オカルト系や超常現象などを扱った番組は興味があってすぐに見てしまう。
今回の特集は魂についての科学的な考察。
科学者たちにとっても、話題の尽きない題材と見えて世界中で熱心に研究が行われている。
しかし、実態はと言うとどこまで解明されているのか、科学の領域にとどまる話ではない部分も多々あって、結局のところはわからないことだらけなのかも。
過去に、様々な人の生き死にや、哲学や宗教などを勉強したことがあるので。
私なりの考察を述べてみる。
目次
人は目で見たり聞こえたりするだけが全てと思ってはいけない
およそ世の中には目で見たり、また他の感覚で感じたりできないものも山ほど存在する。
宇宙物理学で最近明らかになってきた
ダークマターとか暗黒物質なんてものが。
これらは、どんなものなのかは全く解明できていないが、しかしこういったものを想定しないと宇宙全体を説明できないと言われる。
9割以上が説明不可能なもので出来上がっているらしい。
ちなみに興味が湧くのは生き死にに関すること。
この世に生まれてから亡くなるまで、又、亡くなった後どうなるかなんて事は、大抵の場合知覚できないはず。
しかしわかりませんで済まさないのが科学者たちの執念。
様々なアプローチでその内容を解明しようとしている。
その最たるものは、人がもともと錯覚しやすい生き物であることを追求してわかってくる事柄。
死にかけたりすると、普段は目にしたり聞いたりすることとは別に感じるものがあるらしいのだ。
なるほどそういったものをたくさん集めれば症例として採用することもできる。
わからない事は、わからないこととして、心の中に止めおくしかないかも。
臨死体験と輪廻転生 似て非なるもの
臨死体験の場合、大抵証言は似通っている。
自分自身の横たわる姿を数メートル上から覗き込んでいる様子。
そして視界がブラックアウトした後トンネルのようなところに出て、彼方に光が見える。
人によってはその先の証言も。
自分の過去に知っている人や花畑や、様々な物が世界として知覚できる。
しかし大抵の人はその後現実の世界に生還してくるので、その後の事はわからないようだ。
これを事実かどうかと検証するのは意味のあることとも思えない。
あくまでも証言だと認識するのがベストだろう。
輪廻転生は臨死体験とは明らかに違う。
一旦は死んでこの世を離れなければならないから。
そして別な次元で過ごした後、またこの世に戻ってくる。
転生者は一定期間の間過去の記憶をきちんと持ち続けているようだ。
テレビ番組の報告では3歳から9歳程度までとされていた。
それ以降はきれいさっぱり忘れてしまうらしいのだ。
過去世の記憶を持つ人は意外にあちこちで聞くことが。
仏教の世界の話になるが、現存するダライ・ラマ14世猊下は生まれ変わりでずっとこの世にとどまり続けているが、最初に生まれ変わりかどうかを判別するときに前世の記憶を試験されるらしい。
現在のダライ・ラマ14世はその試験の時にありえないほどの記憶を披露したと言われている。
大体試験官は1人ではやってこない。
複数の人がやってきて、本当の試験官は大抵奥のほうに控えているのだそうだ。
しかし今のダライ・ラマ14世は少年の頃この試験を受けたときに、後ろのほうに控えていた本当の試験官のところまでつかつかと歩み寄って、
あなたは僕の数珠を持っているよね、それを返してくれ。
結構有名な逸話として私ですら知っている。
輪廻転生とは多分こういったことを指すと思う。
科学で説明できるものできないもの
ちなみに科学的な根拠は私たちにとっては圧倒的な説得力を持つだろう。
科学で解明できない事は山ほどあるけれど、人はとにかく解明することに全力を尽くす。
しかし、ここで考えてみると
科学は基本的には物質の法則を明らかにすること。
霊的な世界は物質の法則には当てはまらないだろう。
したがって私が思うに、
魂とか霊魂とかを科学的に証明すること自体ナンセンスだと思っている。
自分が理解できないものをハナから分からないものとして否定することが、どれほど愚かしいことかを知らなければならない。
もっとも人間の持っている脳は、科学的なことを超越した世界もきちんと理解できるだけの力が備わっていると言われている。
昔から言われている事は私たちは自分たちの脳のほんのわずかの領域しか使えていない。
全てをフルに活動させればおよそわからないものなどないはずだと。
確かにずいぶん昔からそんなことが言われてきたような気がする。
人間は騙されやすい生き物
実は人間は進化の過程で様々なものを瞬時に顔の表情とかで判断できるように訓練され続けてきた。
それは相手の顔を見たときに自分に危害を加えるかそうでないかを素早く判断する必要があったから。
また人間はその目を見たときに黒眼と白眼がきちんと分かれている。
これは、視線をはっきりとわからせることによって自分の意思表示がしやすくなっていると言える。
その分、命のやりとりをするような戦いには全く向かない。
相手がどちらを向いているかが瞬時にわかってしまうので、目線を読み取られれば弱点を読まれることに等しくなる。
と同時に、様々なものを錯覚してデフォルメして知覚するようにできているらしい。
我々が空に見上げる月。
結構な大きさに見えると思うが、写真に撮ってみたら驚くほど小さいのだ。
理由があって、我々の見える月は我々の脳が画像処理をしてデフォルメして大きく見せている。
こういったことを錯視と呼んでいる。
ちなみに認知症の中でレビー小体型認知症と呼ばれるものがあるが、認知症の中で最も辛い症状を示すとされる。
脳の中に異常が起こる事はわかっているのだが、
その結果あちこちで幻覚を見てしまうのだ。
例えばドアを開けたときに誰かが立っているとか、夜トイレに行って扉を開けるとそこに誰かがいるとか。
本来いないはずのものが脳が勝手に暴走して次々とないものを見てしまう。
人にもよるが、恐れおののく人だって多いと聞いている。
人はとにかく生きるときには、様々なリスクを背負わされることが。
まとめ
魂や霊魂の存在が説明できるかどうかは私にはわからない。
しかし説明できなくても、その存在の信憑性が傷つくこともないはず。
なんといったって私たちは霊長類なんだから。
この科学の領域の言葉にも、まともに霊と書いてある。
こんな屁理屈はともかく、私たちは過去から様々な文化を受け継いでいるが、どうやら最近になってその辺の伝承が曖昧になりつつあるのでは。
過去に起こった様々な事柄から未来に向けて学ぶべき事は山ほど。
私たちだけの世界として、この世を好き勝手に改ざんする事は許されないだろう。
それにしても、きちんと向き合うことをしなければ恐怖だけが増長される。