1週間の締めくくりとなる今日のエピソードでは、ついに本番の舞台が詳しく描かれることになる。
準備に至る試行錯誤を繰り返し、努力を繰り返してきたスズ子。
努力の成果が本番でしっかり披露される。
もともとはジャズの味付けで作られた楽曲を歌うので、本番のノリで出来栄えが大きく変化することは簡単に予想ができる。
要するに本番でどれだけ楽しめるか?
スズ子が大阪で経験してきた舞台とは明らかに違っていたかもしれない。
物語の中では、ダンス担当の秋山の様子も。
秋山は厳しい訓練の結果、男の中に混ざってもしっかりと自分のダンスを表現できている。
今回、振り付けを担当してしかもダンサーも兼ねる中山との息もぴったり。
物語の中では大きくは取り上げられなかったが、若い女子2人の恋模様もそれとなく。
さらには大阪の「はなの湯」の様子も。
スズ子の母ツヤはどうやら体調不良で伏せっているような様子。
そんな中迎えた本番のステージ。
梅丸楽劇団のスヰングタイム。
前前の物語なので、旧字体で表現されるところが不思議に奥ゆかしい。
スズ子の歌「ラッパと娘」は本番の舞台で見事に完成を見せた。
激しく歌って踊ってトランペットとのセッションを見事に演じてみせる。
作曲家、羽鳥善一が完成を確信した瞬間。
目次
本番直前
本番前の稽古は本番を想定しての訓練になる。
ステージ経験者ならわかることだが、練習と本番は全く次元が異なる。
普通本番だと思って練習するようにとか、本番の時は練習と同じようにとかそんな心構えが散々言われ続けてきたけれど、違うものは絶対に違うので。
1番の気がかりは個人的に思うのは音響だろうか。
練習する場所とステージでは音の広がりがまるで違うのだ。
特にオーケストラとかは必ず指揮者がいるけど、ステージ上で演奏している人たちは場所にもよるけれど、自分の出している音しか聞こえなかったりする。
自分が周りとバランスよく演奏できているかどうかは指揮者に指示してもらうしかない。
遥か昔のことになるが、練習と本番の差で、なぜ指揮者が必要なのか痛感したことが思い出される。
スズ子は歌の完成度を高めつつあったが、本番でどれほどのパフォーマンスを披露できるかは全くの暗中模索。
本番が近づくにつれ心配と緊張は頂点に。
それぞれの舞台
舞台の前半はダンスを中心とした出し物。
その中では、中山と秋山が息のあった踊りを披露。
このために秋山は全力で努力を重ねていた。
体力的にどうしても劣る女の身の上では、男の足を引っ張りかねない。
そしてそれは一朝一夕に頑張って達成できるものでもない。
秋山とスズ子はそのことを考えると、どうしても自分のやっていることに自信が持てなくなった。
今日のエピソードでは、ステージの様子も詳しく描かれていて、朝ドラに似合わずかなり大掛かりな舞台設定になっていた。
制作スタッフたちの思い入れが伝わってくる一瞬。
スヰングの女王
スズ子の舞台が物語の中程から詳しく描かれていた。
激しく踊ってステージ上を駆け巡る。
そして歌。
スズ子が求めていたものが全て披露されたような。
トランペットとのセッションも見事にこなしていた。
今日のステージを見ていると演じている趣里のポテンシャルが最大限引き出されていたと思う。
趣里自身も踊って歌うことを存分に楽しんでいるように見えた。
かなりの長い時間を割いてドラマとして再現されていた。
舞台は大成功だったと言える。
これからのブギウギ
既に来週の予告編もネットでは公開されている。
どうやら女性たちの恋模様が描かれるような様子。
こういった画像を見ると、いかにも気を持たせるような編集になっているので、実際の展開とは異なる場合も多いような気がするが。
スズ子も秋山も考えてみればお年頃なので、浮いた話の1つ2つあっても何ら不思議ではない。
特に松永がスズ子にプロポーズしているように見えたシーンがあまりに意味深。
個人的に気になったのは、大阪の母親ツヤの様子。
どうやら体調不良が長引いているような。
どうやらスズ子たちの身辺に少し波風が立つような雰囲気。
個人的に忘れていけないと思うのは、この頃は太平洋戦争直前のご時世が反映されて、しかるべき。
物語は昭和13年14年頃なので、昭和16年の12月8日はすぐそこに。
それと物語の途中で出ていた茨田りつ子の辛口の批判も気になるところ。
来週からは、スズ子の波瀾万丈の人生が描かれる気配。