テレビを見ていて、たまたま出ていたマリアカラスの特集番組。
20世紀を生きた者として、声楽家としてのマリアカラスの名前はよく知っている。
しかし、その評判とは裏腹に彼女の歌声をきちんと聞いたこともなかったし、またどのような人生を歩んだかも断片的にしか知らなかった。
実は今から50年近く前、彼女が主演したイタリア映画“王女メディア”を映画館で見たことが。
その時の圧倒的な存在感が今でも記憶に残っているのでこれを機会に少しおさらいを。
目次
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声楽家マリアカラス
彼女が活躍するようになってから、オペラのソプラノ歌手の存在価値が変わったと言われている。
彼女は歌唱の隅々にまで 気を配り、心を込めて歌ったともっぱらの評判。
それは歌うだけでなく演技もきちんと行ったことが評価を上げることに。
しかし言葉で如何様に批評をしてみても、当時の直接耳で聞いた人たちの感想が最もものを言うのではないか。
彼女の歌声を聴いた人たちは、皆彼女の虜になり、ファンになって彼女を支持し続けた。
オペラの歌い方なので、専門的には『ベルカント唱法』と呼ぶ。
これは日本語に訳すと『頭声』といって、声を発するときにその声があたかも額から放たれるかのように意識して発声する。
具体的にどのような と言われてもなかなか答えにくいが、要するによく訓練された歌声が遠くまで響くように発声される方法。
このような歌い方が欧米に置いて発展したのには容易に想像できる理由が。
このようなオペラなどの舞台では、初めて演じられた頃は電気も何も照明もなかった。
当然のことながら音を増幅させるマイクもなかったわけだ。
このような条件の中で会場の隅々にまで発声した音を届けるにはどうすれば良いか。
そうやって編み出されたのがベルカント唱法。
なるほど理由を考えればわかりやすい。
ちなみに同様のコンセプトで作られたのが日本の歌舞伎や能。
これらの舞台も、照明もなくマイクロホンもない状態で隅々にまで情報を届ける。
特に歌舞伎の奇抜な化粧方法は、薄暗い中でも目鼻立ちがはっきりと認識できるようにわざわざデフォルメしてあのような形に。
このような舞台は、西洋それから日本問わず、薄暗い中で演じられるのが最も雰囲気が出るのではないか。
マリアカラスはそういった時代の次に来る歌手。
彼女が活躍する頃になってからマイクもきちんと発達してきたし、照明もきちんと浴びるように。
しかし、こういった歌手たちがステージ上で発声器官を酷使するのもこの時代から特に指摘されるように。
マリアカラスは、その極限での発声方法がたたって、全盛期の活躍期間は15年ほどと言われる。
彼女はわずか53歳で亡くなっているので、中年以降はその本来の輝きは陰りが見えていた。
彼女の歌声は様々に残っているが、どちらかと言えばイタリアオペラの得意な彼女。
日本人向けの曲は次の曲なんかどうだろうか。
ゆったりとたおやかに歌う彼女の歌声は時代を超えてとても魅力的に感じる。
驚くべきダイエット
彼女は若い頃、というか幼少期の頃から、母親に声楽家としての英才教育を施されていた。
母親の方針で優れた歌い手は、体にしっかりと肉がついていることも大事としてとにかくふくよかな体型にされたようだ。
確かにたくさんいるオペラ歌手の中には体重3桁に届くのではなかろうかと言う巨漢もたくさん存在する 。
それは男性女性を問わない。
しかしそのような母親の教育方針をマリアカラス自体は素直には受け入れられなかったのだ。
母親とはずいぶん確執があって、1時105kgまで増えた体重を60kgまで落とした経緯がある。
マリアカラスに聞くとその方法は脂肪の少ない鶏肉と野菜を中心に食べるダイエットと答えているが、調べてみるとかなりマニアックな方法を試していたようだ。
“それはお腹の中に寄生虫(サナダムシ)を期間限定で飼うこと。”
このダイエット方法は究極のダイエット方法として私自身も個人的に知っていた。
ちなみに医療機関で施してくれる方法ではない。
このダイエット方法は、私が知るところでは期間限定、2年間の間だけと言われる。
お腹の中に1匹のサナダムシを飼うのである。
人間が食べた栄養はサナダムシが直接吸収してしまうので、痩せる効果は絶大とされる。
聞くところによると若干の副作用があって、時々“軽い腹痛”と“軽い下痢”があるそうな。
実はこのお腹の中にサナダムシを飼う方法は、アレルギーの究極の治療でも有効とされる。
アレルギー体質の人は、自分自身の免疫が過剰に反応するために起こること。
つまり自分自身の免疫の攻撃対象をサナダムシに向けさせる。
そしてこの治療法も期間は2年間とされているようだ。
なぜ2年間にするのかと言うと、2年経過すると、中のサナダムシは繁殖を始めるらしいのだ 。
そうなると後々、副作用の方が勝ってしまうので、2年経ったなら駆除剤を使って体外に排出してしまうとの事。
