万太郎が、自分自身の存在を問うために出した雑誌は植物学会に一大センセーションを巻き起こしした。
日本植物志図譜が刊行された後は、今までの学術誌の基準も全く変えられてしまったと言って過言ではない。
万太郎が描き出す様々な草花の内容を描き記した図譜は誰もが求めて止まなかったと言える。
それは、専門の植物学者にとっても望んでも手に入れられない至高の技術力でもある。
今日、描かれた物語の中では、万太郎の値打ちをどうしても自分のものにしたいが、それが叶わないと知るや、周りの人たちに当たり散らす田邊教授の様子や教授に関わる人たちの様子も。
十徳長屋では寿恵子が身重の体ながら毎日の生活に余念がない。
そんな中でも万太郎は植物採集の旅を止める事はなかった。
寿恵子を残したまま、数ヶ月間の採集旅行に出かけた。
植物学にかける意気込みは誰彼太刀打ちできるものではない。
この時代、植物学の学会で槙野万太郎の名前を知らないものはいなかったと言って良い。
考えようによっては、植物学会を池、万太郎を石としたなら、池に投げ込まれた万太郎と言う巨大な石のせいで、とてつもない波がたったと言える。
巨大なうねりで水中に飲み込まれた人たちがいたのかもしれないと勝手なことも考えてしまう。
目次
万太郎と寿恵子
数ヶ月間の植物採集旅行に出かけた万太郎が戻るのは9月ごろらしい。
それを聞いた十徳長屋の女性陣は仰天。
お寿恵ちゃん、初産は早めに子供が生まれることもある。
万ちゃんがいなかったらどうするのさ?
どうやって連絡を取るの?
寿恵子がのどかに答える。
自分は植物の精だから、
その辺の草花に伝言してもらえれば通じるよ🤪
周りの者たちが絶句するのもよくわかる。
今と違って、携帯も電話もないからね。
手紙じゃらちがあかないし。
周りの人たちの心配がよくわかると言うもの。
それにしても、万太郎のわが道をゆく傍若無人ぶりは形容のしようもないが、妻の寿恵子も
筋金入りの天然とお見受け。
なるほど、似た者夫婦とはよく言ったもの。
万太郎の値打ち
万太郎は周りの人たち全てを自分の味方にすることができる。
世の中は、万太郎とは違った働きをする人が山ほどいる中で、こんな平和的な人がいれば戦争なんか起こないのにと思ってしまう。
万太郎の癒し効果は接した人すべてに及ぶような雰囲気。
植物学教室でも彼の存在が今までできなかったことを全て成し遂げてきた。
それは、中にいる人たちの横のつながりとか学術誌の刊行とか。
万太郎が教室に出入りするようになってできたことだと思う。
それというのも周りの人たちがみんな仲良く力を合わせることを学ぶことができた。
ブラック田邊を除く全ての人たちが万太郎を中心に結集する。
自分の周りに万太郎のような人がいないか思いを巡らせている人も多いのでは。
それよりも、自分自身が万太郎のように振る舞えないかと考える方が早い。
ブラック田邊
ブラック田邊は万太郎を自分のものにできなかったことが悔しくて仕方がない。
万太郎が作り上げた植物志図譜はそれぐらい強烈なインパクトで周りの人たちを納得させた。
何よりもわかりやすいこと。
そして、植物学者らしく精緻な図柄が提示されている。
ブラック田邊は彼が抜擢した画家の野宮に告げていた。
槙野と同じレベルの図柄を描け!
それは無理難題と言うもの。
植物に対する目線が全く違うのだ。
万太郎は純粋な植物学者。
対する野宮は1介の画家に過ぎない。
無理なものを求められても、彼は困惑するばかり。
万太郎と野宮の持ち味の差を理解しないブラック田邊は、正直なところ植物学者としても二流以下かもしれない。
ブラック田邊にはモデルとなるべき人が存在する。
高知からやってきた少年牧野博士を東大に受け入れたのは間違いなくその人だったが、後に牧野博士を追放している。
しかし、受け入れたモデルとなった教授は彼自身が失脚することになり、わずか47歳で海で溺れて亡くなってしまった。
まるで小説のような話だがその事実を知った時は驚き以外の何物でもなかったけど。
この方が波瀾万丈の一生を送っている。
これから求められるもの
この頃の印刷が石版印刷を頂点として世の中を席巻し始めていた。
いつの時代でもそうだと思うが人間がやることで大切なポイントは、まず好奇心それから探究心が挙げられると思う。
そこで、築き上げられた技術は技術を持った人に帰属する。
万太郎が勝ち得た技術は誰彼駆使できるものでない事はよくわかった。
しかし、世の中はその類稀な技術を広く求めようとする。
野宮さんはブラック田邊のとばっちりで大変な事態に陥ってしまった。
この辺の非情さ、無慈悲さがブラック田邊の本性なのかもしれない。
今週のエピソードは明日一旦一区切りとなる。
そろそろ寿恵子には子供が生まれるものと推察するのだが。