くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

興味を持ち続ける人生 ホーキング博士に学ぶ

 

昨年亡くなってからおよそ1年

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ホーキング博士出棺のときの様子

 

目次

 

昨年3月に亡くなったイギリスのスティーブンホーキング博士。

難病を抱えながらも理論物理学の世界では第二のアインシュタインと呼ばれるほどの高名な物理学の権威。

様々な業績があるが、有名なところではブラックホールが蒸発する理論。

またビックバン以前の特異点に関わる理論とインフレーション宇宙に関わる理論。

これらの研究が世の中に広く知られているのだが、ざっくりとした説明ならばなるほどと呼べるのだが、しかし厳密な説明を受けてもそのほとんどは理解には至らない。

特にすごいのは、彼はこれらの理論に関して、当然のことながら数式を駆使して導き出すしかないのだが、それを全て頭の中だけで組み立てていくのである。

ホーキング博士の同じ学者仲間たちに言わせると彼は典型的な天才なのだそう。

ほとんど努力らしいことをしないにもかかわらず、普通の人が血眼になって努力すべきところを簡単にクリアしてしまうらしいのである。

物理学の詳しい業績をここで述べてもわからないものが知ったかぶりをしてもしょうがないので彼の言行録の中から、特に名言と呼べるものをいくつか紹介してみたい。

いくつかのテレビ番組を見させてもらったが、ホーキング博士のとにかく大きな特徴の1つは「決してマイナスなことを言わないし、考えない。」

そして好奇心を持つことを何にも増して推奨しているのである。

無関心とか無感動では人生がつまらないですよと言うことらしい。

よく言われる「車いすの天才科学者」。

まさに呼び名の通りと言える。

彼が述べている言葉の中に、自分自身の病気に対するコメントもいくつか含まれている。

彼は自分自身が理論物理学者であることを非常に誇りに思っていたのである。

それはすべての仕事や研究が頭の中だけで行えること。

確かに自発呼吸すらままならない状況では文字を書くどころか、本を読むことすら不可能と言っていいだろう。そのような満身リスクだらけの体でできる仕事。

博士は理論物理学の研究をまさに自分自身のための天職と捉えていたのだ。

理論物理学の牽引者

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ケンブリッジ大学教授 ルーカス職も務める

ホーキング博士が生涯をかけて研究していたのは宇宙方程式と呼ばれる、宇宙そのものを表す数式の研究。

実はこの方程式を扱うには、アインシュタインの一般相対性理論で表される宇宙方程式がどうしても研究対象となるのだ。

アインシュタインの方程式では、これは言ってみれば重力に関わるいくつかの事実が表現されている。

それは言葉で表すと、「物質は空間を歪め、歪められた空間は物資に運動の法則を与える」

ほとんど謎のような言葉だが、例えば太陽のような重たい物質があるとその周りの空間は歪んで、その歪んだ中に入り込んだ他の物質は歪んだなりの運動をするのである。

それは物質はもちろん光も含むのである。大きな重力のそばを光が通ると光もその重力によって軌道を曲げられる。重力が極端に大きければ、それはあたかもレンズのような働きをして、本来は方角的に見えないような星々もその重力によって軌道を曲げられて見えるように。

この事実は最近観測されるようになった重力レンズがそれ。

テレビでも盛んに紹介されているので、たくさんの人が知っていることと思う。

ホーキング博士はビックバンを考えたときに相対性理論に誤りがあることを指摘している。

つまり、相対性理論のままではビックバン直前の特異点と呼ばれる∞に質量が凝縮した状態を説明できないのである。

また、特異点からビックバンに至るまで時間的には1秒弱とされているがその極限の説明も相対性理論では説明不能と指摘した。

有名なブラックホール蒸発理論は、飲み込むばかりのブラックホールなのだが、その事象の地平面の境界に於いて、対物質(ついぶっしつ)と呼ばれる物質が生じてその1部はブラックホールから放出され、また1部はブラックホールに飲み込まれる現象を予言して、最近スイスの研究所でそのことが実験的に確認されたとの報告も。

この蒸発理論によれば、ブラックホールも飲み込むばかりではなく質量を放出してやがては蒸発してなくなると言うことらしい。

その予言は大変な代物と言えるだろう。

様々な宇宙の膨張の議論があるが、大抵の場合広がって胡散霧消するか、それとも縮んでまた一点に収縮していくか、その2つに1つとされるのだが、確かな事は全く不明である。

ホーキング博士は四六時中そのことについて思いを巡らせ研究し続けたのである。

 

