くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

私の止めることができないベートーベン愛

 

クラシック音楽ファンの私としては、実はクラシック音楽なら何でもいいというわけではない。

私の場合、好みか好みでないかは、伝わってくるか伝わってこないかで判定される。

大抵のものは伝わってくるのだが、“ウィンナワルツ”と呼ばれるジャンルだけは、あの音楽を私は理解できない。

何を目的にあんな音楽が作られるのだろうと。

世の中には大好きな人もいると思うので、これ以上は言及しないが、私が大好きな音楽で1番に挙げるとすればベートーベン。

ここから感じ取れるものは、私の中では他と比べるものもない。

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目次

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30歳になる前から難聴に悩まされる

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ベートーベンの主な作品は耳にトラブルを抱えるようになってから

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音楽家としては致命的な弱点

実はテレビで何気なく見ていたベートーベンの番組。

それは有名な“交響曲第9番”に至るまでの“ベートーベンの“難聴”についての考察。

有名な事実だが、ベートーベンは音楽家としては致命的な難聴と言うトラブルを抱えていた。

30歳になるちょっと前くらいから始まったらしく、30歳を過ぎたあたりで本格的にトラブルとして周りが知るところとなり、40歳でほぼ何も聞こえないに等しくなったと聞く。

最近の調査では50歳を過ぎたあたりで、肝臓を著しく痛めて3ヶ月ほど寝込んだことも話題に上っていた。

ベートーベンの難聴について様々な考察がなされていた。

つい最近まで有名だった耳小骨の異常。

実は、ベートーベンが亡くなった時に、翌日に詳細な解剖懸案が行われて、その解剖報告が10年ほど前に見つかった経緯が紹介されていた。

その報告の中では耳小骨の異常は特に記述がなかったので、今までの定説が覆された。

最近の専門家の意見では、内耳に異常があったんだろうと言われている

異常として記録に残っているのは、やはり内臓関係。

膵臓、肝臓、脾臓などかなり悪かったような記述。

かつて私はベートーベンに関わるブログをいくつか作っている。

 

www.kuwa-chu.com

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 このブログを始めるきっかけになったのも、何か好きな音楽のことで発信したいと思うようになってから。

好きな音楽で外せないのはまず“ベートーベン”だろう。

そして“バッハ”が挙げられる。

この“ドイツ3大B”の巨匠たちは、私の中で決して色褪せることのない記憶。

ちなみにこの最初の3つのブログでも紹介はしているが、ベートーベンの主な有名な作品は、30歳以降に作られたとされる。

ベートーベンは政治的なはっきりとした指向があるようで、民主主義の基本的な形を支持したようだ。

特に、支配をしたり支配されたりの関係を、特に受け入れがたいものとして認識していた。

彼自身、音楽家でありながらこの当時の慣習通りに習えば、宮廷音楽家になるのが最も近道なのだが、その待遇をよしとせずに音楽家として自分自身で身を立てて生きていくことを選んだ最初の作曲家とも言える。

実はベートーベンの研究をするにあたって研究者に都合の良い資料がいまだにたくさん見つかるようないきさつが。

それはベートーベンの耳が聞こえなかったことに大きく起因するのだ。

耳が聞こえないので、ベートーベンは人と会話をするときにはもっぱら“筆談”をしていた。

筆談は質問をメモ帳に書いてもらって、ベートーベンが口頭でその質問に答えると言うもの。

ベートーベン自身が文字を書いて答える事はなかったようだ。
自ら話す事は問題なくできたらしいので。

この質問メモがベートーベン研究において、とても優れたアイテムとなっている。

ベートーベンは、人から騙されていると思い込んでいる部分があって、家政婦に買い物なども頼んでいるが、細かい内容まで全て書き出しさせてそのチェックを自ら行っていた。

また、音楽会などを催すときには、わざわざチケットを販売して、もちろん高い料金のチケットもあるのだが、一般市民が普通に手を出せるような安価な料金のものも大量に販売している。

普通、宮廷音楽などでパトロンがいる場合は、チケットを発売する事は無い。

その点においても画期的な手法を最初に用いた音楽家。

そして楽譜の使用に関する、今で言うところの版権を売っていた。

要するに著作権の販売に相当するだろうか。

つまり宮廷音楽家としてのお抱え職人の身分を否定して、音楽家として自分の力できちんとやっていくだけの行動をしていた。

実は、そのことについての記録が耳が聞こえなかったことが起因して色々と残っている。

それが今日当時の状況を推察するのに貴重な資料となっている。

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あまりに深かった苦しみ

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ハイリゲンシュタットの遺書 直筆

この遺書を書いたのは1802年、ベートーベンが31歳の頃。

作曲家として耳が聞こえないのは、ほとんど命を奪われるに匹敵するほどの致命的なリスク。

このリスクを乗り越えて音楽を続けていこうと決意させるには相応の時間が必要だったようだ。

そして自分自身の生き方を、当時フランスで四面楚歌でありながら人民のために戦った“ナポレオン”とかぶせている。

1804年に作曲された“交響曲第3番英雄”はナポレオンに捧げたもの。

ナポレオン的生き方がベートーベンに大きな励ましを与えていた。

ただし、ナポレオンは後にフランス皇帝に即位してしまったので、そのことに失望したベートーベンは、この第3番の最初のページに書いていた“ナポレオンに捧ぐ”の部分を破り捨てたと聞いている。

