たまたまテレビで見かけたヒッチコックの特集番組。
彼自身の映画に対するこだわりは半端でない事はよくわかってはいたが、彼の人となりまでは、それほど深く知っていたわけではない。
調べてみて感じたのは、ストイックである以前に、自分自身に対する“劣等感”
また“マザコン”とも言えるような母親との関係。
その反面、映画作りとなると“サディスト”と揶揄されるほど俳優やスタッフには、驚くほど厳しかったのだ。
彼のことを少し深掘りしてみることに。
目次
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イギリス生まれハリウッドで活躍
彼が生まれたのはイギリス1899年。19世紀の生まれになる。
80歳で亡くなるまで、映画作りにかけた人生と言えるだろう。
最初はイギリスで活動を始めているが、彼は家の宗教がカソリックだったのでイギリスの中ではごく少数派。
イギリスは基本的には、イギリス国王を中心とした“清教徒ピューリタン”になるので、ローマンカソリックとは1線を画す。
映画へのこだわりは、最初は助監督として出発している。
そして、その時に様々な映画に関わる仕事を率先して手を挙げてやっていたようだ。
脚本を始め様々な仕事に関わることになって、その結果、後の著名な作品を数多く生み出す下地が作られた。
彼は27歳で同い年のアルマと結婚。
女の子を1人設けている。
ヒッチコックは家族を溺愛していた。
特に奥さんのアルマとは仕事上でも切っても切れない関係にあって、脚本など自分自身の作品に関わる最初の評論は奥様だったと聞いている。
つまり奥さんが気に入った作品がヒッチコックにとっては良い作品と言うことに。
特に完璧主義者の彼は、気に入らない俳優の首をはね、また脚本家の首もはねたと聞いている。
その時に残りの“脚本執筆”や“シーン割”を引き受けてくれたのは奥さんだったのだ。
彼の映画は、奥さんなしではできなかったと言える。
映画製作のこだわり
よく言われるのはカメオ出演と言って彼自身自らが作品の中に顔を出すこと。
最初は低予算で作る映画にエキストラが不足していてその中に自分自身も紛れ込んだことが始まりのようだ。
そのうち、彼独特のこだわりによって自らが映画の中に顔出しするようになった。
そうなると観客も映画の中にヒッチコック自身がどこに潜んでいるのかを積極的に探すように。
彼の主な作品には必ず自らが出演している。
特にアメリカでのテレビの仕事も多かったので、“低予算であること”、“撮影が驚くほど早い”こと。
こういったことがヒッチコックの映画には必要不可欠な条件にもなった。
描き方の手法としては、観客にいかに想像させるかが彼自身の最も腐心したところ。
“核心そのものをズバリ見せてしまわない”ことが彼の作品の大きな特徴。
画像の中で何が描かれているのかを、観客自身にも想像力をフル動員させる方法を様々こしらえ続けたのだ。
結果としてはその手法は大絶賛されることに。
映画の面白さは、作品の描かれた世界にいかにして観客を呼び寄せるか。
最近の映画でも通用する最も大切な手法がヒッチコックによって確立された。
サスペンス映画の巨匠
サイコの中で シャワー室の中で殺人事件が行われるシーン。
実はこのシーンは犯人はあまりよく見えない設定。
映像と音によって殺戮のシーンをより強烈な印象で表現。
この作品の中で犯人役を演じたのはアンソニーパーキンス。
彼が見出してメジャーになった俳優たちもかなり多いのだが、様々な女優も彼によって発掘されている。
『イングリットバーグマン』や『グレースケリー』も彼に見出された。
しかし、完璧主義者のヒッチコックにとって『俳優は家畜のようなもの』との言葉がある。
自分自身が納得のいく演技を妥協することなく俳優に求め続けた。
彼への論評はかなりひどいものだ 。
『サディスト』
これが彼につけられたあだ名。
自分が納得しなければ絶対にオーケーを出さなかったんだそうだ。
そして彼はアドリブを嫌った監督としても有名。
あらかじめ台本を渡すので必ずその台本通りに演技することを求めたようだ。
撮影の最中にふと出るアドリブなど彼にはありえないことだったようだ。
日本の“黒澤明”にも共通する。
作品の全体像があらかじめ頭の中にしっかりと出来上がっているので、そこから逸脱するようなものは邪魔以外の何者でもなかったのだ。
また、打ち合わせの際、気に入らないとされた脚本家は有無を言わさず首をはねられた。
