くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

ブギウギ 奇跡の後始末

今週は今までの物語の流れが一新され、新たな展開に導く締めくくりとなった大切な話し。

母親ツヤが亡くなった後の後始末が今日行われることになった。

この物語の設定は、おそらくモデルの笠置シズ子の史実とは違う気がする。

脚本家が作り上げた脚色だと思うが、1つの奇跡として物語の中に登場させてきた。

この物語で最初からずっと登場していたゴンベエが何者なのか、今日明らかに

物語の流れはちょっと出来過ぎではなかろうかと思うぐらい、幸せ感満載で描かれていた。

今日物語に突然登場してきた女性。

本上まなみが演じていた女性がゴンベエを指差してこの人は

船場の若旦那、衣福部玉五郎だと。

こんな展開ってあるのかなと誰もが思っただろう。

さらには光子は玉五郎にその場でいきなりプロポーズ。

これだって普通はありえないことで、しかも玉五郎がその場で申し出を受け入れてしまう。

もちろん詳しい説明は必要になるが、それだって物語は飛躍に次ぐ飛躍を繰り返している。

ブギウギが今までの朝ドラ以上に高評価を得ている大きな理由に、役者たちの演技も加わった物語の設定のリアル感にあるとすれば、制作スタッフにとってまさに真骨頂だろう。

物語が大阪が舞台ということを考慮すると、大阪人の気立ての良さや潔さが見事に表現されたと思う。

はな湯はたたむしかないやろ😰

目次

避けられない後始末

どうしてもたたむしかない😭

はな湯のこれからを話し合うしかなかった。

花田家はツヤがなくなったことで、家には父親の梅吉しかいないことになる。

スズ子は東京で歌手として働いている。

さらには六郎は出征が決まった。

これから先先、はな湯を存続させるためには人手もそうだし今までずっと赤字続きだったのでそれらの精算も。

物語の中で明らかになった

精算しなければならない金額がおよそ400円

このまま存続させる事はほぼ不可能と思われた。

スズ子は父親に向かって東京で一緒に暮らそうと提案。

しかし、梅吉はすぐには首を縦に振らない。

愛着のある銭湯をそのまま手放すことには、どうしても抵抗が。

スズ子は現実問題として、きちんと後始末するべきだと考えていた。

場合によっては、心を鬼にしてもやり遂げなければならない。

地域に愛された銭湯

お馴染みのメンバー

父親と娘のやりとりではな湯はやめてしまうことが発表された。

ここは今まで地域の人たちのたまり場で社交場でもあり、また日々の疲れを落とす癒しの場でもあった。

スズ子の舞台人としての原点がここに

家の近くにこんな施設があればそんな嬉しい事は無い。

この時代、家での楽しみと言えば、せいぜいラジオぐらいだろうか。

それすらも高級品でどこの家庭にもあったわけではないだろう。

こういった大勢人が集まる場所で、しかも楽しみがあると言うのは特別なものだろうね。

最近のご時世なら、すべての楽しみは自宅で完結するのだ。

これが今と昔の決定的な差だと思う。

今は何もかも出かけずして、自宅で全て賄うことができる。

楽しみは際限なく目の前に提供される。

もちろん、お金もかかるし必要な約束事も。

ある程度の条件さえ整えば、何もかも手に入れられる現代。

ゴンベエさんじゃなかった😨

えっ😳まさか‼️

ゴンベエさんにまつわるエピソードが今日の物語の全てだっただろう。

ここで突然明らかになった真実。

実は船場の大店の若旦那だった玉五郎は親の晋代を受け継いだ後、出入りしていた悪い仲間たちにそそのかされて店を倒産させてしまう。

莫大な借金をこしらえて、自ら責任を取って川に身投げして死のうとしていた。

飛び込んだのが道頓堀川でその時目撃していた梅吉に助けられて、そのまま花田家にかくまわれていた。

衝撃で記憶喪失になったと。

衣服部玉五郎は名前も忘れたままはな湯でゴンベエとしてずっと暮らすことに。

あちこちにいっぱい似顔絵を貼って消息を探していた

この内の1枚がたまたま若旦那当時、一緒に働いていた女中の光子が今回決め手になってはな湯を尋ねてくることに。

陰ながら気立ての優しい玉五郎を慕っていたとのこと。

ツヤさんが起こした奇跡

ブギウギ終わった後の朝イチに登場

光子は玉五郎にプロポーズ

私はこの日のために少しずつお金を貯めて、今200円持っている。

くしくも玉五郎もはな湯の給金を貯めたものが200円。

両方を合わせてこの風呂屋をなんとか続けたいと

玉五郎から光子へ逆プロポーズ

して、見事に2人の気持ちは成就する。

これこそがツヤさんが起こした奇跡として周りのみんなが褒めそやした。

考えてみれば亡くなったツヤは生き残った人の心に絶妙に働きかけて一緒になるように仕向けたとも取れる。

つまりそれこそが残った人たちが幸せに暮らせるふさわしい結末なのだと誘導したように思う。

世の中、亡くなった人たちが自分の周りの人たちにこのような働きかけをしてくれるのなら、これほど嬉しい事は無い。

しかしそこで思う。

この逆があったらどうだろうかと。

つまり、周りの人たちを幸せに導くのではなく、不幸に導くために恨みツラみの念をたぎらせているそんな存在があるとすれば。

考えただけでぞっとする。

そして私の不安はそれほど的外れとも思えない。

ブギウギは来週から物語を東京の舞台に戻す。

どうやら予告編だとかなりの無理難題が待ち受けているような。