物語は太平洋戦争直前の設定で日本国内には閉塞感が漂い、スズ子たちジャズ関連の音楽をなりわいとする者たちには、過酷な日々が続いていた。
そんな中、届いたのは六郎の戦死報告。
寝耳に水の話でおよそすぐに受け入れられるようなことではない。
スズ子や梅吉はここへ来て、過酷な現実を突きつけられる。
1週間一貫して語られたのは六郎の死をどのように受け入れ、それぞれがどのように行動したのか。
1点に全てが凝縮されたように思う。
当初、梅吉は六郎の死を決して受け入れようとはしなかった。
一方、信じられないと思いつつ何とかして乗り越えようとするスズ子。
スズ子や梅吉を見守る周りの人たち。
およそ世の中にいくつかある不幸の中でも、最大級のものが目の前に襲ってくる。
スズ子のモデル笠置シズ子の運命をそのまま描く形で語られるストーリー。
過去にこんな厳しいことがあったのかと、改めて思い知らされることばかり。
いよいよ太平洋戦争が勃発。
考えようによっては日本の滅びの始まりだったかもしれない。
今更後悔の仕様もないが、日本は欧米諸国の罠に見事にはまったと言える。
そしてスズ子や梅吉には、それぞれの進むべき道がはっきりと定まってくる。
梅吉は、ふるさと高知へ帰ることに。
スズ子はいわゆるドサ回りで日本全国を行脚することになった。
今週のエピソードの後を受けるス来週はスズ子にとって、生涯最良の日々と同時に最大の悲劇が始まる時でもある。
目次
六郎の戦死報告
この頃の時代背景がはっきりと意識できるシーンが続いていたと思う。
戦死報告は役所から届けられる。
家族宛に送られる無慈悲な紙切れ…。
しかし、紙切れ1枚で死亡を宣告されたところで、どれほどの人がきちんと受け止められただろうか。
物語の中で描かれた六郎の死はこの時代、日本全国の至るところで繰り広げられたドラマだったように感じる。
報告に素直にうなずける人なんていなかったのではと推察する。
梅吉とスズ子の場合
梅吉は六郎の死を絶対に受け入れようとはしなかった。
六郎からの手紙を引き合いに“戦うことが恐ろしい”とも“怖い”とも一切触れていない。
六郎の心配事は亀だけ。
そんな奴が死ぬわけあらへんと。
それはある意味悲しい物語。
梅吉にとってどれだけの衝撃があったのか想像に難くない。
一方信じられないと思いつつ、スズ子はどのように受け入れるべきか必死で模索していた。
自分を奮い立たせてなんとかして自分の責任を果たそうと壊れても潰れても前進しようとするスズ子。
側で見ていると明らかに自虐行為と思われた。
物語は、それぞれの心のひだを克明に描ききっていたと思う。
特に一人ひとりの描写だけではなく、周りにいる人たちの心遣いを配置することでより説得力を増していたのでは。
特に今回から登場している小林千夜は大切な場面でスズ子をしっかりとサポート。
彼女の存在は、スズ子にはなくてはならない。
茨田りつ子と福来スズ子のコンサート
今週の目玉になったのはスズ子とりつ子が歌う場がないことを助けてくれた羽鳥善一企画のコンサート。
やはり売れっ子作曲家の演出は、警察の検閲の目を絶妙に掻い潜って満員御礼の大盛況となった。
この時スズ子と同じように歌った茨田りつ子は淡谷のり子がモデル。
彼女がどれほど偉大な人なのか、最近いろいろ検索しているうちに改めて思い知らされることになった。
笠置シズ子に匹敵するかまさることはあっても劣る事は無い。
彼女だけでスピンオフでブログを1つこしらえることだって可能。
せっかくなのでこれを機会にチャレンジしてみるのもいいなと思う。
淡谷のり子がかぶって見えることこの上もない。
役者は演技力だけでなく歌唱力も求められているのだ、と大いに納得。
そしてわずか15分のドラマなのに、きちんとオーケストラを用意して、ステージまで準備する。
なんと言う念の入れようか。
歌うことは生きること
羽鳥善一の企画したコンサートは大成功だったが、残念ながらその後が続かない。
さすがに東京ではもうりつ子やスズ子が歌える場所はなくなったものと思われた。
そんな中、地方からはオファーがある。
善一に報告したところ餞別と称して新曲の楽譜を預けられた。
さて、来週の予告編からはいよいよ史実の通りスズ子の恋バナが描かれることになる。
スズ子にとっては生涯で1番幸せな日々が続くと同時に、その後は不幸のどん底に叩き落とされるのだ。
事実は、小説よりも奇なりと言うがこれが本当に起こったことだと思うと思わず息を飲んでしまう。