くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

麒麟がくる

 

さてこの大河ドラマの残りの放送回数は今日を除くとあと5回となった。

このドラマの最も大きなエピソードは言わずと知れた本能の変

歴史的なこの重大事件を一体どのように設定してどのように描こうとするのか。

今まで様々な研究によって、怨恨や危険人物の排除説など様々な理由が語られてきたが、

麒麟がくるでは果たしてどのような理由を採用しているのか。

大いに興味が湧くところだが、主人公が明智光秀であることを考えれば、本能寺の変の後 山崎の戦いで光秀は秀吉に敗北するまでが全ストーリーになるだろう。

今はまだ織田信長のもとで必死に働こうとしている最中。

残りの放送は決して見逃すわけにはいかない。

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織田信長の傍若無人な振る舞い

目次

お名前.com

信長と家臣団の思惑の差

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信長は独断先行 周りの意見を聞き入れようとはしない

本願寺を責めるにあたって、思いのほか激しい抵抗にあって苦戦をする光秀たち信長家臣団。

本陣に喝を入れるために信長が参上してきたが、まるで周りの者の意見を聞こうとはしない。

現場の苦労を全く顧みることなく、自分の思い込みを貫き通そうとしてついに負傷。

そんな信長を死に物狂いで守ろうとする光秀だったが、ついに連続する戦疲れが出てしまって倒れてしまう。

手にも負傷を負っていたため、戦場で崩れ落ちるように気を失ってしまうのだ。

この頃 信長は天下布武の号令の下、ひたすら勢力拡大を画策していた。

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こちらが天下布武の印鑑

特に京都とは1線を画して、琵琶湖のほとりに巨大な安土城の建設も始まっていたのだ。

この安土城完成の直前に光秀の居城坂本城が琵琶湖の対岸に完成している。

信長の家臣団の中でも光秀の信頼は破格の扱いを受けていたはずだが、光秀は実力以上の要求をまともに受け止めて疲弊しきっていたのだ。

ついに光秀倒れる

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戦に次ぐ戦 休む間もなかった

光秀はこの時、まだ丹波平定を完成してはいなかった。

この要所を平定するためには 戦以外の方法はないように思えたのだが、信長の勢力範囲の1歩外側には反信長勢力がまだまだ以前実力を保ったまま存在していた。

信長はこの時自分自身や様々な家臣たちに複数の戦を要求していた。

自分自身も戦場に立つと同時に自分は参加しないがあちこちで戦をする状況だったのだ。

このときはまだ武田信玄の息子勝頼が活躍していたわけだし、上杉謙信が亡くなった後も以前勢力はかつてのまま。

これ以外に宗教勢力がある。

主なものは比叡山と本願寺に分けられるが、比叡山はともかく本願寺は未だ勢力を保ったままで、戦国大名に匹敵するだけの力を備えていた。

物語によると本願寺は毛利家と密接な結びつきがあったようだ。

毛利は水軍で有名だったが、それを用いて本願寺に盛んに物資の補給をしていた。

信長はそれらも皆敵として相手をする必要があった。

信長家臣団の中で最も頭が切れて戦の経験も豊富、信長自身頼りになると思ったのは光秀だったのだ。

オーバーワークな光秀はついに戦場で倒れたまま、そのまま京都の自宅まで運ばれることに。

物語では数日で完治したように描かれていたが、実際は数ヶ月間、病床に伏せったはず。

この時は怪我以外にも内臓関係に大きなトラブルを抱えていたと言われている。

最新の歴史研究からそのように判断されて。

この時光秀が処方された薬などが記述に残っていて、それが内臓疾患を治療することを目的としていた薬なので、病気そのものを類推することができる。

信長が最も忙しい時に戦線を離脱したので、信長本人もさることながら周りの同じ信長家臣団の諸々も心配したに違いない。

妻煕子の献身

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光秀を看病しながらお百度参り 先にみまかる煕子

明智光秀の妻煕子は日本の歴史でも内助の功の典型と言われる。

献身的に夫を支えて、最後は自ら病に倒れて夫よりも先になくなってしまう。

そんな彼女の献身ぶりが、物語の中で詳しく語られていた。

一乗谷で暮らしていた頃、光秀は浪人暮らしでまともな収入もなくなって、煕子が自分自身の持ち物を全部売っ払って生活費の足しにしていた。

さらに必要に応じて自分の髪の毛すらも売ったと語っていたね。

そこまでして光秀を支えるのが自分の使命だと考えていたのだ。

そんな彼女は、光秀の看病をしながら病気平癒を祈るため、神社でのお百度参りを敢行する。

彼女はやがて自分自身の体を酷使した結果、夫よりも先に死んでしまう運命に。

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光秀よりも先になくなってしまうのだ

今日の番組の最後のエピソードの中で妻の葬儀に夫も(光秀本人)参加したと語られていた。

当時の習慣としては異例だったようだ。

光秀にとっては糟糠の妻だった煕子を失った後も戦から解放される事はなかったのだ。

物語はいよいよ佳境へ

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信長は天皇家もないがしろにしようとしていた

この時期信長は朝廷から右大将の地位を賜っていた。

これは武家の官位の中でも征夷大将軍と並ぶ最高位。

信長自身が平家を名乗っていたので源氏の代名詞とも言うべき征夷大将軍は名乗りにくかったのかもしれない。

しかしこれだけの位を受けた以上はある程度京都に常駐する必要があったのだが、いかんせん信長は戦三昧。

朝廷からの苦言にも素直に従うはずもなく、自分の家督を息子に譲ったのでそちらで対応しようと。

要するに自分流のやり方で朝廷をかなり投げやりに見ていた可能性が高い。

歴史研究でよく言われるのは信長は自分自身が神仏になろうとしていた。

それ故合理的に考えて自分の意にそぐわないものは全て排除するポリシーでいたのだ。

さて、ほとんど暴走に近い形で突っ走っていく信長と、すべてのことに対して行き届いた配慮をしようとする光秀では少しずつ違和感が生じていたのだ。

今日以降残りの放送回数はいくらもないので(5回ほど)、本能寺の変は(誰もが1番興味がある所)おそらく何かの弾みで起こってしまった事件として描かれるような気がする。

今日の物語からは少しずつ運命からは逃れられない登場人物たちのジレンマがひしひしと感じられた。