満を持して始まった最終回のおちょやん。
あのお家はんと直どんは新たに書き加えられたシーンを含めて無事舞台で上演。
様々な思い出とともに、演じる千代ちゃんと一平君には納得の表情が。
兄弟おちょやんは全てが終了。
コロナ禍の試練の中、よくここまで続けてこられたなと。
制作スタッフ、脚本家の熱意。
そして何よりも演じていた役者たち。
とりわけ杉咲花と毎田暖乃。
2人の頑張りに心から賞賛を送りたい。
物語も納得の終了が見れて本当に満足できたと思う。
目次
お家はんと直どん
綿密な打ち合わせをして臨んだお家はんと直どん。
最後の方で主役2人による掛け合いのシーンが。
昨日の物語で描かれたやり取りのセリフと、おそらくはその時のアドリブのセリフが加わったに違いない。
2人とも別れたことで新しい家族を持つことができた。
何もかもお互いのために良い結果が。
人生はどんな場合でも前向きで生きていれば、必ず報われたと思える時がやってくる。
物語はそんなことをどうしても伝えたかったに違いない。
2人のやりとりは見事に喜劇として笑いと涙の両方を交えていたね。
舞台上は2人で演技していたけれど、舞台袖にはしっかりと見守っている仲間たちが。
仲間たちも感動のあまり、皆目を潤ませる。
しかし、今回この出し物の1番の功労者はなんといっても熊田さん。
このドラマでは当初、ちょっと珍しい脇役ぐらいにしか認識していなかったけれど、こんなにも存在感のある役柄とは。
2人が再び共演できる出し物がお家はんと直どんなことは最終回を見てみると本当に納得できる。
これは桂春団治のような女房を泣かす話ではない。
故あって別れ別れになった2人は、長い時間を経て再び仲睦まじく語り合える間柄になる話。
まさにぴったりの出し物ではないだろうか。
これらの物語がおちょやんの書き下ろしではなく、昔からあった出し物だったことがびっくり。
おちょやんは今回新たに書かれた物語だが、中に出てくる様々な出し物は昔からあったものをそのまま用いるところがこの物語の真骨頂。
別れはすなわち新しい出会いだった
2人が別れるしかなかったいきさつはつらく悲しい思い出だが、そこから2人とも新しい家族を得て新しい人生を出発させることができた。
この物語が素晴らしいのはそこ。
別れがすなわち新しい出発となった。
千代ちゃんが語った放ってはいかんものもある。
その言葉の意味がここで驚くほどの説得力で語られる。
一平君は灯子ちゃん、新平君という新しい家族を得ている。
さらにはこの2人にはまだ他にも子供ができる。
その次男坊にあたる人が3代目を引き継ぐ設定になっているはず。
千代ちゃんは自分と同じ血を引く姪を我が子として迎えることになった。
実はこの辺の設定は、史実を巧みに取り入れていて、物語的に全く違和感を感じない。
おちょやんの完成度の高さはこの辺にも如実に表れているはず。
見てくれた人みんなにおおきに
おちょやんの脚本の中で1番のサービスシーンがここではなかろうか。
舞台で熱演する千代ちゃんに観客席から様々な声援が投げかけられる。
実はその中に霊体となったすでに亡くなった家族が現れるのだ。
それはダメおやじテルヲ、弟のヨシヲ。
何よりも愛して止まない母親サエ。
最後の最後でこの3人が物語の中にしっかり登場してくるところは、なんといっても涙あふれるシーンになるはず。
ドラマを見ていて、思わず涙ぐんでしまったもの。
家族3人が登場して千代ちゃんにカメラが向いて、もう一度ターンアウトしたときにはもう3人の姿はなかった。
面白いドラマってこういうことなんだよね。
まとめ
様々な厳しい制約がある中、このドラマはスタッフや俳優たちの渾身の努力によって完成させることができた。
特に関西圏の著名な俳優たちを惜しげもなく配置していたところなど。
新旧千代を演じた杉咲花と毎田暖乃。
女優としての底力をこの2人から如実に感じ取ることができたと思う。
また名優たちがしっかりと脇を支えていたことで、ドラマはのびのびとした脚本ながら驚くほどの引き締まりを見せていたと思う。
戦争シーンなど驚くほどのリアリティーで描かれていたにもかかわらず、それほど重くは感じなかったが、十分に悲しさや苦しさなどが画面越しに伝わってきた。
朝ドラをずっと見続けてきているが、今回のドラマは私の朝ドラ史上の中でもまさにトップに位置する。
今までも完成度の高い作品はいくつか見ていて感じたけれど、今回はそれを上回った感を抱いている。
1度も欠かすことなくこのドラマを見続けて、そしてその都度Googleを始め、様々なサイトで検索をし続けてきた。
来週からまた別なドラマで、ブログとしてアップしていきたいが、1つ何かを成し遂げた達成感を感じているかもしれない。