くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

らんまん 時代は幕末

物語はまだ設定の説明に終始しているような気がする。

しかし、時代劇として成立しているらんまんは俳優同士のやりとりが、全て重厚感漂う雰囲気で、15分を感じさせない流れに。

昨日登場した天狗を名乗る坂本龍馬は、万太郎少年の心に響く名言を。

世の中に価値のない命などなか😤

自分は生まれてこなければよかったと嘆く少年に坂本龍馬はこれ以上ない励ましの言葉を。

考えてみれば、この時代設定だと坂本龍馬はこのエピソードの数ヶ月後に命を落とすことになる。

激動の歴史が動いている瞬間を描いているのだ。

万太郎少年は自分が果たすべき役割について必死に思いをめぐらした。

自分が何をすべきなのか、どんな役割を持って生まれてきたのかを幼いながらも必死で考えようとする。

彼がとった行動は、峰屋に戻って造り酒屋で働く職人たちにしっかりとした挨拶を。

彼なりに、峰屋の当主としてきちんと礼を尽くす。

物語で描かれたセリフのやりとりが 幼い子供ながら見ている側にビシビシと伝わってくる。

そして、時代劇らしさは他にも随所に描かれた。

物語の舞台は、土佐藩の小さな集落。

このときの土佐藩主は山内家が統括していたと思う。

そして、そこの家老が深尾家。

峰屋を訪ねてきたのは、深尾家の家臣塚田。

時代劇では、お馴染みの俳優の登場で、物語にかける制作スタッフの意気込みが伝わる。

天狗こと坂本龍馬とツーショット😍

目次

坂本龍馬の忠言

無駄な命などこの世には1つもなか😤

時代背景を考えると、このエピソードの数ヶ月後に坂本龍馬は京都で命を落とすことになる。

これはその前日譚として描かれた物語とも言えるだろう。

物語の中でも、内密の行動で居場所を隠している様子なども描かれていた。

ディーンフジオカの圧倒的な存在感で、物語を見るものは万太郎少年への励ましの言葉は、すなわち、自分自身への励ましだと受け止めたに違いない。

オフショットではかなりくつろいでいる😅🤣

物語の中でセリフとして語られると、坂本龍馬の世界観は世の中で暮らす人々の安寧だったことがよく伝わってくる。

この世に生まれた人たち一人ひとりに値打ちのあるなしなど関係ない。

すべての人に役割があって、それを果たすことで、人は幸せになることができるのだと。

物語全般を通しての世界観だとも言えるだろう。

母ヒサとの約束

オフショット みんな屈託ないね😍

病弱な母ヒサは自分が長く生きられないことを悟っていたようだ。

子供ながらに母親の切ない気持ちを理解しようとする万太郎少年。

彼は、母親のために自分に何ができるのかを必死で考えたんだろう。

まずは家に戻らねばならない。

そして、家の杜氏たち働き手にきちんと挨拶をしなければならない

そして5歳の少年は、しっかりと挨拶をすることができた。

自分が果たすべき役割をしっかりと果たすことで、何をすべきか理解できると言うもの。

杜氏への挨拶の時、母親は決して手を貸そうとしなかったね。

余計なかばい立てをすれば、万太郎少年が本来果たすべき役割にケチをつけることになる。

峰屋(槙野家)の当主として

これからもよろしくお願いいたします🙇🏻‍♂️

万太郎少年のしっかりした挨拶にはびっくりすると同時に、頼もしく感じてしまう。

どんなに子供といえども槙野家の当主。

責任は限りなく重いのだ。

当主の挨拶に快く受け答えをする杜氏たち。

彼らもまた峰屋で働けることを誇りに思っていた。

物語として登場人物たちの胸の内がしっかりと伝わってくるような内容に。

母親に届けた1枚の絵。

母親が1番好きな花を枯れないように絵に書いて届ける心優しい少年。

決して上手ではないけど心のこもった1枚の絵

万太郎少年の胸の内が表現された貴重な1枚の絵。

深尾家家臣塚田

深尾家はこの辺の領主

土佐藩は深尾家が南土佐を支配していた。

土佐藩の家老職に当たる。

そこに手入りしていたのが塚田と呼ばれる武士。

彼は万太郎少年に年齢を訪ねたあと、藩の学問所に通うように進めてきた。

らんまんではこれからの物語設定に欠かすことのできない単語が、今日1つ物語の中に。

名教館(めいこうかん)

これは土佐藩の学問所で、基本的には町民が通えるような場所ではないが、万太郎少年が利発なことを受けて進めてきたのだ。

現在も史跡として残っている

こちらの場所は、牧野富太郎博士のゆかりの地でもある。

物語で描かれた通り 論より証拠😌

ここで後の植物学博士としての様々な業績のきっかけが作られるに違いないのだ。

さて、今週のエピソードは明日明後日で決着する。

造り酒屋の物語のはずだが、時代劇として描かれるのもそう長くはないと感じる。