物語は昭和22年1月。
スズ子は妊娠6ヶ月で、ついにジャズカルメンの舞台本番の日を迎えた。
稽古は、看護師立ち会いのもと、スタッフ全員が集まる形で勧められた。
ブギウギではいくつかのエピソードが描かれる。
スズ子と愛助は直接会う事は叶わないながらも、手紙で心を通い合わせていた。
愛し合う2人はお互いのことを気遣いながら、それぞれ近況報告。
特に何度も紹介されるのは、愛助がスズ子に繰り返し、お腹の子供は必ず自分の子供にすると言う決意表明。
物語をずっと見ている者にしてみれば、愛助の手紙から母親の説得がいまひとつ順調でないことが読み取れるのではないだろうか。
さらには愛助の肝心な結核の治療状況。
それもこれだけ長引くということは、少なくとも足踏み状態に近い様子が見て取れる。
スズ子がジャズカルメンで演じた主人公カルメンの評価は上々。
演じる趣里の伸びやかな様子が、ブギウギに大輪の花を。
スズ子が妊娠中の大スターということで週刊誌記者が群がっている様子も。
物語の中で描かれた愛助と母親トミのやりとり。
親子は最初に設定された通り、反目し合う間柄。
愛助はの治療をしながらも、根気よく諦めずに、スズ子との結婚を母親に訴え続けていた。
しかし、このことが受け入れられて、2人の結婚が成就する事は無い。
それは描かれた物語の史実通りということなので。
目次
大阪で療養する愛助の様子
大阪の療養所で治療を受けている愛助。
物語で描かれた様子によれば、寝間着姿でいつもベッドの上。
時々出ている空咳が病状の深刻さを物語っている。
やはり、悪くはなってても良くはなっていないと見て取れる。
結核の治療で1番の民間療法で、効果が期待できるのは絶対安静を必ず維持すること。
咳と若干の発熱以外結核の症状は重くさえなければそれほど不都合なものではないと聞いている。
そのせいで患者たちは皆おとなしくベッドの上で休むことができずに、あちこち動き回ったりおしゃべりをしたりで病状の回復が見込めないらしいのだ。
特効薬がないので、どこまで行っても自分自身の免疫力だけが頼り。
免疫を下げる最大の原因はまずストレスが挙げられるだろう。
愛助は自分の意見が思い通りにならないことでひたすらストレスを溜めていたように思う。
さらにはなんとかしなければの思いから、母親や秘書室の様々な村山の人たちに対して関わりを持っていたようにも思う。
これらが病気の悪化を助長していたようにも思う。
スズ子の稽古と舞台本番への意気込み
スズ子の稽古の様子も描かれていた。
善一が言うには、スズ子は子供ができたことで微妙に味わいが変わったそうな。
テレビに映る趣里の様子は、それほどのニュアンス変化は見て取れないが、スズ子は常に看護師の付き添いのもとで稽古をしていた。
何をやってもいいと言われても過激なことや妊娠に不安のあることなどは極力避けるような形がとられていたね。
スズ子もさることながら、善一を始め周りのスタッフたちがジャズカルメンの出来具合に大いに期待する
当たり前のことだが、舞台は1人では絶対にできない。
スタッフの協力が必要不可欠なことと、舞台上でも必ず脇役がいて主役を盛り立てる。
やはりお腹が大きいのはチと目立つ。
三流週刊誌のすっぱ抜き
モデルの笠置シズ子も週刊誌に追っかけられたと聞く。
戦後すぐの頃の話だけど、既に芸能関係を始め、様々な報道関係が機能していたことがよくわかる。
この当時の情報ソースの主なものはやはり活字だっただろう。
ラジオ放送はもちろんあったが、毎日の新聞や週刊誌の記事などで必要な情報を得ていたと思う。
そして、情報は新鮮でインパクトのあるものがもてはやされた。
スズ子の周りが騒ぎ立てるのもこれはスズ子が有名人であるがゆえ。
しかし、週刊誌のネタ扱いされることも宣伝だと思っているスズ子の周り。
そんなことで一喜一憂するような純粋素朴な芸能人達ではない。
この頃の日本のトップを突っ走っていた芸能関係者たち。
彼らは日本の文化芸能を正しく導こうとする実力者たち。
トミと愛助親子
ドラマとして見たときに、今日1番の見所はこの親子のやりとりだっただろう。
お互い相手を思いやり、真心を込めて接しようとする。
トミは村山全体のことを思えば、やはり結婚を認められない。
妊娠前ならば、歌手を辞めるとさえ言えばすぐにも結婚の話が。
しかし子供を作ってしまったことで状況は一変。
態度を硬化させたトミは決して折れる事は無い。
対する愛助はどこまで言っても、スズ子は歌手を続けたまま結婚するとの姿勢を崩さなかった。
このままでは生まれてくる子供が父なし児になってしまう。
それはあんた方が悪いとトミ。
お互いの話は全く噛み合わないまま愛助の辛そうな空咳だけが。
病状は回復の兆しを見せない。
ジャズカルメンは上々の評判で上演し続けた。