くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

ブギウギ 歌手の矜持

いよいよ盛り上がってきたなぁと思いつつ、スズ子が果たして歌手としてどんな立ち位置にいるのか。

物語を見ていて、痛烈に思い知らされることが。

スズ子のような歌手は基本的にアスリートと変わらないなと感じてしまう。

旬でいる時間には限りが。

そう思うと物語とは言え、ちょっと切ないものが。

今週から登場した水城アユミは心身気鋭の若者だが、間違いなく実力者。

彼女の血統はスズ子が尊敬する大和礼子。

そして父親はかつてお世話になったピアニスト。

実力を裏付ける素質は十分なものが。

スズ子はアユミ親娘の「ラッパと娘」を歌わせてくれとの願いに即答できずにいた。

スズ子の現状を考えてみれば、自分のパフォーマンスにもどうやら峠を越えた感が漂う。

もし、周りが揶揄するようにステージ上で競い合うことになればひょっとすれば負けるかもとの思いがよぎる

自分では決めかねていろんな人に助け舟を求めるスズ子。

しかし、スズ子の仲間たちは、愛情を込めてスズ子に言い放つ。

やるやらないは自分で決めるしかない。

物語の1番の見所は茨田りつ子とのやりとり。

彼女の痛烈なアドバイスをもとに決断するスズ子。

かつての全盛期の頃の自分ならどんなふうに対応しただろうか?

それに比較して、今の自分はどうなのか?

簡単には決断できないと思われたことも、実は自分が現実から目を背け逃げ出そうとしている気持ちの裏返しでしかなかったことに気がついてしまう。

私は歌手。

スズ子は自分がするべきことに再び向き合うことに。

オフショット 物語の中ではこうはいかない😅

目次

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福来家の日常

もはや大家族 6人で食事😅

食事のシーンで驚きだったのは、いつの間にかマネージャーのタケシだけでなく、小田島親子も同じように食卓に座っていたこと。

こういった事は多分スズ子の発想なんだろうと思う。

確かに、家に朝から晩までいるような場合だと食事は同時にしてしまった方が効率が良いのは間違いない。

素朴な疑問だけど、こういった場合の食費はどんな風な割合になっているんだろうね。

要するに食費は誰がどんなふうに負担しているのかってこと。

もし、スズ子が負担していると言うのであればそれなりに大変だと思うけど。

当時納税額からスズ子の収入は概ね想像がつくけど、それにしても通常ならありえないことだと思う。

冒頭で語られていたけど愛子はかけっこが得意だったはずなのが、足の速い子が1人引っ越してきたとのことで、すっかり意気消沈。

愛子のエピソードと言うよりは、負けたら悔しいってことの問題提起だろうね。

スズ子にも同じようなことが起こっているので。

羽鳥善一の反応

スズ子の本心を見抜いていた

アユミの依頼もあって、善一に相談するスズ子。

先生さえ許してくれたら、歌わせても良い。

この言葉に善一は激しく反応。

スズ子の守りに入った逃げの姿勢を見抜いていた。

既に自分のピークのパフォーマンスは過ぎてしまっている。

この状態で歌の勝負をすれば負けるかもしれない。

そうすればスズ子は自分の居場所を失いかねないと。

歌手を自分のなりわいとしているものにとって、他の人に負けるなんて事はあってはならない。

常に自分がNO1のパフォーマンスでお客さんに受け入れてもらえること。

そのことに自信が持てなくなった今、誰かに助けてほしいと間接的にアピール。

なるほど、それぞれ大変な立場だからね。

善一はやるやらないは自分で決めろとそっけない。

自分自身の歌には自分で責任を取って欲しい。

厳しいようだけど、プロの歌手ならしかるべきと思われる。

茨田りつ子の答え

オフショット カメラチェックの様子

りつ子の答えは明確だった。

今までのあなたならワクワクドキドキする方を選んだはず。

逃げ回って誰かにすがっている姿などスズ子らしくないと。

痛烈な言葉でスズ子を批判。

りつ子に言われてはっとするスズ子。

自分の受け止め方が間違いだと気がつく。

りつ子に罵倒されるスズ子

プロの歌手である以上今更逃げ隠れなどできない。

潔くステージの上で自らをさらけ出すべき。

りつ子が今行っている歌手活動も同じような状況だと推察。

どうやらアユミとの対決はここで決定したようなもの。

歌手 福来スズ子

先取りステージの様子

スズ子はどうやらアユミに「ラッパと娘」を歌うことを許可するようだ。

それは明日以降のお楽しみということに。

ここで物語の年代をきちんと整理しておきたい。

昭和31年の大晦日の歌合戦に向けての物語になる。

そこで注目すべきはスズ子の年齢。

彼女は1914年生まれなので、この年42歳になっているはず。

ステージ上のあのパフォーマンスは42歳には厳しいかも。

もっと別なアピールの方法を考えなければ、冒頭でも語ったように歌手は基本的にはアスリートと同じ。

若さ溢れる馬力で乗り越えられる時期は少ない。

別なもので少しずつ補うか、別な表現に変えていくかは必ず必要になってくる。

同じ芸術でも、ピアノなどの演奏家でも同じことが言えるはず。

どんなに優れたプロのピアニストといえども、年齢を重ねれば若い時のようなパフォーマンスはどうしても厳しくなる。

演奏する曲目を変えたり演出を変えたり様々な努力が必要になるだろう。

私が知る限り、若い時と寸分変わらぬパフォーマンスを披露しているピアニストは、

マルタ・アルゲリッチぐらいだろうと思う。

さて、佳境に入ってきたブギウギ。

スズ子最後のパフォーマンスも近い。