ジャズカルメンの舞台は、大成功のうちに公演最終日が。
スズ子の大活躍の裏で愛助は未だ病床から離れられずにいた。
物語の冒頭で描かれた愛助渾身の医者への願い。
1日だけでいいから外出させてくれ。
マスクをつけ厳重装備の医者は困惑した表情で告げる。
許可できません(きっぱり)
愛助とスズ子はお互い相手のことを気遣いつつも離れ離れの生活に甘んじていた。
2人がこの先どうなるのかは周知の事実。
愛助の死はすぐそこに。
物語のストーリーがあらかじめ公式発表されているので、みんな知っていることとは言え、心穏やかに見れるはずもない。
愛助はひっきりなしに湧き起こってくる空咳に悩まされながら、スズ子の舞台や彼女のお腹の子供のことを考えるといてもたってもいられない。
さて、スズ子は舞台の最終日を迎えることに。
久しぶりに尋ねてきたのが茨田りつ子。
彼女のちょっと冷たいものの言い方は今のスズ子にとってはむしろ心地よい。
スズ子は愛助が舞台を見にやってくることを心待ちにしていたが、どうやらそれは叶わない。
りつ子はスズ子との会話の中で自分にも子供がいると告白。
既に10歳になるらしい。
こちらのエピソードも、実はモデルの淡谷のり子の運命をそのまま踏襲。
淡谷は学生時代歌手だけでは食べていけずに、画家のヌードモデルもこなしていた。
生きるためにはなんだってやってきた彼女。
りつ子とスズ子は音楽のジャンルこそ違えど、2人は同じ歌手として知らず知らずのうちに相通じるものがあったようだ。
スズ子はジャズカルメンの舞台が終わったことで出産まで休みをもらうことに。
しかし、長く愛助に会えない事はスズ子の心をいまひとつ晴れやかにはできずに。
目次
愛助の必死の願い
愛助は自分の病状について今までの経験から何とかなると思っていたのでは。
しかし、担当ドクターの見立ては全く違っていたようだ。
ベッドを抜け出して移動するなどもってのほか。
厳しい口調で許可できませんと発する言葉にはうむを言わさぬ厳しさが。
この物語の時間軸は、昭和22年1月の終わり頃までの様子。
ちなみにモデルとなった吉本穎右はこの年の5月にわずか25歳の若さでこの世を去ることになる。
そして残酷なことだが、笠置シズ子はこの11日後に一人娘を出産。
2人のすれ違う運命は、ドラマ以上にドラマチック。
スズ子と茨田りつ子
スズ子とりつ子はそれぞれお互い不思議なモチベーションで会話。
かつて茨田りつ子はスズ子のステージを下品だと一べつしていた時期が。
しかし戦争中はそれぞれ自らの楽団を率いて全力で公演活動を行っていた。
2人はそれぞれが気がつかないまま、お互いに連帯感のようなものがあって、
一言で言うなら戦友だろう。
音楽のジャンルこそ違うが、同じ歌うことに命をかけている2人は似たような人生を生きている。
今日明らかになったりつ子の身内の話。
茨田りつ子にも出産経験があると語っていたね。
モデルの淡谷のり子も子供を設けている。
多くを語らないので詳しい事実関係はわからないが、YouTubeの画像で本人の口から語っているのを聞いたことがある。
淡谷のり子は家族を養うためにヌードモデルになったりで、少なくとも小手先の人生を生きる人ではなかった。
大成功のジャズカルメン
最近の朝ドラはわずか15分の枠ながら、大掛かりなステージの撮影を敢行したりで全力投球が見て取れる。
スズ子の演じるジャズカルメン。
全曲通せばかなりの長さの舞台になるんだろうと思うが、撮影で用いられているのはジョルジュビゼーのカルメンのハバネラの部分。
の物語のオリジナルは正直見た事は無いが、確かカルメンとホセの恋物語で嫉妬に狂ったホセが愛しいカルメンを思い余って刺し殺してしまう内容だったと思った。
ちなみにオリジナルの作曲家ビゼーは歌劇の王と呼ばれるね。
クラシック、音楽の作曲家たちは様々な別称があって愛称で呼ばれることも多い。
出産に向けて
スズ子はいよいよ出産間際。
ジャズカルメンの舞台が終わった後はしばらく産休に入ることになる。
実はモデルの運命を知っているので、この先の流れも知っている人がほとんどだろう。
スズ子は愛助と再び会える事はなかったはず。
モデルの人生をそのままなぞっているので、愛助はスズ子と生まれてくる子供にひたすら会いたい気持ちを抱えたままなくなってしまうことになる。
作り物の物語でもここまでドラマチックな演出がなされる事はほぼないのでは。
笠置シズ子は女の子を1人産んだ後文章を書き残したようだ。
そして彼女の娘も母親について語っている。
自分の母親は父親のことを驚くほど話さなかった。
調べればすぐにわかることだが、笠置シヅ子は戦後芸能人の長者番付2位で大富豪だったと言える。
東京に御殿のような豪華な自宅を建てて、そこで親子暮らしている様子も写真で残されている。
大成功の裏には、いくつかの不幸を乗り越えた女性の闘魂の物語が隠されている。