くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

日本人とピアノの関わり

 

コロナ騒動がなくてもテレビっ子なのでテレビはよく見るんだけれど。

ただし、バラエティー番組などは基本的に苦手なので、どちらかと言えば歴史とか科学とか映画関係の特集番組を見ることが多い。

今回たまたま見かけたのはピアノの特集番組

実はこれ調べてみたら3年前の放送の再放送。

日本にピアノが伝わってから発展に至るまでの歴史を細かく調べていたのでとても興味深かったと思う。

ピアノって言えば、私はヤマハピアノに材料を納める会社に30年勤めあげた

そのせいもあってピアノの部品、とりわけアクションと呼ばれる細かい細工部品はそれなりに勉強もして詳しかったと思う。

そういったこともあってとても楽しめたもので。

目次

f:id:kuwa3972:20200409201036j:plain

番組のレポーターをやっていたのがカトパン

元フジテレビアナウンサー加藤綾子のピアノの実力

f:id:kuwa3972:20200409201236j:plain

ショパンのノクターンを弾いていたけどかなりうまい

フジテレビの元アナウンサーでカトパンの愛称で人気1 2を争う位の超売れっ子

今はフリーになったのでどこのテレビ局にも神出鬼没といったところか。

現在30代の半ばになって女性としても脂が乗り切ってきたところだが、

彼女は国立音大のピアノ科の出身

小さい頃からピアノを始めていて専門的に勉強しようと思うくらいだからかなりの腕前である事は確か。

彼女の演奏したピアノはこの番組でやっていたショパンのノクターンとシューマンの子犬のワルツをバラエティー番組で演奏していたのを聞いたことが。

ピアニストとしての感覚が普通に感じられるので、かなり引き込んでいたんだろうなと思わせる。

他にもピアノを弾く女優さんとか松下奈緒とか知っているが同じような匂いがしたもので。

加藤綾子はフジテレビに入社するときの試験の様子もYouTubeで流れて見ることができるが。

アナウンサーの自分自身のアピールの中でもピアノを学んできたことを強調していた。

自らもピアノ演奏するのでピアノの歴史その他をレポートするのも得意だったように感じたが。

今回やったのは、特に明治以降日本にピアノが入ってきてからの歴史をたどること。

確かにテレビを見ていて私も目からウロコの事実が目白押しだったと思う。

Tマガジン 【fafra シューパウダー】

恥ずかしながら初めて知った木村ピアノ

f:id:kuwa3972:20200409201322j:plain

もともと家具職人だった木村兄弟が数台作ったのが日本初のピアノ

実は日本に初めてピアノを持ち込んだのは長崎の出島に出入りしていたあのシーボルトが最初と言われる。

シーボルトは日本の幕末に渡ってきたオランダ人で、日本の医療の発展に寄与した人との認識が一般的。

しかし実は、ピアノの腕前もかなりのものがあって、彼が日本から引き上げるときに残していったピアノが現存する位。

そして日本民謡のメロディーラインなども取り入れた作曲もこなしていた。

その彼の作った曲がそのままマスカーニの歌劇に使われていたりもしているようだ。

そういったレアな情報はなかなか知るチャンスはなかった。

初めて日本に伝わったのは江戸時代の末期になるので19世紀の中頃になるか。

そこからの出発と言える。

何よりも最初に聴いたピアノを自ら作ってみようとした家具職人の木村兄弟の業績はとても大きいと言える。

近所に外国製のピアノが1台あって、そのあまりの響きの美しさに感動してピアノを調べ上げて自ら作ろうとしたのだ。

3年かかって完成したと聞いている。

しかし手作りで2人で作業していたので、実際に作れたのはわずかに数台だけ。

その最後の1台をテレビで紹介していた。

ヤマハピアノは後発メーカー

f:id:kuwa3972:20200409201547j:plain

ヤマハのコンサート用最高級品 CFシリーズ

今でこそヤマハは日本でも世界に知れたピアノメーカーとして名前を馳せているが、最初の楽器に関わるのは足踏み式のオルガンの修理から始まったと言える。

ヤマハを創業したのは山葉虎楠

彼は20世紀の初め頃まで存命だったが1897年に資本金100,000円でヤマハ楽器製造を起業した。

そして1900年ちょうどにピアノの製造を志して作り始めたと聞いている。

私はヤマハの下請会社に勤めていたのでヤマハのピアノに対する実績もある程度把握していた。

私がピアノに直接関わるような仕事をしたのは昭和54年から昭和59年まで

この時がヤマハの絶頂期だったと言えるだろう。

毎月膨大な数の製品を収めていた。

この当時のヤマハは年間でピアノの生産台数が30万台と呼ばれた。

はっきりってとんでもない数。

普通大手の著名なピアノメーカーだって年間に10,000台作るところなんかない。

せいぜい作っても1000台が良いところではないだろうか。

その経営規模だけは他を圧倒していたのだ。

ただし、内輪で仕事をしていたものの率直な意見を言わせてもらえば、ピアノの販売台数ほどにはピアノ自体の評価は普通だったのでは。

やはりピアノの最高級品で思い浮かべるのはスタンウェイである。

主なコンサート会場でよく見かけるピアノの約半分がこのメーカーを使っているだろう。

ピアノは歴史とともにマイナーチェンジを繰り返す

f:id:kuwa3972:20200409202356j:plain
f:id:kuwa3972:20200409202406j:plain
左ベートーベンが使ったもの、右スタンウェイ現在の製品

ベートーベンが使っていたピアノは現代のものに比べれば鍵盤の数も少なく、今とは使い勝手が異なるようだ。

びっくりするのはペダルの多さ。

なんと5本も用意されている。

普通ピアノで足ペダルと言えば3本ぐらいだろうか、まれにイタリア製のピアノで4本ペダルのものも存在するが。

そのことを考えると今とは使い方が違うのかもしれない。

スタンウェイのピアノが現代のピアノの中では最もポピュラーで使われていて支持されていると言える。

日本のメーカーではやはりヤマハが第一に名前があがってくるだろう。

ヤマハの愛用者はプロの中でも何人か見かけるし、またコンサートホールに備え付けてある最高級品のピアノの中にヤマハのロゴを見つけることもある。

ピアノは、木工製品なので、狂いが生じやすい楽器であることは間違いない。

またアクションと呼ばれる稼働する部分は常にピアノを弾き続けないと本来の性能を維持することができない

調律もこまめに行わなければ音は狂いがち。

何十年も埃をかぶって置いておいたピアノなどは、ほとんど演奏には耐えられないだろう。

しかしいろんな場面において、ピアノの果たす役割はとても大きい。

今では電子的な楽器にとって変わられる場合もあるが、ピアノ本来の値打ちは電気的に置き換えられない奥行きがあるものと思う。