何気なく見ていたテレビ“ごごナマ”
今日の特集ゲストがあの『伊集院静』
最初はテレビの脚本家で出発したんだけれど、今は押しも押されぬ作家先生。
芸能人と浮き名を流していたことでもかなり有名かな?
誰もが知っているのはあの亡くなった女優『夏目雅子』の元旦那。
ネットで改めて調べてみたところ、あの夏目雅子を何度も妊娠させて、その都度中絶させていたらしいのだ。
彼自身の言いつけなのか、それとも女優夏目雅子の自分の意思なのかわからないけど、この記述を見る限り、“男としてはクズかも”と思ってしまう。
しかし今日の番組を見た限りでは、それほどの不埒な印象は全くない。
彼の様々な文筆活動の中で、“大人の流儀シリーズ”がある。
その中の最新作で『1人で生きる』とあった。
その言葉を受けて私なりに『お一人様』を考えてみたい。
目次
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高齢者が1人で生きることを選ばなければならない理由
独居老人は増えているんだよね。
確かに、私なども一人暮らしでなければこんなつまらないブログの題材など選ぶはずもなく。
ちなみにずっと夫婦とか、家族とかの単位で暮らしてきた人が1人になるとそれなりにストレスを感じるのもわかる。
いつもコミニケーションをとっていた家族が突然いなくなれば、コミニュケーションを取らないこと自体がストレスになる事はそれは容易に想像できる。
しかし、日本では、ずいぶん昔から各家族化が進んで、家族の中から出て行ったり亡くなる人がいればやがて残るのは1人。
一気に家族全員がいなくなる事は普通考えにくいので、少しずつ減っていって、最後に“お一人様”が残る例が多いのかも。
私自身も胸に手を当てて考えてみると、一人暮らしをするようになったのは、平成16年から。
つまり今年で15年目になるのかな?
かつて婚姻関係にあった女性がいた。
その彼女と別れることになってから15年と言うことになるか。
さて理由などを述べてみても仕方がないので、1人で暮らすことの意味をちょっと振り返ってみる。
おそらく大抵の人は、他に暮らしようがなかったからと答える理由が1番多いだろう。
家族その他がいる中で、1人家を飛び出すのは、若者ならいざ知らず、歳をとってからだと少し考えにくい。
もっとも、家を追い出された場合では話は別だが。
1人で暮らすことをストレスに受け止める人は、こういった考え方は苦手なはず。
複数で暮らすにはそれなりのルールが必要で、そのかわり1番大きなところでは、
まず“会話をする”。
会話がなくてもひとつ屋根の下で同じ空気を吸っていれば、知らず知らずのうちに“連帯感”が生まれている。
ただし、こういった連帯感は失って初めて感じるもの。
よく空気のような存在といわれるが、普段は意識しない。
まぁ言ってみれば呼吸と一緒。
吸う息吐く息をいちいち気にする人はよほどの病人か、ヨガの呼吸法などの訓練をしている場合に限る。
人生観は人様々
人生観はすなわちその人自身の世界観とも通じる。
人間は、社会的動物といわれるが、多分それは合っていると思う。
どんなに孤独なことを愛して1人で生きることを考えてみても、日本の場合はすべてはきちんとお役所に登録されているので、歳をとると安否確認の対象になる。
およそ日本では誰にも知られずに1人で生きる事は物理的に不可能。
個人であったり家族であったり、また会社であったり地域であったり様々な人との集まりに所属することになるのではないかと。
そうなると、ひとりでいる事は、どこまでいっても便宜的なもので、本当は1人とは言えないのかも。
要するに一人暮らしをしているかしていないかくらいの差だろう。
そうなればさしたる問題があるとも思えず。
1人で暮らして1人で生きることにさほどのリスクなど、あるはずもなく。
受け止め方の問題と分類されるんだろう。
お一人様のメリットとリスク
メリットは
1人で暮らすメリットは、なんといっても気ままなことが挙げられる。
全ての面において自由気ままなのだ。
特に私のように年金暮らしの1人だと、日常生活でも私を縛るものはほとんどない。
夜更かししようが、朝早起きしようがそれは私の勝手。
誰からも指を刺される事はなく、自分自身の良識の範囲内で暮らすだけ。
