先週母親が亡くなったことで、大阪で1人になった父親とともに東京で暮らすことを決意したスズ子。
血がつながっていない親子とは言え、梅吉はスズ子にとっては間違いなく父親。
今日は2人暮らしの様子が詳しく語られた。
時代は昭和15年の初夏。
既にこの時代日本は戦争一辺倒で世の中の統制も驚くほど厳しく。
生活物資の不足していることもさることながら、おもだった大きな特徴は文民統制だろうか。
出版物を始め、芸術全般に至るまでが関係当局の管制下に置かれた。
舞台人のスズ子にとっては、寝耳に水の要求が突きつけられる。
要するに公演に必ず警察の監視がつくことになる。
梅丸楽劇団は今までとは全く違った対応を求められることになる。
内容は今振り返ってみれば滑稽極まりないが、この時代の人にしてみればありえない残酷な要求を突きつけられたと感じた人も多かったのでは。
スズ子は舞台で歌うときに枠を決められてしまった。
つまり、三尺四方をはみ出さないように。
その中で歌う。
舞台上を所狭しと動き回るスズ子のパフォーマンスではそれは無理難題を突き付けられたのに等しい。
どんなに頑張ったところで、パフォーマンスの内容までいちいち指摘されたのでは、舞台そのものが成立しなくなってしまう。
もう太平洋戦争が始まる直前のご時世で、日本は国を挙げて軍隊一辺倒。
“最前線の将兵のために”が合言葉になっていた。
目次
梅吉の惨めな東京生活
東京に引っ越してきた当初、梅吉は東京暮らしを題材に脚本を書こうとしていたね。
もともと彼は演劇とか映画とか何らかの形で関わりたいと思っていたようだ。
それは以前のエピソードでも語られた経緯がある。
ただし、ただの1度も注目されなかったのが彼の現状。
案の定東京に来て再びわき起こった創作意欲だが、今回もあえなく空振り。
その後はお定まりのコースで、毎日酒浸り。
およそ褒められた状況ではなく、苦情はスズ子の所へも。
やはり連れ合いのツヤの死は梅吉にとって乗り越え難い事態になったようだ。
スズ子と梅吉
だらしない父親を叱責したいスズ子だったが、ツヤがいなくなったことを考えれば強く言い出すことができないでいた。
家族が亡くなる事はどんな人にとっても重く苦しい現実。
平気でいられる人間なんているはずもなく。
今まで何もなく暮らしてきたことがある日を境にぷっつりと途絶えてしまう。
経験したものだけが味わう辛く厳しい現実。
警察の監視
梅丸楽劇団はいよいよ警察の監視が入ることになった。
この時代どこも皆同じような統制を受けていたようだ。
そして驚くべきことだが、カタカナの名前を語っていた芸能人は全て改名させられたと記憶する。
例えばディックミネ、コロンビアなど。
またドラムを太鼓とかトランペットをラッパとか、楽器の細かい部分に至るまで改名を余儀なくされた。
そんな中、驚きの要求はスズ子の歌い方。
ステージ上をところ狭しと動き回る彼女のパフォーマンスは絶対不可とされたようだ。
三尺四方はみ出してはならない。
ドラマを見ていて感じたのはスズ子のパフォーマンスがだらしないと言う判定を受けていたこと。
明らかに独断と偏見で決めたことだろうが、スズ子にしてみれば屈辱以外の何物でもなかっただろう。
何とかして楽しさや嬉しさを届けたい。
決められた条件でステージをこなそうとするが、やはりお客さんには受けない。
思わず今まで通りステージ上を駆け回って歌ったところが、公演中止。
そういえばこの頃はこういったことがあちこちで起こっていたようだ。
時代背景
この時代の日本は、思い通りの物資の調達ができなくなっていた。
特に石油関係は全く自由にならない。
活路を東南アジア方面に求めるのだが、余計欧米の反発を食ってしまう。
とりあえずは国民に控えめな生活をするように求めるくらいしかできなかったようだ。
戦場で戦う兵隊のことを思えば、国民が強いられる辛抱などたかが知れている。
とんでもない暴論と言ってしまえばそれまでだが、この時代はそれが充分まかり通った。
辛抱できずに舞台上を飛び回るスズ子。
スズ子は舞台から警察にまで連行されてしまう。
ステージのパフォーマンスを改めなければ、今後公演中止もあり得ると。
やはりベースになる音楽がジャズとなれば明らかに敵性音楽になるのでほとんど禁止されるのもやむを得ない。
実はスズ子にとっての辛く厳しい現実はまだ始まったばかり。
今は戦争前なのでこんなもので済んでいる。
物語では戦争が始まった後、終戦の頃などかなり厳しい現実が予定されている。