ベートーベンにしてみれば王侯貴族は、人民の敵という認識だろう。
 音楽への情熱を再びたぎらせるとともに、人との付き合いはますます内にこもってしまうようになったベートーベン。

耳に抱えるトラブルを他の人に知られたくなかったと推察。

屈折した私生活

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散歩することが日課

この時代のベートーベンは、あちこち引っ越しを繰り返しながら、同じところに長く住むことをあまりしなかったようだ。

日々の日課として行っていたのは“散歩”

この時に小さな五線譜のメモ用紙を必ず持ち歩いていて、浮かんできたメロディーをその五線譜に書き留めることが日課だったようだ。

ベートーベンはこの散歩中の五線譜へのメモを“スケッチ”と呼んでいた。

つまり外に出てスケッチをして、家に帰ってからきちんと作品に仕上げる。

作曲の時に主に使っていたのはピアノだが、耳が聞こえないこともあったのでどの程度自由になっただろうか。

特に番組の中で語られていたエピソードの中では、30代40代にかけて難聴がひどくなっていくと、特に聞こえにくかったとされる高音域の音の使用を控える傾向にあったと聞く。

それは、とりもなおさず自分で感じ取れる可能性のある低音域の音で作曲をしていたフシがあるらしいのだ。

そして、50歳を過ぎたあたりから、この頃、肝臓に致命的なダメージがあることがわかって自分自身の命の期限もある程度悟った部分があるようだが、この辺から高音域の音も躊躇せずに使うように。

専門家たちの意見が述べられていたが、この辺からもう実際に音を自分の耳で確認することをやめたのではないかと。

後は楽譜に書かれた音を自分自身の心の中で演奏してみてそれで納得していたフシが。

特に交響曲第9番でソプラノに課した高音域のファルセットがあるが、これは歌手にしてみればほとんど拷問に近い高い音の連続発声になる。

合唱付きで有名なこの曲は、この高い音の部分は詩の内容が『全世界に届ける』と言うもの。

届けるためには全身全霊で発声する

それがベートーベンの支持した楽譜だったのだ。

ソプラノ歌手たちは口を揃えて言ったようだ

『発声器官に対する拷問だ!』

専門家の意見では、耳が聞こえなかったからこそ、この音を妥協することなく追い求めたのではないかと。

実際に耳が聞こえれば、

『これは歌手にとってあまりにきついから別な方法を考えよう』と言うことになったのではないかと。

「骨盤ウォーカーベルト」

ベートーベンの音楽は=哲学

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ベートーベンの名言

私がベートーベンに激しく反応する理由はこのベートーベンの名言に言い尽くされている。

逆境に立ち向かおうとする人間のあり方。

ここに激しく値打ちを感じたこと。

そしてベートーベンはウィンナワルツのようなお遊戯のような音楽を全くよしとしなかった。

彼の音楽はまさに哲学と言える

思いを伝えるためにどうするべきかを音楽の手法を利用しながら行っていた。

ベートーベンは交響曲第9番を発表した3年後に自らの命を終えることに。

他のクラシック音楽の作曲家たちとは違って、彼の葬式には数万人のウィーン市民が参列したと聞いている。

普段、気難しくて近寄りがたい雰囲気のあったベートーベンだが、間違いなく音楽界の大御所としてその当時から今に至るまで第1人者の称号を外す事はなかった。

ベートーベンの息を引き取る瞬間の様子が、うそか本当かは知らないが伝わっている。

ちょうど春の嵐の頃、雷が鳴る頃に息を引き取る直前、かっと目を見開いて拳を目の前に突き上げたとされているのだ 。

今まさに死にゆく人間がそんなことをするのかなとも思うが、言い伝えではそのように聞いている。

ベートーベンが求めたのは“本当に自由でいる事は必死で戦わなければ得られないんだ”と言うメッセージ。

そしてその自由を求める方法を彼は音楽で追求し続けた。

私が敬愛するベートーベンのアイデンティティーがまさにそれだと言える。

【BROOK'S かんたん ぬか美人】