大河ドラマは欠かさず見ることにしていて、特に戦国時代などを扱った物語に対してはそれなりの意見もあったりするので、今回のドラマも大いに注目している。
時代劇として見たときにこのドラマの持つ計り知れないドラマ性に衝撃を受けたのが今回のエピソード。
豊臣秀吉がどのようにして狂い始めていくかは歴史にも伝わるところだが、その詳しいいきさつが脚本家古沢良太の筆力によって時代劇として驚くほどの説得力を持って描かれていた。
権力の頂点に立った秀吉。
しかし秀吉にとっては、太閤の地位はそれほど居心地の良いものとしては認識していなかったらしい。
物語の中で語られる
登場人物たちの本音と本音のギリギリのぶつかり合い。
特に家康と秀吉の全面対決が納得いく形で示されたのは、このドラマの完成度を間違いなく裏付けるものだったと思う。
さらに歴史に翻弄されるギツネ役を演じていたのが茶々。
彼女が物語の中で不思議な設定で描かれていたが彼女自身も自分がどうすべきかどうしたいのかあまりよくわかっていなくて、運命にもて遊ばれている間が巧みに描かれた。
徳川家康には、彼を慕う大勢の部下たちがいる。
秀吉はそのことが羨ましくて仕方がないと語っていたが、おそらく400年以上前の豊臣秀吉本人も同じように感じていたのかもしれない。
目次
唐入り
この頃の豊臣秀吉は不幸続きだったかもしれない。
最初の子供鶴松が死亡して、その後彼の母親仲も失っている。
その時の情景も詳しく語られていた。
仲は秀吉が九州の名護屋から大阪城に戻るまでの間に亡くなったとされている。
そして亡くなる間際まで自分の息子が周りに迷惑をかけ続けていたとひたすら謝っていたという設定は、この物語の中でも秀吉の暴走ぶりを象徴する出来事として特筆される。
秀吉は突き動かされるかのように支配欲が暴走し始めていた。
新たな領土が欲しいと思う気持ちはわからないでもないが、戦さに対する備えがまるでなっていない。
本来はもっと用意周到で緻密な計画とひらめきで、周りの誰もが納得するような計画を示せたはずだったが。
輝きはこの時失われつつあった。
情報伝達の忖度
秀吉の側近と言えばこの頃石田三成が台頭してきたと言える。
石田三成は秀吉の懐刀として、大勢の者たちから一目置かれる存在になっていた。
この後の歴史では徳川家康と敵対することがわかっているが、この頃の石田三成と徳川家康は、明らかに良好な関係を築けていたと言える。
家康は三成の実務能力を大いに評価していた。
関ヶ原の戦いの後は、家康と三成が対面する状況があったらしいが、伝わる内容は2人ともしばらくの間一言も言葉を交わさなかったと伝わる。
家康本人も三成を処刑することがやむを得ずと言った感が強い。
どうする家康の物語性がこの辺の緻密な設定からも絶妙に伝わってくる。
家康と茶々
秀吉が狂い始める状況を理屈抜きに説明できるのが茶々の存在。
彼女は、母親が柴田勝家とともに北之庄で自害して果てるのをよく承知している。
自分が両親の敵とも言える男に囲われていることも納得ずく。
そして、ここからこの物語の凄いところだが、
母親が徳川家康を心から信頼していて助けに来てくれるのを死ぬまで待ち続けていたと語っていた。
ひょっとしたら家康こそが、自分の本当の父親なのではと語る姿は、女優の演技もあって鬼気迫るものがある。
本音なのか撹乱戦方なの誰にもわからない。
本人すらもわかっていないような。
そしてこの場に現れたのが家康の側室阿茶の局。
この時のセリフ回しの秀逸さは見ていても、鳥肌が立つほどの迫力。
我が殿や太閤をタブラかす女ギツネを探しております。
見かけませんでしたか?
これが脚本家の実力なのかも。
家康と秀吉
豊臣秀吉の女好きは歴史に残るほど有名。
そしてそのことが秀吉暴走の原因になっているとこの物語では絶妙なタッチで語りかける。
何よりも驚いたのは、予告編のわずかな時間に語られた来週のエピソードの内容。
秀吉が名護屋で受け取った茶々からの手紙には子供ができたとの記述。
そして予告編で語っていた茶々は子供の父親が秀吉では無いような発言。
昔から様々な憶測が飛び交っていて、秀吉の跡継ぎ豊臣秀頼は秀吉の息子ではないとの情報も。
と同時に秀吉はこの後一気に年老いて死んでしまうことに。
徳川家康とは6歳しか違わないはずだが、秀吉と家康の明暗を分けたエピソードとして今に伝わる。
よく知られたことだが、秀吉が亡くなったのは、1598年。
そして天下分け目とされる関ヶ原の戦いは、1600年。
たった2年間の間の出来事。
家康がどんな準備をしていてどのような行動をしたかが、この年代からも伝わってくる。
豊臣秀吉をめぐる悲劇は、この他にも自分の甥豊臣秀次を亡き者にした事件が挙げられる。
明らかに秀吉の歯車は、狂い始めている。
狂人を相手に家康がいかに振る舞ったかが、彼の家康たる所以だろう。