くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

昭和の生き証人として 水木しげるさんてこんな人

 

実は、今、夕方“ゲゲゲの女房”の再放送をやっているんです。

日本を代表する漫画家“水木しげる”さんの奥様を主人公にした朝ドラの再放送。

2話分ずつやってるんですが、これがね 見てるとハマる。

私が子供の頃、要するに50年ほど前ですがたくさんある漫画家の1人に 水木さんはいたんですね。

私が、当時記憶にあるのは“墓場の鬼太郎”。

多分世の中の大多数の人は“ゲゲゲの鬼太郎”で記憶があるでしょう。

古い世代の私は始まりの漫画は“墓場の鬼太郎”がおなじみです。

目次

ConoHa WING(コノハウィング)

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この年齢にして現役

出身は境港市となっている

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境港市 リニューアルされた水木しげるロード

少年時代 様々な仕事について働いてはいたが 、何をやっても、ものにはならず職場を解雇される日々が続いたと言う。

本人も仕事にはむかない旨を周りに訴えており、水木しげるの父親もどうやらそれを認めるしかなかったようだ。

子供の頃から絵を描くことが好きで、好きな絵で暮らせるならと憧れを持っていた。

もっとも、美術学校に通うには試験に合格せねばならず、合格する自信のない水木しげるは試験のない学校をわざわざ選んでそこで真似事の絵の勉強したようだ。

その時のエピソードで、先生よりも自分のほうが絵がうまいかもと思っていたらしい。

やがて徴兵検査を受けて兵隊として召集されることに 。

目が悪かったので甲種合格とはならなかったようだが、前線の兵士の不足により南方戦線への配属が決まったようだ。

ニューギニア戦線の生き残り 

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ニューギニア戦線で左腕を失う

配属されたのはニューギニアのラバウル。

いわゆる徴用船で運ばれたのだが、その前後のいきさつを考えるとほとんど奇跡と言える。

この時はラバウルにめがけて盛んに物資や人員の運搬が画策されていたが、成功したのは水木しげるが参加していた部隊のみである。

ほかは皆、ラバウルに到着する前に潜水艦や航空機の攻撃でことごとく撃沈された。

水木しげるの前後には誰も到着することができず、この部隊だけがラバウルで作戦行動に参加したようだ。

ニューギニア戦線での活動は苛烈を極めた。

ほとんど作戦行動と呼べるものではなく、隊長は受けた命令を達成することができずに自決する有様。

またこの部隊には玉砕命令も下っていたとされる。

またアメリカ軍の空襲も激しく、水木しげるはその時の爆撃で左腕を激しく負傷。

かろうじて命を取り留めたようだが、麻酔なしで左腕切断の手術を受けたと言う。

とんでもない世界だが、命があっただけマシと言うもの。

 水木しげるは、ほかならぬ現地の人と仲良くなって、周りの日本兵とは比較にならないほどの手厚いもてなしを受けたそうな。

現地の人との交流は戦後も長く続いていて、そういえばテレビでも特集番組が組まれていたことが。

水木しげるはニューギニアで敗戦の報を知るのだ。

命からがら日本に帰ってきたようだ。

やっぱり鬼太郎

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鬼太郎 水木しげる氏の人生そのもの

 戦争で復員した後は、闇の商売に手を出したり、様々な生き延びるための仕事をやったようだがどれもうまくいく事はなかったようだ。

最後に紙芝居作家としての才能を見出され、そこで作品を生み出すことで本来自分の希望する絵描きの仕事に従事することに。

やがて紙芝居も時代の流れで廃れていくと、貸本を中心とした漫画家に転身する。

漫画家としてデビューした後も苦労をし続け、本当に世の中に知られるようになったのは45歳ぐらいの時である。

それまでは、ほとんど食うや食わずで 1日1日をしのいでいた。

水木しげる氏をいつも救ってくれたのは“鬼太郎”というキャラクター。

このシリーズが水木しげるの生涯を通してのテーマとなる。

最初は“墓場の鬼太郎”から出発。

後にゲゲゲの鬼太郎と題名を変えてからもさらにブレイク。

とにかく水木しげるの特徴は、絵の素晴らしさにあるだろう。

このようなスタイルの漫画は他には全く見当たらない。

動物や人物がデフォルメされて描かれて、そのくせ背景は驚くほど緻密で、全体のバランスも不思議な調和の中に存在する。

見方を変えればピカソやダリの画風に似ているとも言える。

 子供ながらに、これは芸術作品なんだと理解していた記憶が。

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キャラクターのみの場合と背景を含んだ場合とインパクトが違う

水木しげる以外にこのような画風の作家は思い当たらない。

 これが、右手1本しか使えない画家の作品。

彼の周りから聞こえてくるのは、作品に対する驚くほどの集中力。

つらいと感じているときでも歯を食いしばって絵を描くのだそうだ。

ゲゲゲの女房

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テレビで描かれている“ゲゲゲの女房”がまさにこれ。

実は水木しげるは39歳で10歳年下の奥さんと結婚しているのだ。

お子さんは女の子2人。

結婚してからも苦労しっぱなしだったようだが、やがて水木さんは漫画家として成功し、また故郷にも凱旋帰国することとなったのだ。

この2人は、2人とも山陰地方の出身。

こういった言い方は失礼だが、どことなく神がかり的な絆を感じてしまうのだ。

水木しげる氏本人が戦争経験者で九死に一生を得ていること。

何をやってもうまくいかなかった商売が漫画家としての時のみ 成功していること。

晩婚で巡り会った奥様と生涯添い遂げることができたこと。

これだけの条件は、2人ともより神様に近い存在なのかなと勝手に思ってしまう。

普通に平凡に暮らす人ならば、途中で運が尽きてしまって命を失ってしまうのではないか。

そこを乗り越えて、2人とも実に穏やかで楽しい人生を送っているように見える。

神がかり的なご加護を感じずにはいられない。

彼の作品の中で、注目すべきはニューギニア戦線での実体験だろう。

これだけの過酷な戦争を経験して生き延びられること自体が奇跡なのだが、すごいのはその奇跡をきちんと継続して世の中に報告する術を持っていたこと。

彼もまた太平洋戦争の数少ない生き残りであり、語り部として後世に名前が残っていく。

初めて水木しげるの肖像画を見たのは、多分小学校5年生位の時。

他の漫画家と違ってずいぶんおじさんじゃないかと無礼にも思っていた。

私が年齢を経るごとにその理解は深まっていったと言える。

そして、年齢とともにその値打ちはどんどん上昇していった。

朝ドラの“ゲゲゲの女房”を見ていてふと思ったのでブログとしてまとめることに。

「骨盤ウォーカーベルト」