ピアノの魔術師
目次
誰もが聞いたことがあるピアニスト兼作曲家
フランツリスト
これは若い頃の写真
多分、相当モテたことには間違いないのだが驚くほどの美形。
モデルとか俳優とかのレベル。
しかし晩年になるとこんな感じ
彼は様々な注目を浴びていたが、音楽以外でも女性遍歴はかなりのもので、この写真の頃でも伝え聞くところによると17歳ほどの娘さんと恋仲だったのだそう。
この方 別名をピアノの魔術師と言う
もともとピアノの才能があって、しかもきちんと勉強もしてピアニストとして若い頃から成功はしていたが、12歳の頃、ベートーベンに演奏を聞いてもらって賞賛されている。
ピアニストを志した理由
またリストは20歳の頃に不世出のバイオリニストパガニーニの演奏2度ほど聞いている。
その時に大きな感動を覚え、自分はピアノでパガニーニになるのだと言い聞かせ、1日数時間にも及ぶ厳しい訓練を課し、その超絶テクニックを磨いたとされている。
イタリアのバイオリニストパガニーニ、作曲家としても有名だが当時、噂が立っていた。
パガニーニはあの超絶テクニックを悪魔に魂を売り渡した代償に手にいれたのであると。
そのくらい聞く人を圧倒する演奏だったようだ。
ピアノのパガニーニを目指して
鉄の訓練とビロードの指
リスト本人の言葉とされる。リストの持つ超絶テクニックに対して取材の記者から受けたインタビューへの本人の答えである。
絶対に妥協しない訓練と、信仰心の熱いリストのことなので神様から授けられた才能と解釈することかな
リストのピアノの持ち味は、楽譜通りの演奏と言うよりは、卓越した即興演奏の能力にあったようだ。
およそ楽譜にない旋律や、さまざまな装飾音符を加え、曲を華やかできらびやかなものに演出。
リストには女性ファンが大勢いたが、彼の演奏を聴いたファンたちに失神者が出るほどの熱狂ぶりだったようだ。
観客のみならず、リスト本人も感極まって失神することがあったと聞く。
想像できる通り演奏スタイルは超絶技巧を駆使するのだが、演奏するときのビジュアルにもずいぶんこだわっていた節がある。
彼はいざピアノに向かうと、長髪を振り乱して両腕を激しく振り上げて大げさにピアノ演奏をするのである。
演奏している様を人に見られることを多分に意識していたきらいがある。
ラカンパネラ
彼の曲の代名詞ともなっている「ラカンパネラ」だが、あの曲の手の動きをよく見ていると右手が激しくオクターブを移動することに加えて、左手がさらにその右手を越えて鍵盤を叩いているのである。
見ているとまるでサーカスのように手指が踊っているように見える。
この曲芸のような動きをリスト本人が画策したであろう事は想像に違わない。
辻井伸行さん リスト パガニーニによる超絶技巧練習曲から 鐘
辻井さんは盲目のピアニストなので音に対するクオリティーが高いと思い紹介してみる。
このラカンパネラはリストが敬愛してやまないパガニーニの変奏曲である。
オリジナル曲はバイオリン用と思われる。
リストの長髪は多分に演奏会を意識したものと思われる。演奏会では失神者が出るほどの熱狂ぶりだったと聞く。
激しいパフォーマンスが容易に想像できると言うもの。
調べてみてわかったことだが、リストは演奏会の際にピアノを3台ほど用意させたようである。
ピアノのパフォーマンスの激しさゆえに、鍵盤が痛んだり、ピアノの弦が切れてしまったりと言うことが多々あったらしいのである。
1台のピアノでそのような不測の事態が起こったならば、素早く次のピアノに移って演奏を再開したようだ。
そのために3台並べてステージ上に配置した。
調べてみてわかったことだが、リストの厳しい要望にしっかりと答えたピアノメーカーはベーゼンドルファーである。
まとめ
リストはこの時代の他のピアニストや作曲家たちとも深い親交を結んでいた。
とりわけ有名なのはショパンだろう。
リストもショパンもお互いのことを高く評価していたのである。
リストは自分の演奏会でもショパンの曲をよく取り上げ演奏したと聞く。
もちろんオリジナルの通りに引いたかどうかは定かでは無い。
天才リストの事なのでその会場の雰囲気に合わせて即興部分を加えた事は言うまでもない。
同じピアニスト同士ということもあって、リストとショパンはある意味、気心が知れていたようなそんな気さえするのである。
リストは若い頃ドナウ川が氾濫したときには、その被災者支援のためにチャリティーのコンサートを行って収益金を全額寄付している。
とりわけ様々な女性遍歴のことのみが 取り上げられるきらいがあるが、リスト本人は調べてみると、とても信仰心に厚く熱心なカトリック信者だったと聞く。
宗教音楽にも造詣が深く、50歳になってからわざわざ司祭としての位まで取得して宗教の勉強しているのである。
リストの生涯を振り返ってみて1つ分かったのは、彼は何度も身を焦がすような恋をしておきながら結婚にまでは至っていない。
周りの反対であったり、また宗教上の理由であったり、子供を設けるまで愛し合った女性がいながら結婚までには至らなかったのである。
この言い方が正しいかどうかはわからないが、幸せとは言い切れないリストの苦悩が感じられる。
また、リストは自分自身がハンガリー人であることを強く意識していた人でも知られる。
しかし、いろいろ見てみると、ハンガリー語が話せたわけではないようだ。ドイツ語に始まって後年はフランス語が主流だったと聞く。
今でもリストの愛好者は極めて多い。
ピアノの第一人者であることには間違いないようだ。
このような天才たちの輝かしい業績があって、クラッシック音楽の権威が保たれている。