物語はいよいよ風雲急を告げる。
14代将軍徳川家茂は、生来の病弱がたたってついに逝去することに。
時代はいよいよ15代将軍徳川慶喜を待望する声が大きくなった。
しかし、はっきり言って徳川幕府はもう盛り返すだけの力は保持していなかったのだ。
当時、一橋家で仕官していた渋沢篤太夫をはじめ、何人かは当時の将軍家がもう死に体であることを理解していた。
何よりも時代を把握していた一橋慶喜は、自分が15代将軍になるしかない事は百も承知だったが、その任を受けてしまえば未来がないことも簡単に予想できていた。
悩んだ挙句一橋慶喜が認めたのは徳川宗家を継ぐことのみ。
15代将軍に就任することは拒み続けていたのだ。
目次
篤太夫 渾身の忠言
時代の流れはもう次の将軍を継げるのは一橋慶喜以外にいない事は誰もが承知していた。
しかし、このときの徳川幕府はすでに泥船。
何をどうしようとも、もう沈没する事は目に見えていたのが実情だろう。
日本のためにと必死で志を高く保っても、大きな時代のうねりを乗り越える事は不可能だったのだ。
しかし、そのことをしっかり認識していた者たちが一体どれほどいただろうか。
きちんと理解していた数少ない1人が渋沢篤太夫。
そして持ち前の行動力から慶喜に進言をする。
本来なら許されないことだが、どうしても言わずにはいられなかったのだろう。
そしてそのことに一橋慶喜は決して答えようとはしなかった。
この先どのように進展するのか、いまひとつ不明瞭な部分があったから。
天皇家の思惑 幕府の本音
天皇家では14代将軍が逝去したことを受けて、次の役割を直ちに慶喜に命じた。
この時点で一橋慶喜は徳川宗家を相続することに。
ただし、この時代は裏で様々な工作活動するものが多数いて、徳川慶喜を始めその家臣たち、また天皇家の公家たち、既にバラバラな状況。
歴史の勉強として、この時よく知っておかなければならない事は、薩摩藩と長州藩はすでに裏で薩長連合を作りつつあったこと。
そして天皇家を担いで徳川を滅ぼすことを画策していた。


明治維新はどうやら我々が学んできたような美意識は存在しないようだ。
歴史から見ても朝廷は、この後薩摩長州に錦の旗を任せてしまう。
つまりこの時からすでに薩摩長州が官軍、幕府が賊軍となるレールが引かれていたと言える。
徳川幕府内でも様々な思惑が交錯していた。
徳川慶喜を素直に受け入れようとするもの、反発するもの。
この裏の事情を本人徳川慶喜もよく理解していたに違いない。
一橋慶喜から徳川慶喜へ
徳川慶喜がまずしなければならなかったのが長州征伐。
ちなみにこれは天皇の勅命によるもの。
徳川慶喜として最初に手がけたのが長州征伐だったが、実はこれがボロ負けする事態に。
すでに、長州は薩摩藩の口利きでイギリスから最新鋭の武器をたらふく補充していた。
当時のライフルは既に火縄銃の時代から最新のものに変わる過渡期にあった。
徳川軍は最新鋭の武器に負けたとも言われている。
この時に裏で口を聞いていたのが五代友厚。
彼は薩摩藩からヨーロッパ留学を果たしていた。
当時の最新鋭の技術の伝達や通商なども行っていたようだ。
長州藩は薩摩藩の力を借りて、最新鋭の武器を調達していたと伝わる。
彼らの合言葉は打倒徳川幕府。
結局この結びつきが明治維新の原動力に。
徳川慶喜は、天皇を説得しつつ、その上で長州藩にも話し合いの場を持とうとした。
様々な勢力が錯綜する中で、本来進むべき正しい道はどれなのか。
当時の誰も知り得なかったことに違いない。
正しいと思われる道や、自分に利益のある道はたくさん存在するわけではない。
また、上に立つ者の宿命として、うまくいってもしくじっても非難や批判が集まることに。
それは篤太夫が必死で進言した通り。
また徳川幕府はこの時パリ万博への訪問を考えていた。
そこに誰を遣わすのか。
そういったことも含めてドラマの中で語られていたが、大きな物語の中ではそれほど注目はされなかったかも。
しかし、歴史的な重要度から見れば、このパリへの旅行こそが渋沢栄一を始めとする日本の未来を大きく変えるきっかけとなった。
真選組土方歳三との出会い
徳川宗家の家臣となった篤太夫。
実は、不穏な動きのある武士を1人連行する人を仰せつかう。
これも厄介払いのような任務で、誰もがやりたがらない仕事を篤太夫に押し付ける形で回ってきた。
そしてこの時新選組副長土方歳三と出会うことに。
土方とは若干のやりとりがあったようだ。
武闘派で鳴らしていた土方は篤太夫は影に隠れていれば良いと言い放ったが、篤太夫は筋を通してまず自分が口上を述べると言い放った。
もし、反撃を食えば命に関わる事態になる。
この辺の史実は渋沢栄一の自伝の中に記述があったようだ。
捉えに向かった武士は素直に従ったので、事なきを得たとある。
今日のドラマの中では刀を振り回しての乱闘シーンとして描かれていたが、これは番組上のサービスと思われる。
渋沢篤太夫はこの時、土方歳三との会話の中でお互いともに百姓出身なことを確認しあう。
さらにはお互いの中にある潔さがそれぞれ共感を呼んだものと。
渋沢栄一の自伝では新選組の隊士を悪くは書いていない。
日本のために一肌脱ごうと、その志は共感するものがあったようだ。
2人のその後の歩いた道筋は全く違ったものにはなったが。
さて、来週はいよいよパリ行きの話が描かれるようだ。
このパリ行きの話は、日本だけではなくフランスを始め諸外国のニュースにもしっかりと記述が残っているので、かなり客観的に見ることができるだろう。
この後徳川慶喜は15代征夷大将軍を引き継ぐことになるが、それは1年と持たなかったのだ。
徳川幕府の終焉も近い。