映画アンドリューの原作者は、
SF界の巨匠と言われた作家アイザックアシモフ博士の作品。
実は、アシモフ博士はずいぶん前から知ってはいたが作品を読んだ事は(本で)多分ないのでは。
しかし、映画となれば話は別。
SF映画とヒューマンドラマの中間にあるような作品が有名。
このアンドリューもそう。
私がこの映画を見たのは、20年以上も前になると思う。
たまたまYouTubeでこの映画のメイキング画像を発見。
そういえばこの映画を見てずいぶんと感動した記憶が。
感動した理由を今一度振り返ってみたい。
目次
作家アイザックアシモフ
ちなみにダッチトリートクラブはアメリカの作家協会。
ただし会員になるには ある程度の資格が必要。
詳しくは知らないが、私がとある作家の方から聞いたところ、日本で言えば芥川賞受賞者の会みたいなそれぐらいのステータスだと。
日本の作家の1番の名誉賞はやっぱり芥川賞になるので、その次が直木賞かな?。
つまりこのくらいの実績がなければなれないってことか。
アシモフ氏の事は古くから知ってはいたんだけれど、物理学とか生化学とかで博士号を持っている方ぐらいの認識。
作家としての著作はかなり多い。
娯楽作品とはちょっと違うよね。
私の印象では、多分に哲学的な意味合いが込められているなと感じる。
実は読んだことがないのであまり大きな事は言えないが彼が原作の映画では、精神的な世界への深い洞察力に満ち溢れているなと強く感じたもので。
彼を調べてみてびっくりしたことが1つ。
彼は90年代の初めの頃に亡くなっているが死因がなんとエイズだった。
同姓愛者ではないので詳しく調べてみると心臓バイパス手術の時に輸血をしたんだそう。
つまりその時の血液がエイズウィルスに汚染されていた。
なんとも気の毒な話。まだ72歳だったので、彼の事だったらあと10年以上も活躍したのでは。
物語の設定と描かれた時間の経過
アンドリューを演じたのはロビンウィリアムズ。
もともとは喜劇俳優だったのだが、役者として様々な役柄をこなすうちにアメリカでも著名な何人かの俳優にカウントされるように。
実は、彼は私の2つ年上で、63歳で亡くなっているのだが、その時の死因が老人性うつ病による縊死(首つり自殺)とあった 。
思えばとても残念な事件だが、老人性うつ病で自らの命を立つ有名人は意外と多いだろう。
日本でもポール牧、牧伸二、などがうつ病で自ら亡くなったと聞いている。
またフランスの潜水の専門家ジャックマイヨール氏もうつ病で亡くなったと思った。
ちなみにマイヨール氏は映画グランブルーのモデルとして知られている。
さて、アンドリューという映画は家庭で家事をこなすためのロボットとしてサム・ニール扮する家庭に採用されたのだ。
プログラムでしか動かないロボットのはずなんだけれど何故かものづくりとか、人との対応などに特殊な才能を発揮するように。
そのことを彼の主人が高く評価していろいろ作った時計などを販売することに。
その販売して得たお金をアンドリュー名義できちんと貯金してくれていた。
物語はそこから進展をするのだ。
ロボットでいながら、様々な社会見学の旅に出る。
その時の資金は自分自身の貯金と言うことに。
やがて、ロボットが決して死ぬ事は無いのに対して自分が仕えている人間が年老いて死んでいくことが悲しいことだと自覚するように。
物語はこの自分が最初に仕えた主人の子孫の代にまでつながっていく。
さらに、アンドリュー自身も自分への改良とモデルチェンジを繰り返してついには人間と変わらない生命としてのプログラムを手に入れることに。
ロボットと人間の関わり
アンドリューに限らずアシモフ氏はロボットを題材にした作品を多く作っているが、その中で有名な事柄が描かれていた。
ロボット3原則
- 第一条
- ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
- 第二条
- ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
- 第三条
- ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