この方法を考案したのは、“寄生虫学”の大学の先生。
テレビで見た方法なので、もう昔の話で名前も忘れてしまったが、その時にはアレルギーの治療法として紹介されていた。
どうやら“マリアカラス”は聞くところではこの方法を使ったと言われている。
とにかく見て分かる通りのエキゾチックな魅力的なビジュアル。
そしてずば抜けた歌唱力。
彼女の真骨頂はトスカとか椿姫とか。
映像も1部残ってはいるが、全盛期の頃のものではなさそう。
思わずどうして?と思ってしまう男性遍歴
マリアカラスの結婚相手は、言い寄る男たちがみんな高齢だったような気がする。
カラスは同年代の男性と付き合った事はなかったのだろうか。
正直なところを言えば男運が良いとはとても思えない。
そして彼女の生い立ちを見ても、どうやらファザコンぽいのである。
彼女の主な教育係は母親だったし、様々なマネージメントも母親の役割で、後にお金に関しては随分と確執があったようだ。
そしてマリアカラスを別な意味で有名にした事件はあの“オナシス”との不倫。
彼を見ていて感じるのは、“英雄色を好む”ではないが、女と見れば見境なく口説いてみたくなる“男のよからぬ本能”が見え隠れする。
マリアカラスは結婚して10年経った時に(37歳の時)オナシスと出会って結婚を解消しているのだ。
カラス自身は心からオナシスを愛していたようだ。
しかし、オナシスは実際のところ結婚はあの有名な“ケネディ元大統領の夫人ジャクリーンと再婚しているのだ。
この事件によってマリアカラスは“裏切られた女”としてパパラッチの格好の餌食になった。
この事件はオナシスの心ない行為を非難するそういったことで記憶に残る。
もっとも結婚したオナシスもジャクリーンにはほとほと困らされたらしい。
夫である大統領を失ってからは、その傷が言えないだろうとのことでジャクリーンに好きなものを買って良いとの許可を与えていたらしいのだ。
その結果オナシスのもとに届く毎月のジャクリーン付の請求は数千万円に上ったと言われている。
さすがのオナシスも音を上げたようだ。
女癖の悪い男と、男運の悪い女 私の中ではそんな印象として記憶に残る。
ジャクリーンと別れた後のオナシスはカラスとよりを戻そうとした。
実はこの時オナシスはカラスを訪ねて行っているのだ。
このときの様子がたまたまカラスが友達と電話で話していたことが記録に残っている。
友達とカラスの会話。
『どうしよう、彼がやってきてドアをノックしている。』
『絶対に開けちゃだめ!知らんふりして帰るのを待ちなさい。』
親友の助言もむなしく、カラスはオナシスを部屋に招き入れるのだ。
男と女のこととは言え、なんともやるせない気持ちになるではないか。
まとめ


この映画が封切られたときに、私は友達と2人で見に行った。
映画自体はかなり暗い作りになっていて、マリアカラスにもセリフらしいセリフはそれほどなく、暗い表情でうつむき加減の演技が記憶に残る。
“王女メディア”が泣き叫ぶシーンがあった。
その時の様子がさすがにオペラ歌手だなと思わせるに足るだけの迫力だったと思う。
どのようないきさつでこの映画の出演依頼を受けたかはわからない。
写真を見る限りではカラスとパゾリーニはかなり仲良しに見える。
私が知る限りでは、パゾリーニは確かゲイだったと思うので、男女の関係にはなりにくかったのではないかと。
イタリアオペラで活躍した歴史があるのでそのつながりでイタリアのヌーベルバーグの映画監督に起用されたのかも。
また知り合いの映画監督にゼフィレッリがいる。
彼はあのオリビア・ハッセーのロミオとジュリエットの監督。
手前のマフラーをした男性がゼフィレッリ監督。
相当なイケメンである。
マリアカラスの一生の中で、特に注目すべきなのはその死因なのかもしれない。
彼女は中年になったばかりの53歳で命を落としているのだ。
有名人にしてはあまりにも若すぎる死。
マリリン・モンローの時と同様に暗殺説が語られている。
公には急性心筋梗塞で亡くなったとされているが。
彼女の様々な情報をまとめてみると、セキュリティーの甘さがあちこちに見え隠れする。
毒殺説を唱える人も、彼女の知り合いのピアニストが財産を横領するために仕組んだことなどと言ってみたり、それ以外にも様々な金銭トラブルが見えてくる。
そのどれもが、いまひとつはっきりしないので真相は闇の中と言えるだろう。
しかし、今ビジュアルや音をもう一度見ても、魅力的であることには違いがない。
そのせいもあって21世紀に入ってからも様々な映画や伝記などが撮影されている。
彼女が亡くなってからもう40年以上も経つので、そのせいもあるからだろうか。
20世紀を代表する歌手として、今でもその魅力は輝き続ける。
現代の、最新の健康法を取り入れて活躍したのなら、もっともっと活動期間は長く維持できたはずなのに。
思い出すたびに少し残念な気持ちが湧いてくるのは私だけだろうか。