くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

横綱の矜持 白鵬と照の富士

 

この間終わったばかりの九州場所。

半世紀以大相撲ファンの私にとって、テレビでの相撲観戦は欠かせない。

何といっても新横綱になった照の富士の成績にどうしても注意が向いてしまう。

周り全部から注目されていた中で新横綱として優勝した照の富士は実に立派。

満身創痍の体を抱えながら、自分にできる最善のことを常に発揮できることを意識してやっているらしい。

彼曰く

お相撲さんは土俵の上で一生懸命相撲を取ること

この言葉には実感がこもっている。

観客はテレビの前の視聴者も含めて、力士たちの一生懸命さに反応するのだ。

新横綱で優勝の実績を提げた照の富士と、場所後に引退を決めた白鵬との横綱の雰囲気がまるで違うことを改めて考えてみたい。

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私にとって横綱とは大鵬かな?

目次

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白鵬にはなぜ批判が集まるんだろう?

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白鵬最後の相撲 このリアクションが批判の対象

白鵬は30歳を過ぎたあたりから、体力的にも限界を感じ始めていたんだろうと思う。

彼にとっての相撲は勝ってなんぼの世界。

綺麗事も何も「負けたんじゃしょうがないだろう」が彼の理論なんだろうね。

しかし、横綱は思うに、相撲の象徴のようなもの。

今の若い人たちがどれだけ理解しているかわからないが、横綱は言ってみれば神様のようなものなんだよね。

横綱のしめ縄を見てもらえばわかるとおり、神社のしめ縄と同じように御幣が付いているよね。

これは、周りから尊敬され、支持されることを意味している。

横綱を張る関取は、立ち居振る舞い全てが横綱にふさわしいかどうかをいつも問われるんだと。

勝つためには手段を選ばないみたいな姿勢では誰からも支持されないってことになる。

また、白鵬の場合、育てあげた師匠が横綱経験は無いから。

師匠が横綱かどうかってこともとても大切。

横綱としてどう振る舞うべきかをきちんと教えてもらえるはずだから。

白鵬には気の毒なことにそういったチャンスはなかったんだろうな。

もう引退してしまうので今さら何を言っても仕方がないが、彼が師匠になって弟子たちを指導することが果たしてこれからの相撲界にためになるのかどうかは考えることが多い。

大丈夫なのか?

そう思う人も多いのではなかろうか。

しかし、彼の相撲にかける執念は、彼が記録の点で過去最強の横綱であることを疑うものはいないだろう。

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インタビューなどでも違和感を感じざるを得なかった

彼をこんなふうな横綱にしたのは相撲協会そのものなので、今さら何を言っても始まらない。

文句を言いながらも相撲を見てしまうので、今更って感じになる。

照の富士が支持される理由

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千秋楽の後、師匠から優勝旗を受け取る

照の富士は一旦大関まで上り詰めた後トラブルに見舞われて、序二段まで転落した歴史がある。

そこから這い上がってきたサクセスストーリーは日本人が1番お気に入りではなかろうか。

彼はどん底を知っているだ。

何度も相撲を止めようと親方に頼み込んだらしいが、その都度跳ね返されて説得されて続けた結果今に至っている。

親方は、決して投げ出す事はせずにまず体を直せと言い続けてきた。

照の富士は親方の言うことを素直に受け止めて努力した結果今の実績がある。

全力で努力すること。

目上の人の意見に素直に従うこと。

日本人が1番美しいと感じるマインドではなかろうか。

その意味で、照の富士は誰からも愛され誰からも支持される。

すばらしいと思うのは周りの応援があって自分が存在していることを横綱自身が強く自覚していること。

インタビューで答える彼の言葉の端々にそういったことがうかがえるだろう。

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この3人の横綱は横綱の見本のような力士たち

楽しむだけではない相撲を受け入れるやり方はいろいろあるはず。

ほとんどテレビで見ることしかないが、放送が始まるとどうしても見なきゃいけない気持ちになっちゃう。

横綱とは

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2人とも雲竜型の土俵入り

新横綱になった時は明治神宮で奉納土俵入りが行われる。。

明治神宮は言わずと知れた明治天皇ご夫妻を主祭神としてお祭りしている。

明治の終わりに建てられていて、歴史的にはとても浅い神社なのだが、横綱の土俵入りははじめての時はここと決められているようだ。

つまり、天皇に報告をし、捧げる意味で横綱が存在すると言うことか。

横綱の地位は、他の番付とは意味合いが違ってくる。

いくら負け越しても地位を明け渡すことにはならない。

横綱としてふさわしくないと判断すれば、引退するしかないのだ。

この辺の取り決めも実は曖昧で、横綱審議委員会があって様々なことを議論しているが、ここは諮問機関なので決定権はない。

白鵬にはずいぶんいろんな注文が付けられていた。

彼の普段の態度や相撲内容から考えると一言 物申したくなる人が出てくるのは当然。

それでも、決定権がないので、実情は何ら変化する事はなかったが。

いかにも日本らしい存在だと言えるだろう。

名誉職の部分も多分にあるので、当事者の心のあり方でどうにでもなっちゃう部分が。

もともと、外国人横綱だったので最悪こういったことも想定されたはずなんだけれどね。

日本人のマインドを理解できなければ横綱でいることも難しいのかも。

大相撲の未来

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相撲は神事の色合いが強い

昔のようにへ相撲を目指す若者は著しく減っているとされている。

相撲部屋は弟子集めに奔走していると聞いた。

弟子が集まらない理由は簡単で、この世界はとにかく封建的。

成功すれば大金を手にすることも可能だが、うまくいかなければ30過ぎたあたりでお払い箱になるのが関の山。

将来を見据えたときにお金欲しさに相撲を選ぶ人はほぼいないはず。

弟子がうまく集まらないことを考えると、相撲部屋自体の存続にも関わってくる。

もし力士となって十両以上の番付がつくならば、付き人が必要になってくるが、この付き人は幕下以下の弟子たちが担うことになる。

そこに人がいなければ相撲部屋自体の存続が危うい。

何といっても、魅力の感じられるような相撲界にしていかなければ、この先の未来は決して明るくは無い。

私が死ぬまでにはなくなる事はないだろうと思いつつ、相撲界の未来は決して明るくは無いはず。

そして、日本人の横綱は一体どこへ行ってしまったんだろう

外国人でも日本の心を理解して横綱まで上り詰める人は多いが、白鵬のような問題児が出ないとも限らない。

今年の大相撲は11月で終了となるが、生活のルーティーンとしてまた見ることになる。