三味線の魅力
目次
和楽器と言って思い出すのはいっぱいありますが、今回取り上げるのはこれ
三味線
そして三味線と言えばこの人知ってるでしょうか
高橋竹山
北島三郎の「風雪ながれ旅」のモデルとしても知られる。
幼いころの麻疹が原因で盲目である。
既にもう亡くなられてますが、津軽三味線の第一人者ですね。
盲目になった後三味線の師匠について演奏を学び、もともと好きで興味のあった三味線の門付けを始める。
30歳を過ぎた頃にあんま師を目指すのだがどうやらうまくいかなかったようである。
門付けとは、お坊さんの托鉢に似ている
ここはと思う家の前に立って、三味線を弾き語りするのである。運がよければ食べ物か何かの思し召しに預かるわけだ。
今ならばとてもありえないことだろう。大体、生計の立つ話ではない。
津軽三味線は何種類かある三味線の中でも太棹と呼ばれる最も太いネックの三味線である。
音色は重厚にして、しかも力強く、単独で弾いていても腹の底に響く感じがする。
聞いたことのある方も多いだろう。
この方の音楽は他に比較するべきものがない。
全く独自のものである。
私が知ってからもうすでに45年くらい経っていると思う。
今までの三味線の概念を根底からくつがえしたような印象を受けた。
本人の語りと演奏である。晩年のものである。
レア映像と言うべきだろう
こちらは2代目 高橋竹山 女性である
初代高橋竹山の信頼がよほど厚かったのか、自ら名乗れるわけではあるまい。
調べてわかったことだが、この2代目の竹山だけは、演奏活動以外のことを一切しなかったのだそう。
初代はこの2代目の心意気を評価して、また自分が亡き後のことをおもんばかって2代目竹山を名乗らせたと聞く。
まとめ
三味線の世界は、世の中で決してメジャーな世界とは言えない。
しかしながら初代高橋竹山は、外国公演の際、手放しの賞賛を受けているのである。
演奏することに関して、聞き手の側にどれだけ深く力強く響くのか、言葉も何も通じないのにそこのところが大きく認められたわけだ。
音楽を愛する心、自分自身の道を極めようとする心。
自分に与えられた能力の範囲で、精一杯のパフォーマンスを演じる。
芸術の真髄に勤しむものにとっては今も昔も変わらぬ真理といえよう。