くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

どうする家康 すべてを終わらせるために

長く続いてきたドラマはいよいよ最終回。

どうする家康が描き出す「徳川家康像」

かつて歴史的な人物として様々なドラマで取り上げられてきたが、今回の物語の家康は明らかに毛色が違っていたように思う。

徳川家康は神君家康、すなわち東照大権現と名付けられ神として奉られることになった。

歴史では誰もが知るあまりにも有名すぎる事実。

今日描かれた物語の中では、ドラマの枠を1時間に延長して前半後半に分けられていたと思う。

前半は大阪夏の陣で豊臣方の様々な武将の最後が描かれた。

そして、救出された家康の孫千姫がどのように振る舞ったかで、このときの家康や周りの者たちの胸の内が詳しく語られたと思う。

それに対して、後半は、家康の過去の記憶をたどる夢物語として構成されていた。

かつて家康がまだ若かった頃、家臣たちとのエピソードを思い返す形で面白おかしく展開していたように思う。

物語を最終回としてまとめ上げるときに、従来通りのやり方では死にゆく家康が遺言を残すなど、ドラマとしてどんな描かれ方になるのか見ているものにも相応の先入観があったと思う。

今回は明らかに一石を投じた作り方に。

なるほど、このようなやり方で過去に登場していたキャラクターたちを、当時の年齢のまま物語に加わることができれば、家康自身も当然のことながら若い頃の様子で描かれる。

賛否両論ある設定だと思うが、私的には見ていて納得できる部分が多かったように思う。

特に浜松城で1人死の床に伏している家康を描くときに、どれほどの想像力で物語を膨らませるかで、インパクトはまるで違うだろう。

さて、すべての業を背負う形で家康は穏やかに去った。

わしはここだ 向かって来い😡

目次

大阪夏の陣

真田信繁は 茶臼山に陣を敷いた

大阪冬の陣で、家康は新兵器大砲を使って大阪城を恐怖に陥れた。

その結果、和議が成立して大阪城は堀をことごとく埋め立てられて丸裸な状態にされてしまった。

徳川家康は、戦乱の世の総仕上げとして豊臣家の排除を自ら行うことに。

残してしまえば、豊臣を頼りにまた戦乱の世の中を望む者たちが暗躍することになる。

浪人たちの中心核となるものは自らの手で取り除くしかない。

大阪冬の陣では、真田丸が家康をとことん苦しめることになった。

しかし、勇猛を馳せた真田信繁も真田丸が亡くなってしまった後は山に砦を築いて戦うしかない。

戦経験があまりなかったとは言え、戦い方を心得ていた真田信繁は最後まで家康を苦しめることになった。

真田信繁らが守る豊臣家

わずかな隙をついて家康の本陣に突入

当時の豊臣は関ヶ原の合戦以降活躍の場を失った浪人たちの受け皿的な存在になっていた。

浪人たちは戦以外に生き残る術を知らない。

戦って手柄を立てて報奨金をもらい、できれば領地なども手に入れられれば言う事は無い。

徳川家康を始め、幕府を支える家臣たちはそのことを熟知していたと言える。

つまり戦乱の世に戻さないためには、戦いを望む者たちの拠り所をなくしてしまう以外に方法はなかった。

戦いを望む者たちの代表格が、真田信繁

父真田昌幸から戦の非道さを叩き込まれていた

この親子は揃って徳川幕府を苦しめた存在。

ちなみに真田信繁の兄真田信幸は徳川方の家臣である。

こちらの親子は家系を残すために、親子を豊臣方と徳川方に分けたと歴史には伝わる。

しかし、豊臣は既に戦力的に戦うだけの力を残してはいなかった。

この最後の戦で豊臣家は歴史から消えてしまう。

徳川家康の後始末

大阪城に向かって合掌

徳川家康にとって最後に成し遂げなければならない一大事業だったに違いない。

本当は豊臣秀頼の優れた素質も魅力あるものとして感じていたようにも思う。

しかし、周りに集まった者たちは平和な世の中を望んではいなかった。

自分が浪人たちの希望になっていることを強く自覚していた豊臣秀頼

最後に残されたのは悲劇でしかなかった。

千姫だけは逃す 残った者たちは大阪城とともに滅びる

ドラマの中で描かれた前半のシーンでこの部分が1番の見所になる。

千姫は夫と義理の母親の助命嘆願を死に物狂いで願っていた。

しかし、戦乱の世の中を収めるためには叶わぬ願い。

大御所、徳川家康が千姫に“許せ”とつぶやくシーンが切ない

なお付け加えれば、この時豊臣秀頼には2人の子供がいたとされる。

1人は男の子で8歳になっていたが、京都の六畳河原で斬首。

もう1人は女の子で年子で妹となっているが、出家して生きながらえたと伝わる。

徳川家康の後始末は実際のところは二代将軍徳川秀忠が行ったことになっているようだ。

今日描かれた物語の最もおぞましい部分だったかもしれない。

神君 東照大権現として

家康の孫徳川家光の乳母 お福 後の春日の局

このドラマが始まった頃から、ナレーションは彼女が担当。

最後の登場で身分が明かされたが、やはり春日の局ということ。

そしてさらには、徳川家康を神格化するにあたって功績があったとされる天海大僧正を演じていたのは、小栗旬。

この朝ドラの前の「鎌倉殿の13人」の流れを汲んでいる。

若き家康が読んでいるのは吾妻鏡 鎌倉幕府の一代記

物語の後半部分の種明かしとも言うべきシーンは、前作品の朝ドラや かつて登場していた家康を守って亡くなった様々な家臣たちの様子も当時の姿のまま再現。

ドラマの最後に回想シーンを入れることで物語に花を添えていたと思う。

大河ドラマの場合、撮影は1年半にも及ぶようだ。

チーム松潤の座長としての評価がどれほどのものなのか、これからネットなどの様々な記事に注目していきたい。