くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

もう一つの太平洋戦争 民間徴用船の存在

 

たまたまテレビを見ていたら、トラック諸島の戦争中の特集番組をやっていたので。

トラック諸島は、戦時中 日本の防衛圏として極めて重要な地点と認識されていたが。

南方戦線への物資の配送、人員の送り迎えなど、軍だけでは到底船舶が間に合わず、

民間会社が所有していた様々な輸送船、果ては漁船、そういったものを軍で召し抱えることとして戦争に参加させた。

この時には、きちんと契約書が交わされ、船舶1tあたりいくらで借り入れる旨の内容が記載されたと言う。

そしてさらには、もし攻撃を受けて沈没するようなことがあればその補償もする旨が決められていた。

その輸送先は南方戦線の要所とされたトラック諸島。

ちなみに、ここでは昭和19年、アメリカ軍の猛攻撃があって主な船舶、飛行機など壊滅的なダメージを受けた。

お名前.com

目次

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トラック諸島 日本語名の表記がある

戦時徴用船 

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愛国丸と思われる 特設巡洋艦として軍命令で改造されていた

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第二次世界大戦が始まろうとしていた頃、日本の軍部は戦争に必要な船舶を急ごしらえで準備することとなった。

しかし、アメリカを相手にしなければならない以上、その準備のための船舶は戦艦や駆逐艦 空母などに限定され、貨物船や将兵たちの移送等には手が回らないのが実情だった。

そこで軍関係者が目をつけたのが、日本の民間会社が保有する様々な船舶。

まず、商船、貨物船、タンカー、果ては漁船に至るまで、軍が有償で借り上げることとしたのだ。

しかし、船をそのまま借りることにはならなかった。

ある程度 高額な賃料を設定し、船自体の改装も命じたのだ。

つまり、攻撃用の高射砲や機銃の設置である。

と同時に、船の乗組員を軍属として雇い入れる。

兵隊では無いのだが、軍関係者として扱われる。

この狙いは、作戦行動にしっかりと参加させて縛り付けるためと思われる。

このような徴用船は戦争全体で 7000隻以上が沈没させられている。

また、このときの船乗りたちがおよそ60,000人以上なくなっている。

戦争に参加した人たちの死亡率は、軍属でも13%から20%程度だったのに対し、民間船の船乗りたちは43%が亡くなったと聞く。

驚くべき死亡率。

死亡するのも無理は無い。

このような船は多少の改造を加えられたにしても、基本的には民間船。

戦闘用には作られていない。

敵からの攻撃を受けたときにはひとたまりもなかったのだ。

特に、無防備に近い状態の船であるにもかかわらず、護衛と呼べるものが全くついていなかったことも、被害を大きくした。

これらの船は主に潜水艦の魚雷によって沈没させられ、航空機の爆撃によって沈没させられた。

アメリカ軍もこれらの船がほとんど無防備であることをよく知っていて、この補給船を叩けば、日本は遠からず戦争から脱落するとわかっていた。

南方戦線へ補給と称して様々な船舶が送られたのだが、そのことごとくは目的地にたどり着く前に沈没させられていたのが実情。

日本の軍事作戦は、陸軍海軍だけではなく、民間もほぼ強制的に参加させられていた。

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トラック島空襲(海軍丁事件)

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昭和19年のトラック島空襲 この時徴用船は全滅する

トラック諸島は日本防衛の要とされている地点で、日本の軍備も配備されており、また、補給のための船舶や、軍艦なども多数配備されていたのだ。

実はここでの大勢の日本の軍属はいくつかの命令系統が分かれていて、軍艦などを中心とした軍の命令系統。

民間徴用船は、政府直属の命令系統で、お互い隣り合わせにいながら、それぞれがどのような作戦行動をしているか知らなかった事実がある。

軍は戦艦などをトラック諸島から引き上げるように指令を出した。

そこには多くの民間船がいながら、その大勢の人たちをそのまま置いて日本へ引き上げていったのだ。

実はアメリカが極めて老獪だったのは、日本軍の様々な暗号をことごとく解読しており、作戦行動が筒抜けだったことが挙げられる。

軍隊のいなくなった徴用船など、格好の餌食とされた。

アメリカ軍は大量の航空機を投入してことごとく基地を破壊し、トラック諸島の基地を奪還したのである。

ここでは日本軍の民間船およそ60隻と零戦を始めとする航空機270機が破壊され、基地そのものが奪還されてしまったのだ。

実は、この事は日本の国にも失敗として情報が入り、作戦失敗を検証するための調査委員会が開かれたと聞く。

そして、この基地を破壊されたことによって、日本軍はこの後ほとんど沖縄方面まで撤退せざるを得なかった。

この時、民間船に乗っていた民間人たちは死傷者も多数出て、助かった人も命辛々逃げたのだ。

日本軍の作戦として、暗号が筒抜けだったのは致命的なミスと言えるだろう。

それは科学力の差以前に、秘匿性を持つ情報をどのように維持するか、基本的なことが全くできていなかったのだ。

戦争による犠牲者は多数存在しているが、民間徴用船に乗っていた船乗りたちの死亡率があまりに多いことが、広く認知されていない実情もある。

もちろん様々な文献やそれ以外の情報も多数存在しているが、誰もが知っていると言うほどでは無い。

海の墓場

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今も犠牲者の遺骨が残る

トラック諸島の海には沈没させられた船の残骸が今も多数残っている。

そして聞くところによると、ここは有数の観光スポットなのだそう。

ダイビングをするマニアたちがこぞってここを訪れると言うのだ。

しかし、写真を見てわかるとおりに、回収されない犠牲者たちの遺骨がそのままのようだ。

これらは皆、沈没船の内部で発見されているので、観光目的のダイバーが目にする事は100%ないようだが、それにしても見ていて苦しくなる画像ではないか。

彼らは戦争のために強制的に戦わされて、犠牲になったのだから。

トラック諸島が美しき海の墓場と言われる所以である。

できることならば、現地でお弔いの気持ちを捧げたいぐらいである。

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戦後の対応とまとめ

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契約書(徴用船として)

徴用船の補償問題が戦後すぐに国会で議論されることとなった。

きちんと契約書を交わしており、戦後補償はなされて当然の状況だったのだが。

実は私が思うにはこの徴用船の1連の流れは、ここからが本当の悲劇だと思う。

保証をなんとかしようと思った政府だが、GHQから横槍が入ったのである。

GHQの考えでは、戦争に加担した戦犯は当然裁かれているが、戦争に加担したとされた民間徴用船にも応分の罰を加えられるべきと考えていたのだ。

つまり、補償の停止である。

これには日本政府も必死で反対の意見を述べたのだが、結局のところは押し切られたので、補償は普通にすることとして、 100%の税金をかける。

せっかく補償が得られたとしても税金で全て取り上げられるのでは、初めから何もないのと同じ。

このようにして徴用船の悲劇は終わったようだ。

無理矢理 軍部に取り込まれた挙句の果てが、命を失うか仮に助かったとしても何の補償もなく放り出されたのだ。

この戦争では様々な犠牲者が出たが、ここで発生した犠牲者の悲惨さは目に余るものがある。

もちろん他にも原爆を始め大空襲などで命を失った人たちはたくさんいるが、生き残った後もこのような無慈悲な仕打ちを味わされたのだ。

戦争の悲惨さを語るときには、様々な事実をある程度調べ上げて、その事実に基づいて語り継ぐのが残った者たちの責務と言える。

終戦記念日が近い。

この8月はどうしてもそのような思いで1日1日が過ぎていく。