ちむどんどんは最初の2週間が終わったことで、当初予定されていた配役で物語が語られることになる。
子役時代もずいぶん沖縄の貧しさ中心に描かれたけど、7年経ってみても、それほど状況が改善されたわけではなさそう。
物語は1971年、昭和46年の9月の設定で描かれた。
暢子は高校3年生で17歳と紹介されたが、多分誕生日前だからで本来は18歳の歳になるはず。
比嘉家の兄妹たちも皆それぞれ成長して、
賢秀は21歳。
良子は20歳。
歌子は高校生になったばかりで15歳と紹介されていた。
歌子もまだ誕生日前なんだろうと推察。
お母さんの優子はやんばる地域の共同売店で働いていた。
7年経ったことで物語はかなり大きく変化したように見える。
ちなみにこの翌年の5月15日をもって沖縄は日本に返還されることが決定。
今までのドル建てや車の右側通行は日本流に直されることに。
暢子は高校卒業後、将来の就職先を考える年頃に。
目次
昭和46年
この年は、私自身も高校3年だったので、世の中のことも多少なりとも記憶に残る。
この翌年が沖縄が日本に返還されたことを改めて確認。
沖縄が変換された数年後には私自身もアルバイト生活をするようになったので、沖縄出身の若者たちとも交流することができた。
車の運転について聞かされたことがある。
いきなり左側通行に変わったことで、戸惑いがあったそうな。
普通に道なりにハンドルを握るときはそれほど問題にはならないが、狭い道などで右折左折を繰り返しているうちにどちらを走っていいのか分からなくなってしまうんだそう。
さらには対向車があったときに本土人は左に避ける癖があるけど、沖縄出身者は右に寄ってしまうんだとも話していた。
刷り込まれた習慣なのでやむを得ないと言えばそれまで。
さて、比嘉家は子供たちが皆成長して、特に上の2人は社会人になっていた。
暢子も高校を卒業すれば、働きに出るような。
あの当時高校3年だった私は、自分の将来“何をしたい”なんて希望は全く抱いていなかったと思う。
とりあえず、仕事をするのはめんどくさくて嫌だくらいの感覚だけがあったと思う。
大学進学を希望して、受験勉強なども始めたような。
クラブ活動が忙しかったので、受験勉強を始めるのもかなり遅くて、記憶に残るのは大学の一覧表の中から、特に受験日の遅いものをピックアップ。
なんとなく理系希望で受験校を決めたような気がする。
漠然と、東京を中心とした関東地方にそれとなく憧れていたかもしれない。
比嘉家のそれぞれ
短大を卒業した後小学校の先生に慣れているんだから、かなり頑張ったんだと思う。
この時代日本の人口はそろそろ頭打ちになりかけていて、子供は少なくなる傾向が出始めた頃だったと記憶。
それでも、学校の先生は、みんなから憧れの存在だったかもしれない。
長女の良子は働きながら家に少しずつお金を入れているような暮らしぶり。
4人の兄妹たちそれぞれが自分の進むべき道に向かっているような。
賢秀だけが、この時代も呼ばれていた「プー太郎」になっている雰囲気。
相変わらずな暢子
主人公暢子は子役時代から一貫して、食べることが大好きな女の子。
また運動神経も抜群で陸上部の男子生徒にかけっこで負けることもない。
卒業後は島の大きな企業に就職が決まったと語ってはいたが。
物語の描き方もあると思うけど、まるで色気は無いね。
それはそれで好感が持てるし、黒島結菜も屈託なくのびのび演技しているような。
比嘉家ではお母さんも、かつての土方仕事はやっていなくて、共同売店で働いている。
4人の子供たちに分け隔てなく愛情を注いでいる。
この家は長男の賢秀に若干の問題が。
しかし周りの姉妹たちが文句を言うのもたしなめつつ、お母さん 広い目線で優しく見守っている。
優子が賢三亡き後の一家をきちんと纏め上げていた。
今日物語を見た段階では、暢子に何か大きな事件が起こったわけではなさそう。
彼女ののびのびした性格がこれからも描かれるんだろうなと。
将来を考える年頃
この時代、高校を卒業した後大学進学を希望する男女はかなり多くなっていたと思う。
私の同級生たちも女子生徒はどちらかと言えば就職するこもいただろうけど、男子たちはたいていはどこか大学へ入学希望だったかな?
社会に出てお金を稼がなければならないので、それはこの年頃の者たちにとってはプレッシャーだったかもしれない。
大学進学後の私が、アルバイトに明け暮れたのも自分で自由になるお金が欲しかったから。
働いて日銭をもらうことが嬉しくて仕方がなかった。
今なら労働三法とか、様々な法律で守られている労働者たちだが、とにかく働いてお金をもらうその1点だけが大切だったように思う。
怪我をしたり病気になったりなんて事は眼中になかったような気がするね。
さてそんなことを踏まえつつ、いよいよ翌年は沖縄の本土返還。