヶ月か かかって技術を習得した記憶がある。
しかし、ここでしっかりしごかれたおかげで、私の運転技術はこの時にほぼ完成したと思っている。
4 t車はトラックの中でもどちらかと言えば非力な車。
道路の事情に合わせてしょっちゅう適正なギアを選ばなければ、ずぼらな運転では車は思うようには走らない。
ギアチェンジなどもこの時に適正なギアが選べるようにしっかりと訓練してもらった。
道路のメンテナンスの仕事で無理矢理運転をすることに
運転をみっちり仕込まれた私は、運転手としてほぼ1人前に活動できるように。
毎日車に乗るのと、道路のメンテナンスの仕事をすることが日課なので、運転はいやがおうでもうまくはなっていく。
そしてこの時教え込まれたのは、道路そのもの。
神奈川県の会社に勤めていた関係で、神奈川県1円、東京都内主な道路は大体頭の中に入ることに。
もちろん遠くまで行くときには高速道路も使うのだが、あの当時、首都高速が300円程度で乗れたと思う。
今は一体いくらするのだろう。
実は私がやっていた仕事は、会社の仲間内は皆私の年上の人たちで、私ともう1人位が若い兄ちゃんで下っ端だった。
およそ10人ほどの小さな会社である。
1月に1日だけ車のメンテナンスと称して仕事を休んで、車のオイル交換やエレメントの交換をすることに。
実はこのメンテナンスの日だが、先輩たちは全く仕事をしない。
私と、もう1人の兄ちゃんと2人で全部で10台ぐらいある車のオイル交換をするのだ。
道具や何かは全て揃っていて、やり方さえ教えてもらえればそれほど難しいこともないし、いちどに2台か3台ずつやれば、とっとと終わる作業。
しかし、普通免許しか持っていない私にとって都合の悪いことが1つ。
全部の車の中には大型車が2台ほど含まれていた。
免許を持っていないので、しょうがないから先輩のところに、車を動かしてくださいと頼みに行ったところが、先輩曰く、
「お前、普通に運転できるからその大型も運転できるよ。
運転は変わらないからやってみろ。
鍵は車についてるからわかるだろう。」
実はこのときの経験がもとで、大型車の運転も普通にこなすことができるように。
いざハンドルを握って運転し始めれば4t車よりも運転しやすいのが大型車の特徴。
タイヤが4t車とは比べ物にならないほど大きいのと 、エンジンのパワーがまるで違う。
一旦ハンドルを握って運転して慣れてしまえばこちらの方が圧倒的に運転しやすい。
こうした経験で、私はほとんどの車は自在に動かせるようになったと思う。
今の車はどうかわからないが、この当時の大きな車はメインスイッチがあって、まずそのスイッチを入れなければエンジンをかけることにはならない。
メインスイッチがどこにあるかをまず探さなければいけないが、運転席の前のフロントパネルにあるとは限らない。
座席の後ろの簡易ベッドのところだったり、車から降りたキャビンの横だったりすることもあった。
しかし、こうした様々なことをすべては経験でこなしていけるようになる。
運転は好きかも
歳をとってからは運転をすることが少し億劫になりつつある。
つい2〜3年前までは、札幌ぐらいまでの往復は普通にこなしていたのだが、今はよほどでなければそんなに遠出はしたいと思わない。
片道120kmほどだが。
しかし長年ハンドルを握り続けてきた経験は、ほとんど体の中に染み付いていると言える。
何とかマイカーも乗り換えてはきたのだが、幸運なことに私は必ず誰かが乗っていた車のお下がりを運転させていただけることになってきた。
そうやって乗り継いだ車が、今の車で5台目になるだろうか。
何度か死ぬほどの目にあったこともある。
冬道でスリップをして、石狩川に墜落しそうになったことも。
道路でスリップしたことも冬ならば数限りなく。
実際、そういったリスクを背負うことで私の運転技術は進歩してきたと言える。
速く走ることが目的ではない。
いかに道路の状況を的確に読むことができるか。
何十年も運転してきて結果として言えるのはその辺。
運転技術の本体はどうやら目には見えない。
体に染み付いた感性とも言うべきものが、運転技術の本体なのかも。
できることならば、ゆっくり時間とお金をかけてあちこち回って歩きたいなと思うのは山々なんだが、貧乏暇なしであいも変わらず 日々生活に追われているのが実情だ。