これかなり有名なので、昔から他の作品にも取り入れられてきたと思う。
日本では私が知る限りでは最初にこのことを取り入れたのが鉄腕アトム。
やはり手塚治虫がこのアシモフ博士のこれらの作品を知らないわけがない。
そして誰もが感銘する通りにこのところに注目していたのでは。
この三原則をもとに彼の作品は作られていると言っていい。
アンドリューの中でもこの三原則に基づいたロボットたちのセリフがあったではないか。
ロボットは自分自身に対して明らかに不利益となるような過酷な命令を受けても必ず次のセリフを言うようになっていた。
お役に立ててうれしいです。
このセリフは映画の中で所々に出てきたが、映画の最後のほうのシーンでは特に印象的に使われていた記憶がある。
実は何気なく見たこのYouTube画像ですっかり思い出した 。
そういえばこの映画を見てずいぶん感動したんだよなと。
あらすじなど申し分なく10分ほどで見れるので。
【近未来】人間の定義とは? 映画 ≪ アンドリューNDR114 ≫【#スペアシアター】
主役を演じたロビンウィリアムズが1番脂が乗っていた時の作品ではなかったろうか。
もともと、彼はマシンガンのような早口でセリフをこなす俳優として有名だったのだが、この映画に関してはセリフはかなり短めだと言える。
そして表情もそれほど多くは無いはず。
にもかかわらずロボットとして機能している彼の魅力が随所に溢れていて、要するに見ているものにもかかわらずロボットとして機能している彼の魅力が随所に溢れていて、要するに見ている者をして感情移入させる。
意外とできそうでできないよね、こういう演技は。
映画のテーマは生命賛歌
人間を始め命あるものはこの世に生まれた時から必ず死ぬ運命が決まっている。
永遠の命などあるはずもなく、また求める事はいろいろな意見はあるだろうが私は個人的にはナンセンスだと考える。
せいぜいできることといえば、可能な限り死ぬ直前まで健やかなクオリティーを保ち続けられること。
さてロボットなどにはそういった約束事は無い。
エネルギーさえチャージできれば半永久的に稼働することが可能。
アンドリューではそういったことをテーマに、命がどういうものなのかを追求していた。
アンドリューはロボットでいながら、プログラムで組まれた存在でいながら、独特な感性が備わっていて 命ある者を愛でる心、また感じる心を兼ね備えてた。
普通ではありえないことだが、この作品の設定で唯一荒唐無稽と言えるところはその辺だろう。
ロボットが人間らしく振る舞うことはできても、人間そのものになれないのは、プログラムに基づいた反応が義務付けられているから。
ロボットの三原則にもあるように、暴走しないようにあらかじめコントロールされているし、自分勝手に活動する事は不可能なこと。
さて、ロボットはやがて人間そのものの存在を目指すようになるのだ。
そしてそれは自分でももちろん努力をするが、周りから認めてもらうための啓蒙活動を始める。
アンドリューのユニークな点はそこら辺。
わざわざ人間として認めてくれるようにお願いをするのだ。
映画の最後から学ぶ生命のあり方
アンドリューが人間として認められた時に、彼はその連絡を、既にこと切れていて知る事はなかった。
本当は人間として新たな誕生を自覚できるはずだったのだが、物語としてはそこが間に合わないことに設定されていたね。
彼が旅に出てからおよそ200年後の設定になっていた。
生きる事はすなわちその先に死があることを受け入れる。
そして死に至るまでには必ず老いがあること。
この1連のプロセスが生きていることの証なのだろうと。
アイザックアシモフが描きたかったのはこのような死生観について多くの人に問題を投げかけたかったからかもしれない。
自分の身に起こる様々な事柄があらかじめ命あるものとして定まっていることであれば、今さらジタバタ騒ぐこともないなと。
そのような不思議な感覚を抱かせるのにこの映画は大きく貢献してくれていたと言える。
それにしても主演をしたロビンウィリアムズの不幸を今になっても惜しいと思うのだ。