博士曰く、「私は理論物理学が大好きである」そうでなければ、あれだけのリスクを抱えながら研究を継続することなど不可能なことに違いない。

難病(ALS)との戦い

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自発呼吸もできない位の重症だった

 21歳で難病ALSに罹患している。病気が発病した後で最初の結婚していて子供も設けている。

最初の診断で病名が確定したときに医者から告知されたのはあと数年の命。

 20歳そこそこの若者がいきなり突き付けられた恐ろしい現実。

しかしホーキングはそこでめげることなく自分が興味が湧いて止まない理論物理学の世界にのめり込むことに。

彼の天才的な頭脳はいくつかの画期的な理論の発表によって体が不自由ながらも、実力ある理論物理学者として知名度が上がっていくのである。

とにかく生きるために、全身全霊を傾けて努力していたのである。

博士号も、大学で教鞭をふるためにぜひとも必要とのことでクリアしていくのである。

病気の進行が奇跡的に遅くなったのは喜ぶべき材料だったが、1985年以降は人工呼吸器でなければ自発呼吸もできなくなっていた。

つまりその時から言葉を失ったのである。

しかしホーキング博士の凄いところは、博士を支援する人の輪が自然と集まっていくこと。

アメリカのコンピューター関係のお仕事をしている人から、博士が普段会話する言葉を機械的に変換できる装置を無償で供与されるのである。

この機械が、博士が話す言葉として我々にもなじみの音として記憶に残る。

博士の文字の入力はわずかに動く頬の筋肉を信号に変えて打ち込んでいくのである。

最初は1分間に10文字以上も打ち込めたものが、晩年には7文字程度と減っていったと言われている。

感心するのは、質問を博士に投げかけても、答えが返ってくるのに10分以上もまだもかかることがしょっちゅうだったとのこと。

しかしながら、質問をする人たちも、あのホーキング博士が直接受け答えしてくれるのを根気よく待ったのである。

ホーキング博士の人となりを知る人たちが、こぞって口にするのは、とにかく決して弱音をはかない。

びっくりするほどユーモアにあふれている。

ご本人も言われているがユーモアは絶対に必要で、理由は何の条件もなくすべての人に伝わるからと言うことらしい。

そして友達と勝ち目のない賭けをよくやっていた。それはおもに物理学に関わることなのだが、何かの問題が提起されたときに、その問題を解決するための方向性をきちんと確立するために、必ず有り得もしない極端な意見に賭けていたらしいのだ。

多分に自分が負けると分かっていてもきちんと皆で問題意識を共有するためにわざとやっていたようだ。

ほとんど自力で呼吸することもままならないのに、その興味ある分野へのアプローチの好奇心は全く萎えることがなかったのである。 

ホーキング博士の提言

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ギネスに登録されたほどの世界的ベストセラー

ずいぶん昔に私もこの本を買って読んだことが。

私なりに読みやすかった記憶がある。もちろん難しくて理解不能な部分も多々あったことも事実だが。

宇宙物理学を考える上で教科書となるべき本である。この本は1000万部をはるかに超えて、出版されギネスの世界記録として残っているようだ。

また、ホーキングは未来に対する提言も行っている。

 1つはAIに対する提言。そう遠くない将来、AIは人間の能力を超える時がやってくるようなのだが、その時が人類にとって喜ぶべきことなのかその逆なのか、直面することになるらしいのだ。
 もし人間を、世の中にとってふさわしくないものと認識したならば一体何が起こるのだろうか。

ジェームズキャメロンのターミネーターを思い出す。

またホーキング博士のもう一つの提言は人類は将来的には宇宙に出て別な星に移住することを考えなければ繁栄していけないだろうとのこと。

それは増え続ける人間に対して地球にある資源があまりに有限であるからだ。

また地球温暖化等についても博士なりの考えがあってあちこちに出かけて行って直接確認していたようだ。

しかしながらいかなる場合でも人間は興味を持って人生を生きることをやり遂げなければならないと述べている。

これはどのように生きなさいとか教訓にしなさいとかじゃなくて、生きる姿勢そのものはこうあった方が人間らしいですよとのホーキング博士の提言だろう。

まとめ

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あくなき好奇心 最初の結婚式の時の写真

 ホーキング博士は縁があって二度結婚をしている。勿論、子供も設けている。

感心するのは、自分が興味がある事は何が何でもやってみようとチャレンジすること。

病気を考えたならば飛行機で移動することすら本来は医者からはオーケーされなかったらしいのだ。

博士は頼まれたならば、どこへでも出向いて講演活動を行っていた。

そして、博士のの好奇心は宇宙に出ていくことを考えたならば、無重力体験は必要不可欠と考えて、自ら経験しているのである。

もちろん万全な体制を整えているので、事故が起こる可能性は少なかったとは思うのだが、病気を考えればありえない行動だろう。

しかし、ここまで長生きされた博士も、昨年の3月14日にとうとうなくなってしまう。

最後の言葉は「恐れるな!」だったらしい。

ホーキング博士らしいチャレンジ精神溢れる人生だったと言える。