大抵の場合、そういった脚本の後始末は奥さんのアルマがやったようだ。
周りにはそれなりにスタッフもいたのだろうが、ヒッチコックの人見知りはかなり有名で、人付き合いはほとんどなかったようだ。
彼は映画を作ることにだけ全身全霊で集中していた。
それ以外の事はどうでもよかったのかもしれない。
何よりも彼にとって大切なのは家族、とりわけ奥さん。
もし奥さんや娘さんに何かあったなら、仕事なんかとても手につかないような状況だったと聞いている。
また、聞いたところによれば、彼は自分自身の体型に大変な劣等感を抱いていた。
そういったこともあって、人付き合いは得意ではないとされた。
映画をよく見る者にとっては、彼自身のビジュアルはとても特徴的で親しみの持てる者の印象があるが、彼自身は全く違う自己認識を持っていたのだ。
またこのようなエピソードも聞いたことが。
スウェーデン出身の大女優“イングリットバーグマン”が演技の仕方についてヒッチコックに大議論を持ちかけたことがあったそうだ。
そのことに対するヒッチコックの答えが
『イングリットそんなにカリカリしなさんな。』
『たかだか映画だよ。』
女優の演技論にはほとんど興味を示さなかったのだ。
『俳優は家畜』と言い切った彼。
自分自身が希望することを演じてさえくれれば後はどうでもよかったのかも。
俳優をさんざん悩ませ苦労して撮影させたカットも、編集の際に気に入らなければ簡単に不採用にしたらしい。
俳優にしてみればいたたまれない気持ちになってしまうかも。
彼が生み出した様々な方式
彼は映画を作るときに、どうすれば観客に訴えられるのかを常に模索していた。
この鳥の撮影のときにはハクセイを使ったりしたらしいが、リアリティーに欠けるとのことで後で全部本物の鳥で撮影し直したと聞く。
そのリアリズムは、女優が鳥につつかれて怪我をするまで実行したと聞いている。
俳優たちにとってみれば、たまったものではないが、彼の目指すリアリズムがどうしてもそこを譲れなかったのだろう。
こうして撮影された彼の映画は発表されるたびに大絶賛されることに。
また彼はテレビでの自分自身の番組も持っていて、その時の放送のときには前後に自分自身のナレーションを付け加えることに。
そうすることで、より観客の気を引くことができた。
その手法は映画の中ではカメオ方式として進化した形で採用されることに。
孤独だった晩年
70歳を過ぎても創作意欲が衰える事は全くなく、いつ引退するのと聞かれれば映画の上映が終わったらと答えたようだ。
典型的な映画人間であることは間違いないのだが、肉体的な衰えはいかんしがたいものがあっただろう。
あの体型である。
健康的な状態を維持できているとは到底思えない。
定期的に医者にも通っていたようでアルコール等は禁止されていたこともあったようだ。
しかし、自分自身の好きなものを、簡単に人に言われるがままにあきらめるような事はせず、隠れてブランデーをがぶ飲みしたりしたこともあったと聞いている。
彼は、映画の世界では順風満帆のように見えて、何度かバッシングの憂き目に遭っている。
と言うのも、作った映画はサスペンス映画中心なので、当時の映画界ではこのジャンルの映画はどうしても高い評価を得られなかったことがある。
また晩年になって作り出した彼の映画は、若い頃のようなひらめきには欠けているとのバッシングも起こったのだ。
しかし、このような悪評に反論した何人かの映画監督たちがいた。
それは、60年代に入ってからフランスで活躍し始めた“ヌーベルバーグ”と呼ばれる監督たち。
つまり、“ゴダール”や“トリフォー”らである。
また、あの“スピルバーグ”が若い頃、ヒッチコックの映画作りにいたく共感して直接撮影現場を訪れたこともあったようだ。
一般の人にも楽しめる映画が彼の真骨頂だが、実際に映画を作っているプロたちの間にも評判はとても高かったのだ。
彼は、死ぬ間際まで映画作りの計画を進めていた。
当然のことながら、最後の作品は計画のままで終わってしまったが。
80歳になった時にアメリカで亡くなっている。
彼の遺体は荼毘に付されて葬られたと聞く。
27歳で結婚した奥さんと生涯添い遂げた。
ちなみに奥さんはヒッチコックが亡き後、2年後に亡くなっている。
映画人としての実績もさることながら、家庭人としての彼を高く評価したい。
最初に結婚した人と生涯添い遂げる人は今は少数派だから。
やはり彼の映画の魅力は天下一品。
もう一度テレビでやっているならばみたい気持ちがふつふつと湧いてくる。