平成から令和へ


目次
テレビで何度も見かけたお馴染みのポーズ。
年号は日本独自のものと承知。今は法律で定められていて今上天皇陛下が 即位されている間、1代の呼び名と言うことに。
過ぎていった平成はどんな思い出があるのでしょう。
個人的にはサラリーマン時代が長く、8割型サラリーマンで過ごす。
世の中では様々なことがあって大きな地震も2度あったし、またカルト教団の無差別な殺人事件もあったりして。
心穏やかならない厳しい時代だったと記憶。
特に地震の時の取材のテレビ番組を見ていて、本当にここは日本なのかとそう思った人も多いのではないか。
そして津波の映像も衝撃的だった。
津波の映像はYouTubeなどで詳しくアップされているので確認してみたい人はいかようにもアクセスできる。
様々な自然災害や事件の中で、平穏な時代だったと感じる人はどれくらいいるのだろうか。
平穏とは程遠い厳しい時代だったような記憶が。
上皇陛下は平成を振り返って「戦争のないことが何よりでした」とおっしゃっておられたが、これでもし日本が戦争に巻き込まれていたならば、おそらく国家自体が存続そのものを問われる大変な事態になっていたに違いない。
その予想される最悪の事態だけは回避できたと解釈したい。
自然災害に合わないようにといくら願ってみても、こればかりは人の希望通りにもいかないだろう。
災害にどのように立ち向かえるか、どのように乗り越えられるかが1番重要なところで、地震にしても津波にしても十分な備えがないところに襲われた感が強い。
しかしながら、その後の対応は今でも不十分な部分はあるのだが、それなりの事はやっているようにも見える。
このような自然災害の慰問活動を熱心にされてきた皇室。
何度もテレビで紹介されたが、この膝と膝を付き合わせる上皇陛下の行動が世界中で賞賛された。
普段着のまま、膝をついて被災者と語り合う陛下。
外国人記者たちのやりとりが記録に残っている。
「あの小柄な男性は一体誰なんだ? 」
「失礼なことを言うな!彼はこの国のエンペラーだ!」
どこの国においても皇族と呼ばれる人たちはこのような行動はしないようだ。
日本では皇室は国民の象徴として憲法にも定められているれっきとした由緒ある存在。
我々国民もさることながら、皇室の、とりわけ上皇陛下が象徴としての振る舞いをとても重く受け止め、そのことに基づいた活動だと言えるだろう。
平成とはこの皇室の慰問の行脚の歴史とも言えるだろう。
世の中全般では、経済その他のいくつかの波乱があった記憶が強い。
特に北海道では主要な金融機関である拓銀の倒産があった。
この影響は凄まじく、これによって一体どれぐらいの会社が潰れていっただろうか。
私が勤めていた会社もご多分にもれず平成21年に倒産している。
このときの事件以降、私も様々な勉強をすることになって、この平成は勉強すると同時に様々なボランティア活動にも手を染め始め、また、自分自身の厳しい職探しの期間とも重なる。
平成は時間にして31年間。
人間の活動の時間で言うならば、 1代と言えるだろう。
大体、25年から30年の間で 1代とカウントするようだ。
表面的には穏やか、しかし、内実は波瀾万丈が平成の特徴だったと言える。
様々な儀式を経て


元号が変わるにあたり、様々な行事が催されるが、テレビでよく報道されるのは新旧天皇陛下が様々な儀式に参加して、皇位の継承を内外に披露する。
さすがに日本が神話の国なのだと実感されることがあった。
それは皇位の証として3種の神器が継承されること。
すなわち、勾玉、剣、鏡である。
このほかに印がある。
鏡だけは実際に皇室にあるわけではなく、行事の中では出てこなかったが、勾玉、剣、印はお付きのものが、三宝に捧げ持って、恭しくお供えしていたのが印象的だったと思う。
これらの神器が人の目に触れる事はほとんどないと言える。
これは、国宝クラスの持ち物と言えるだろう。
新しく即位された天皇陛下の挨拶にあった。
「今までの歴代天皇陛下のなされてきたことをしっかりと受け継ぎたい」
現在の天皇陛下は、何か革命的なことを画策してるようなお方ではない。
象徴としてどれだけ国民に寄り添うことができるのかそのことのみに大きく集中しているようだ。
皇室は実のところ賛否両論があって、必ずしも好意的な見方ばかりとも言えない。
しかしながら今回の1連の行事を見てみると、日本人としてほとんどの方は違和感なく見守ることができたのではないか。
色々な意味において、日本国民の象徴としての存在に間違いはなさそう。
あらゆる意味で様々な取材の対象になり、およそプライバシーなど存在しないとお気の毒に思う部分もあるのだが、天皇陛下やご家族の方たちは、そこら辺のところを実によくお分かりになっている気がするのである。
新しい時代への架け橋として、皇室もまたそのお役を担うことに。
これからもおそらく様々なことが周りで起こってくるに違いない。
その時に国民の心の拠り所としての存在は大きいものがあるだろう。
何はともあれ、時代はまた一歩先へ進んだことに。
当然、行く先々で大きな変革が予想される。
平穏で安らかな事は誰しもが願うところだが、時代の大きな流れを考えると、特に世界全体で見たときに、平穏とは全く逆の様相を示しているような気がする。
科学の発展と、人々の現実的な暮らしには、少しずつ乖離が生じているのも事実だろう。
平成はその準備段階として何とか乗り切った時代だが、令和はその変革が形となって現れてくるのかもしれない。
それはどのような分野で現れるのだろうか。
興味が湧くと同時に、ある種の不安、恐怖も若干混じるのである。
未来志向で
未来に対して悲観的な見方をするのはあまりいただけない。
能天気にただ明るいのもそれも愚かなことだとは思うが、これからの時代はきちんとしたリスク管理を伴った未来志向が求められるはず。
自然災害がその最たるもののはず。
よく過去の例から学ぶと言うが、実際に起こったところの災害は過去には経験のしたことのないものが起こってきたはず。
1番、間違いないのは、「何が起こるか分からない」と腹をくくることかもしれない。
平成を生きてきたものの感想としては、何かが起こってから、みっとももなくうろたえるのだけはもう二度としたくないと思うのである。
まとめ
この平成から令和へのカウントダウンの様子をテレビで見ていて、まるでお正月がもう一回来るのかなとそんな気持ちにさえなった。
日本は平和だなと思う。
しかしこの平和が、いくつかのぴんと張られたツナの上にかろうじて持ちこたえていることを忘れてはならないだろう。
日本国内では何事もなく平穏無事に思われるかもしれないが、周りの国々では惨憺たる有様だとそう思うのである。
そう遠くない将来、周りの国の様々なトラブルが、日本に降りかかってくるとも限らない。
なるべくならば避けて通りたいが、道義上、許されない場合も必ず出てくるはずである。
その時にどのような賢明な判断ができるのか、そして行動できるのか、日本人としての値打ちはそこで問われるかもしれない。
政治的なことなどはほとんど疎くてよくわからないことだらけだが、どのようなことが周りで起こっているのか少なくとも責任として見ておかなければいけない気がする。
とにかく時代は容赦なく前進。
いかに自由の国とは言っても、時代の流れを無視するような生き方もできないだろう。
未来が幸せで安寧であることを祈らずにはいられない。