物語は舞台を沖縄に移して戦後の人々の心の動きが詳しく語られることになる。
物語はウークイの日、つまり8月18日。
これは、沖縄で行われるお盆の法要の最終日にあたるのだそう。
お盆の行事は日本全国どこでも概ね何日間か続くことになる。
最初に玄関先で迎え火を炊いてご先祖を招聘する。
数日間か懐かしい我が家でおもてなしをして差し上げ、最終日に送り火にてお帰りいただく。
沖縄は終戦直前の上陸作戦で厳しい過去を誰もが経験。
様々な記録は残っているが、全てが残っているわけではない。
戦闘を生き延びた人たちにとっては苦しく辛い思い出であり、償いようもない。
そのことを誰かに聞かれて“はい、分りました”と答える人はほぼいないと、物語では語っていた。
しかし、過去からの伝承は必ず誰かの真心と熱意によって未来へ語り継がれる。
戦争中の遺品を発掘して遺族に送り届ける活動している嘉手刈老人。
過去からの苦しみの歴史を語りつくことができる数少ない伝承者。
彼は、フォンターナのオーナー房子や東洋新聞の編集長多良島とも懇意な仲だった。
物語は沖縄の歴史を語りつつ、登場人物たちの心のひだの中に未来へ紡ぐべき真心が語られる。
目次
ウークイの秘密
優子はずいぶん昔から夫と2人で嘉手刈老人のプロジェクトに参加していたようだ。
洞窟内の発掘調査だよね。
終戦間際、沖縄で行われたアメリカ軍の上陸作戦によって一般市民は逃げる場所を失い、ほとんどの人が島中に点在した洞窟の中に逃げ込んだ。
しかし洞窟内では一般市民や日本軍が一緒に過ごすことになる。
実はこの時の悲劇を何例か聞き及んだだことが。
一般市民、とりわけ子供たちが持っていた食料を日本軍兵士が取り上げたらしいのだ。
文句を言う子供たちは、射殺された者もいると言う。
沖縄はアメリカ軍の激しい攻撃にさらされて住民の3分の1が命を失ってしまうような緊急事態。
その中で生き残るために様々なドラマが繰り広げられた。
少なくとも喜んで話せるようなことなどあるはずもない。
描かれた物語の中では優子や賢三がどんなふうに生き延びたかなどはまだ語られてはいない。
しかし、それは筆舌に尽くしがたい、できれば消し去りたい記憶であることに違いないのだ。
子供たちにも話したくない、話せない。
それゆえに、ずっと内緒で活動してきたような。
優子の語られなかった過去
この2人は戦争中の体験がもとで結びついたと思われる。
賢三は戦争直前で東京から沖縄に戻った過去が。
東京にいた時は、フォンターナのオーナー房子の右腕ともおぼしき間柄だった。
一度沖縄に戻った後は再び東京に戻る事はなかったが。
沖縄での戦争中に優子と賢三は知り合って意気投合したと思う。
今日のエピソードの最後で優子は長くなるけど聞いてほしいと子供たちに。
脚本家が、沖縄戦を生き残った人たちがどのような体験をしたのか、その点についての筆力が問われるシーンだと思う。
しかし、内容のほとんどは明日以降に語られることになる。
和彦が受け継ぐもの
和彦は新聞記者になりたての頃、多良島編集長の書いた記事に感動して、それ以降沖縄について語ることが自分のライフワークだと実感。
何よりも、子供の頃の記憶で沖縄で過ごした時間が彼にとっては宝物となっていた。
その中で、沖縄にどんな歴史が隠されているのか、戦後数十年経った今、明らかにしなければならないことが。
しかし、今日の物語の中で語られていた。
沖縄では戦争中は人に言えないようなことを経験させられた。
多良島の取材を受けて記事が発表された後、嘉手刈老人は親戚知り合いなどからずいぶんと非難されたとも言っていたね。
他の人に話すべきことではないと言う意見が大多数。
しかし、その発言を和彦は遮る。
未来を良いものにしていくためには過去をしっかり学ぶこと。
過去に起こってきたことに目をつぶってしまえば、未来を切り開くことにはならないと。
沖縄は、当時の人口の3分の1が亡くなって、3分の2が生き残った格好に。
なくなった人はもちろん大変な目に遭われたが、生き残った人たちの心情についてどれほどの考察がなされているんだろうね。
洞窟の中で発掘作業をしていたが、実は洞窟に逃げ込んだ沖縄の一般市民は火炎放射器で焼き殺された例が多かったんだよな。
おそらくそんなエピソードも登場するような気がする。
沖縄の過去
嘉手刈さんにとって和彦は多良島と重なって見える存在。
かつて取材を受けたことをぼやいたところが多良島はいつまでもそのことを気にして申し訳なさそうにしていたと。
そして遺品収集の活動がずっと継続して来れたのは、フォンターナのオーナー大城房子の長く継続してくれた援助があったからに他ならないと。
そういえばオーナーが和彦に託した小さなフクサの中身は、遺品を返してもらった人たちのお礼の手紙だったようだ。
なるほどなと納得することしきり。
実は、比嘉家では隠された過去の歴史が語られるような雰囲気だが、東京でも同様のことが起こりつつある。
あまゆの三郎。
フォンターナの房子。
ちむどんどんは物語の核心部分がまさに始まろうとしている。