明治維新の頃、日本は江戸だけで政治が行われていたわけではない。
実際は江戸と京都大阪など、全国でもこれはと思う大都市で様々な活動がなされた。
設定は1864年、大政奉還の4年ほど前。
すでに徳川幕府はその支配力は全国に及ぶ事はなくなっており、かといって朝廷が実権を握れていたわけでもない。
時代はまさに過渡期。
尊王攘夷がうわべだけの運動でしかないことを思い知らされた栄一。
世の中を実際に変えられるだけの力を発揮するためには、自分たちの気持ちだけでは無理なことをうすうす悟り始めていた。
目次
平岡円四郎を訪ねる
血洗島での暮らしをよしとはせずに日本全体のことを考えて家を出ることにした栄一たち。
喜助と2人連れ立ってまず江戸を目指すことになる。
感心なのは2人とも両親の許可をきちんと得ていること。
志がきちんとしていることをそれぞれの両親ともに納得できたのだろう。
2人とも当座の資金を持ちつつ、江戸を目指したところが、まず最初にとった行動がかつて声をかけてもらった一橋家家臣平岡円四郎に会いに行くこと。
しかし、残念ながら彼はもう江戸にはおらず、主君と一緒に京都に赴いていると言う。
物語はそこから始まる。
ここからは青天を衝けは京都編として物語が始まるようだ。
円四郎の奥さんは夫から書きつけを預かっていた。
それは、若いふたりが訪ねてくるかもしれないからその時はこの通行証を渡してほしいとのこと。
この辺から栄一は一橋家と行動を共にすることが規定路線であったかのよう。
江戸から京都へ
江戸から京都へ向かう途中でも、江戸時代のことを考えれば幕末とは言え様々な関所が設けられていたはず。
そのために持たされた通行証は大いに役立ったに違いない。
栄一と喜助にとってまず最初にしなければならない事は情報収集。
日本国内がどんな様子になっているかをきちんと把握する必要が。
そのためには様々な人と出会って意見を聞く必要がある。
家から持ってきた資金はそのために使うことにもなるのだ。
まず百姓のいでたちでは街へ出て行くことにもならないので、とりあえず武士としての装束を揃えることにした。
この辺からなんとなく私たちが知る幕末の渋沢栄一っぽく映る。
この姿を見る限り、およそお百姓さん出身には見えない。
彼の本来の才能はこのあたりから本格的に発揮されることになるはず。
新たな出会い
いざ京都へ到着してもお目当ての平岡円四郎にはなかなか会えない。
当時彼の主君一橋慶喜は幕府名代としてひたすら忙しく仕事をしていた。
その直属の部下だった平岡は簡単にスケジュールを開けることなど不可能だったのだ。
またなかなか会えずにいたところ、栄一たちは勤王の志士と呼ばれる人たちと盛んに交流を深めていた。
そこで学んだことがある。
勤王の志士と呼ばれる人たちは理屈だけは達者だが、実際に行動する人たちではない。
結論から言えば口先だけで全く役に立たないシロモノだったわけだ。
多分その事実は栄一にとっても我が身を振り返ることにつながったかもしれない。
雄弁で名を馳せた渋沢栄一は、自分の話しぶりを逆に周りから指摘されることも多かったようだ。
彼自身も口先だけの人間とそしりを受けることが不本意だったと思っていたフシがある。
京都では今日の放送では詳しくは語られてはいないが何人かの著名人と知り合うことになる。
渋沢栄一が新選組と親交があった事は彼自身の回顧録の中にも出てくることで、私も読んだことがあるが、ほとんど暴露本のような印象を受けた。
当時の京都での様子がよくわかると言うもの。
さらに渋沢がこの後親交を深める人に伍代友厚がいる。
彼と渋沢が手を組んで様々な事業を手がけた事はよく知られている。
伍代は明治18年、49歳で糖尿病でなくなるまで経済界を担う1人として活躍していた。
一橋家へ仕官
平岡円四郎の口利きで一橋家の家臣に取り立てられる栄一たち。
詳しい事は来週以降になるはずだが、尊王攘夷のために命をかけるはずだったが彼らは不思議な縁で幕府の中で一翼を担うことになるのだ。
歴史学者が口を揃えて言うのは、この頃の渋沢栄一は血気盛んで激動の明治維新をよく死なずに長生きできたなと。
もともとが強運の持ち主であった事は言うまでもないが、彼には神がかり的なご加護があったかもしれない。
私が感じるところでまず第一に挙げられるのは人脈だろう。
後の明治政府に参画する人たちもさることながら、徳川幕府を構成していた人たちとも深い親交があった。
つまり、敵味方どちらにも知り合いがいたわけだ。
彼が、存命中の時に京都では有名な池田屋事件とか坂本龍馬の暗殺とかがあった。
渋沢栄一の立ち位置から考えても、運が悪ければ粛清されても何ら不思議ではない。
そこを生き残ることができた彼の運の良さと、彼を必要とする周りの人たちの信頼。
そういった様々な要素が彼を活躍させる要因になったかもしれない。
物語はいよいよ大政奉還に向かって突き進むことになる。
私たちが知っている歴史は本当に表面的なものだけで、歴史的な事実の裏にどんな物語があったかをどれだけリアルに描けるかにこの物語の値打ちがかかっている。