この暮らしを10年以上続けると圧倒的に楽なことを感じる。
もちろん、すべての事は自分でしなければならないので掃除、炊事、洗濯等全て自前。
これは、まあ一言で言えば慣れ。
すべての事は慣れる。
私も1人で暮らして長いので、自分の得意不得意がどうやらはっきりわかってくる。
私は掃除と片付けが苦手。
部屋は年間通して散らかっている。
我慢できなくなるちょっと前に若干だけ片付けるように。
逆に得意なのは買い物と料理。
買い物は、貧乏人なこともあるので、スーパーの安売りのものを底値で買う癖がついている。
どの食品なり、他の生活必需品が最も安いのかをあらかじめ知っているので、わざわざ高いものを買う事は絶対にありえない。
料理も大抵のものは調味料をいちいち図ることなく、適当に食材を合わせることでその場で創作料理のようにして作ってしまう。
料理の基本は煮る、焼く、炒めるでほぼ賄えるだろう。
他に若干の蒸し料理が加わるが。
このときに使う様々な調味料を、私はいちいち図る事は無い。
これも、慣れ。
ただし、私の日課として、ネットサーフィンをよくするが、その中で料理のサイトは複数登録していてしょっちゅう眺めることに。
どんな料理をすれば美味しくなるのかをいつも何気なく眺めている。
最近、よく見るようになったのは料理系のYouTuber。
彼ら彼女らのアップしている動画をよく見ている。
そういったことも含めてが、私にとっての楽しみともなっている。
リスクとは
一人暮らしを始めたばかりの頃は、寂しさを感じることがあったかもしれない。
気持ちの整理をつけるまでにずいぶん時間がかかった気が。
しかし、時間が持っている精神的なダメージの治癒能力はかなりのものがあって、時間が経てば、そこそこ辛いと思えるようなこともだんだんなだらかにならされてしまうのだ。
大抵の人は知らず知らずのうちに様々な情報を世の中から得ていると思うが、その中にも自分が受けている精神的なダメージを回復させるだけのヒントが隠されている場合が。
私の場合も一人暮らしを始めた2年間ぐらいは、それなりに辛いと思ったこともうっすら記憶に。
しかしあれから15年経った今、ストレスと感じるものは全くない。
私の場合は、時間の経過がそのまま自分自身が立ち直るための治療だった気がする。
さて一人暮らしを始めた頃のリスクは今はほぼ感じていないが、この先にどうしてもはずせないリスクを1つ計上する必要が。
それはとりもなおさず、今のこの私の身の上に何かがあったとき。
私は例えば、大きな病気をしたり重大な事故等があった場合、全ては自分1人で背負わなければならない。
この年齢になれば突然死の可能性だって否定はできないのだ。
つまり、今の私の正体がなくなったときにどのように対応しなければいけないのか。
万が一、孤独死するようなことがあればどう対応すれば良いのだろう。
今、リスクとして考える最大の問題はここ。
とても気がかりなことで、どのように準備をしておいてうまく切り抜けられるかをいつも考える。
私は普段からボランティア活動などを熱心に行っているが、そのようなコミニュケーションでも、せいぜい月に数回の連絡を取り合うのが関の山で、他は全くの孤独な状態で過ごしている。
この孤独な時間で何かあったときのことを、ある程度、前後策を考えておく必要が。
現在、一人暮らしで、なおかつ家族といっても身内に弟が1人いるだけで他に誰もいない状態だと、連絡を取る相手もいるはずもなく。
今の年齢だと、今日明日死ぬこともないと思うので多少は何年かの時間はあるとは考えてはいるが、少なくともこの5年ないしは10年以内にきちんとした対応策が必要になるだろう。
私の世代では、誰かに迷惑をかけることを最も恥とする精神構造で出来上がっている。
どのみち今の生活範囲では、少なからず誰かに迷惑をかけるのははっきりしているので、その点では多少のあきらめがついているのだが。
とりあえずは申し訳ない気持ちで暮らしている部分がある。
さて、私のようなお一人様はどうやら今後増える傾向に。
昔尊敬する阿闍梨に言われたことがある。
幸せとは、
『明日に、明日の朝に、目が覚めるときのことを希望を持って迎えられること。』
つまり未来になにがしかの希望を持っている人が幸せな人。
さて、何度も言うが私のようなお一人様が幸せを感じるだけの事はあるのかどうか。