今週のお題「激レア体験」
私の人生は、 平凡な人生だと思っていたので、特にびっくりするほどの事は記憶に何もないと。
でもまだ覚えているけれど、1984年冬、この頃は初めて京都に冬に出向く用事があって、千歳から関西空港まで飛行機に乗る直前だった。
日付が記憶に間違いなければ2月の8日ないしは9日だったと思う。
ちょうどお昼頃の千歳空港で中は人混みでごった返していた。
どこかでお昼ご飯を食べようと飲食店街を物色していたところがどこも皆満員。
私たちの仲間はちょうど4人程度だったと記憶。
4人が同じような席に着席できるとすれば相席しかないなと。
そんな時、途中で見つけた一軒の蕎麦屋さんがわずかばかり席が空いていたように見えてみんなで飛び込んだのだ。
どうしても相席にならなければならない状況でふと見たところが向かい合わせでそばをすすっているご夫婦。
それがなんと加藤登紀子ご夫妻だった。
目次
ちょっと気後れしたけれどそこに座るしかなかったので流れの中で、私が座ったのはぎゅうぎゅうづめの加藤登紀子さんのすぐ横。
多分私の体の右側は加藤登紀子さんに完全に密着していたと思う。
そして目の前にはなんと細面のご主人がかしわそばか何かを食べていたと記憶。
なぜか加藤登紀子さんは何も食べずにご主人の食事を眺めているだけで、さすがに見ず知らずの人なので話しかけることにもならず緊張で固まった私が、多分10分程度一緒にいたのではと思う。
私は、学生の頃から加藤登紀子のファンでレコードその他も何回も聞いたことが。
私の激レア体験と言えばそんなもの。
学生時代の懐かしい思い出加藤登紀子
日本の歌謡曲の歌手でシンガーソングライター。
彼女の経歴で特筆すべきは旧満州生まれで東大を卒業していること。
そして、シャンソンコンクールで優勝している事実。
彼女の歌う曲はジャンルとしてはフォークソングっぽく扱われるけれど、どちらかと言えば古いシャンソンにスタイルが似ているのかも。
彼女の歌った曲の中で大好きなものを紹介してみたい。
このアニメで声優としても出演していたね。
世代的に私はこういった歌声に憧れる。
初めてこの曲を聴いたときに地元フランスの誰か歌手が歌っているんだろうと。
しかし実際は違ったね。
確かによく聞けば加藤登紀子の声だった。
私の時代だともう本音で生きる事はほとんどできにくかったと言える。
たいしたやりたいことがあるわけでもないので、普通にサラリーマンやって死なない程度に食えればいいんだろうなと思いかけていた頃、加藤登紀子はまさに本音で生きた人だろうと。
彼女のご主人藤本さんは全共闘の委員長にして学生運動の闘士。
イベントに加藤登紀子のパフォーマンスを依頼したことから2人の間が接近したと聞いている。
結婚に至るまで何度もデートを重ねて、そして妊娠。
さらに追い打ちをかけるように逮捕劇となった。
彼は刑務所に収監され、最初の子供が生まれるときには獄中だったようだ。
自分が正しいと思ったことを損得抜きにやった人たちはとりあえず周りに合わせようとする私にとっては憧れ中の憧れだったのかも。
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生き方に憧れたことも
夫婦はずいぶん仲良しに見えるけれど加藤登紀子さんの自伝を読んだことがあるが、何度か夫婦の危機を乗り越えてきたようだ。
彼女が述懐していた。
私たち夫婦はもうダメなのかなぁ😭
何度かそう思ったことがあったと書いてあったね。
しかしご主人が亡くなられた後のインタビューでこうも語っていた。
私はいろいろあったけれど1人の男と夫婦として添い遂げることができた。
自分の人生に納得していると。
この言葉の持つ意味はとても重い。
私などもかなりの年齢になったが自分の人生にどれだけ納得できているのだろう。
他の人と比較すると恥ずかしくなるばかりなのでなるべく能天気に自分のことのみを考える。
しかし、あの時空港で本当に密着してわずかな時間間横に座っていたんだよね。
私の人生の中でも特に記憶の中にはっきりと残る2人なので、この体験もほとんど誰にも話した事は無いけれど数人の人は知っている。
あの時横に座ったむさ苦しいおっちゃんが私だってことを加藤登紀子さん今でもご存知かな?