今まで謎だった部分のほぼ全てのものが、明らかにされるような今日の物語。
東日本大震災
それは2011年の3月11日午後2時46分に起こる。
実は、私自身も北海道の遥か離れた土地にいながらあの地震の事はリアルタイムに思い出せる。
3時ちょっと前に居間でくつろいでいたところが、何となく気分が悪くなるようなめまいのような感覚を覚えたのだ。
おかしいと思って部屋の中を見回してみたところが、部屋の隅にぶら下がっている紐などが揺れているのが分かった。
地震だと思って、少し身構えたところがなかなか揺れが収まらない。
改めてテレビをつけて見てとんでもない事態になっていることが初めて納得させられた。
あの津波がリアルタイムで襲ってきて陸地に入り込みつつ、その津波の先端では流されている家が火事で燃えている。
あの映像を初めて見せられた時は、まるで自分のことのように震え上がった記憶が。
おかえりモネはその時の記憶を物語として描いていた。
目次
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東日本大震災
この時現地で活動していた人たちは大変な目にあった事は想像に難くない。
私の友人で自衛隊員が何人かいるが、彼らは翌日震災派遣で現地に向かったと聞いた。
そして主に捜索活動を中心に働いたらしいが、朝は明るくなる直前から動き始めて夜12時ぐらいまで活動したと聞く。
最初の三日間程度、そのマニュアルで動いたらしい。
ほとんど拷問に近いような仕事をするしかなかったと。
そして、亡くなられた大勢の遺体の回収も彼らの仕事だったようだ。
損壊して正視できないようなひどい遺体から、衣服をすっかりはぎ取られた遺体まで数え切れないほどのものを扱ったとも言っていた。
そして当時、現地でボランティア活動をやっている人たちの証言として、ガソリンは車のメーターが半分以下になったら常に満タンにする癖をつけておかなければ、災害時には役に立たないよと。
その時から私も律儀にそのマニュアルを守っている。
今日のドラマの中で受験のため仙台方面に移動していたモネちゃん達は三日間気仙沼に足止めされたのだ。
確かこの時は交通機関を始め、全てが止まってしまった。
そして、電気を始めとするライフラインもシャットダウンしていたのだ。
まともな感覚で思い出せるようなことじゃないよね。
仙台 気仙沼 亀島
三日間足止めされている間、対岸から亀島の様子も見て取れたのでは。
そしてあの時感じたのは、私の記憶をたぐっても幾度と無く余震があったと思う。
その都度テレビでは緊急速報が流れ、その不安な気持ちを煽るようなオルゴールっぽい音に怯えた人も多かったと聞いている。
実は、今でもYouTubeなどでは地震に関わる映像は前置きをして流すような仕組み。
地震のときの様子が流れます
気分の悪くなる方は視聴をお控えください。
確かにYouTube画像を山ほど見させてもらったが、あの時の緊迫した様子は今見ていても血の気が引く。
おかえりモネでは、リアルタイムで被災した人たちの様子が描かれているので、ここはある意味役者たちの演技の見せ所。
モネちゃんの切羽詰まった表情や、全力で走っている姿は当時の追い詰められた気持ちがよく表現されていた。
あの時の何日間かの体験がその後のモネちゃんのトラウマとなった。
故郷で必死に活動する仲間たち
亀島に帰って見て真っ先に避難所に駆け込むモネちゃん。
そこには、ありあわせのものを着てボランティア活動をする仲間たちが。
この時みんな何を思っただろうか?
震災から3日経った設定。
実はこれが最大のポイントになる。
三日間、帰りたい思いを必死に抑えていたモネちゃん。
帰ってみたら、仲間たちは震災の対応で自分の仕事をきちんと見つけて必死で働いている。
自分は何もできずにただ待つだけだった。
それと同時に心配だった家族の安否も確認することができた。
震災のダメージは計り知れない
雅代おばあちゃんはすっかり正体を失っている。
生き残れることには違いなかったけれど、この2年後亡くなってしまう設定に。
この三日間、自分が足止めになる原因を作ったのは他ならぬモネちゃん自身。
あそこの喫茶店に立ち寄ったこと、そして食事をしながらふと耳に入ったライブ演奏に聞き入ってしまったこと。
音楽への想いを優先させた結果が。
客観的に見れば、たまたまそのようなご縁で動いていたからに違いないが、当事者にしてみれば自分の果たすべき責任とかやるべきこととかすぐに考えてしまうよね。
モネちゃんはその時激しく自分を責めたに違いない。
音楽は役に立たない!無力😔
地震から少し時間が経った夏の事、父耕治がもう一度サックスを始めないか?と。
その時に押し黙ったままポツリと一言。
音楽なんて何の役にも立たない。
地震の時に何もできなかった自分をずっと責めながら生きてきたわけだ。
それと、少し謎だなと思うのは彼女は高校の音楽部門に進学しようとして失敗したんだよね。
この時どんなふうにこれからの3年間を過ごしたのだろうか。
なんとなく高校へ行ったんだろうなと想像はするけれど、吹奏楽関係の思い出その他も皆中学校時代の事。
高校時代の3年間が抜け落ちているよなぁと、今改めて実感しているのだが。
自分自身の受験の挫折と、大震災、そしてリアルタイムで活動できなかった事実。
それらのつまずきは、彼女から音楽を取り上げてしまう形になった。
正直言って、音楽が何も役に立たないのは当たり前。
もともと何かの役に立つ目的で音楽に関わる事は不遜なことだと思うべき。
芸術は全てが人間にしか理解できないもの。
生きるために必須のアイテムとは言い難い。
しかし、それでも人間は歴史が始まった頃から芸術を愛でていた。
それは触れたときに心が和むから。
それ以上もそれ以下もないだろう。
もちろん個人差のあることなので芸術は基本的にはすべて一人称で語られる。
仲間たちの未来
やっと現実のお盆の泊まり明けの朝に転ずる。
浜辺に出てみんなで眺める朝日の美しいこと。
私は個人的に海に沈む夕日を知っているので(日本海方面の生まれなもので)、海から昇る朝日をしっかり見た事は無い。
今日の物語の締めは天気予報に関係したこと。
海風とかを中心に今日の天気予報をしていた亮君。
地元で長く暮らしている人たちはお百姓さんもそうだが独自のローカル天気予報を持っている。
漁師さんならなおのこと。
さて物語はどの方向へ進んでいく?